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島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(一) 寒村(サムソン)島の網守(あもり)嬢
英国の本土から西南へ三十哩(マイル)(約55km)ほど離れた海上に紫瑠璃(シルリ)群島と云う小島がある。
島の数は百四十に及ぶけれど、多くは島と云うのに足りない岩である。人の住むのはその中の僅かに五島に過ぎない。
この群島は大昔龍寧州(リオネツス)と云う王国があったのが、地震の為に海底に沈み、山の頂や高い岡だけが島と為って残ったと言い伝えられている。その中の寒村(サムソン)島と云うのに、寒村(さむら)家と云う家が只一軒ある。此の家に育った網守子(あもりこ)と云う娘がこの話の主人公である。
凡そ世に寒村家ほど古い家は少ない。何も彼も古い尽(づく)めである。主人(あるじ)は当年九十五歳の老夫人、家も家具も何百年以前から伝ったままである。雇人も先祖代々血続きの雇人で、下田夫婦と云い、夫は七十余歳、妻は隣島から嫁に来たので、是も七十歳に近い。
幾代前から寒村家の大きな台所の一部を家とし、外に自分の家は無い。夫婦の間に子と云うのが、矢張り此の台所で生まれ、今でも「子供」と呼ばれて居るけれど、実は当年五十余歳、白髪交じりの中爺とは為って居る。それでも未だ妻を持たない。此の三人が雇人である。若し雇人が子を産めば、其れだけ雇人の数が殖(ふ)える訳である。
この様な古い家の、古い古い万事の中に唯一つ新しいのは、当年十五歳の網守(あもり)嬢である。
嬢の父母は嬢の幼い頃、本土の遠い縁者を尋ね、その帰りに暴(にわ)かの浪風の為、舟と共に海に沈み、他日死骸と為って浜辺に打ち上げられた。それ以来、嬢は祖母である老夫人と雇人との手に育てられた。但し十三の年まで隣島の小学校に通った。その外には世界を知らない。
五人合わせて約三百歳ほどの中に、十五の少女が唯一人で交じって居るとは、何と云う淋しい境遇で有ろうと思われるけれど、會(かっ)て他の境涯を知らない身には、淋しいと云う感じも無い。
今日も老夫人の居眠る傍らに、独り編み物をして居たが、日の暮れる頃に及び、片付けて外に出て、家の横手にある高い岩の尖(とが)りに立ち、遠く近く海上を眺めた。毎日見慣れた景色では有るけれど、夕日の色、雲の影、磯打つ波の高く低く、片時も同じ様は無い。
特に島又島が、或いは密に重なり、或いは疎(まば)らに横たわる天然の絶景は、慣れた目にも見飽きはしない。海鳥の飛ぶ、帆影の走る、何一つ心を楽しませない物は無い。
やや十分ほども眺めるうち、
「オヤ? あれは?」
と、思わず声を洩らし、更に手を額に翳(かざ)して夕日の光を遮りながら見直すと、一隻の小舟が、風と引き汐の力で、沖へ沖へと流されて行く。中には人らしい者が二人乗って居るけれど、帆も無ければ櫂(かい)も無い。
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注
この物語の発端はイギリスの紫瑠璃諸島という所だが、実際にイギリスのコーンウォール半島の南西洋上にこの物語の舞台のシリー諸島が有り、現在は観光の島となっている。
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