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島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百六) 是から何うなる
到頭唐崎夫人は、蛭田江南を絶交すると称して立ち去った。
其の後に、網守子は、色々考え廻して見ると、全く自分が目に見えない、詐欺の網に囲まれて居る様な気がする。初鳥添子が此の家へ住み込んだ事さえも、蛭田江南の差し金で、網守子の財産を目当てにしての事だとは、嘘か誠か知らないけれど、色々思い当たることが有る。満更の無根では無い様だ。
そうとすれば、何うしたら好いだろう。初鳥夫人を解雇すれば好いとは云え、代わりの付き添人が有るまでは、解雇することも出来ない。早まって事を荒立てても、或いは何の様な破滅に成るかも知れない。此の様な場合には、誰か確かな人に相談したい。
もし路田梨英が居て呉れれば、何も彼も打ち明ける事が出来るけれど、彼の居る所は更に分からない。彼の外には、従姉妹藤子があるけれど、此の様な大事件の相談相手としては、物足らない様に思われる。
何に就(つ)けても、路田梨英が恋しくて堪(たま)らない。けれど居ない者は仕方が無い。
此の様に思い悩んで、空しく一日二日と過ぎたが、其の間に、何う言う者か、初鳥添子の様子が全く変わった。彼女は何やら心配そうな顔をして、自分の部屋に籠もったまま、自分の勤めるべき事も勤めない。食事も、自分の部屋へ取り入れて済ます様である。問うと、持病が起こったと称して居る。病気の者を解雇することは、猶更出来ない。
三日目の朝である。日頃無口の侍婢(腰元)が怪しそうに網守子に告げた。
「初鳥夫人は不思議ですよ。病気であるのに、昨夜遅く、此の家を忍び出て、今朝明方にソッと帰って来ました。」
網守子も怪しく思い、
「何して其れが分かった。」
婢「私の寝た時に、廊下で足音がしましたので、戸の隙から覗きましたら、あの夫人が静かに歩み出る後ろ姿が見えました。其れから今朝早く帰って来て、部屋の戸を開く音が聞こえました。」
網守子は、此の場合に端下なく驚きなどしては悪いと思い、
「其れは何かの間違いだろう。」
と打ち消して、後の語を出させなかった。
此の日の夕方に用事が有って、自ら初鳥夫人の部屋に行ったが、入り口の戸に錠が卸りて、或いは其の中に寝て居るかも知れないけれど、居る様子が無く、軽く戸を叩いても、返事が無かった。
是では捨てて置く訳には行かない。兎に角も谷川弁護士に話そうと思い、翌日の朝電話を掛けて都合を聞くと、谷川氏は、
「私の方でも、丁度貴女へお話が有りますので、直ぐにお宅へ伺います。」
との返事で有った。谷川氏が午前の中に故々(わざわざ)来るとは、忙しい人に殆ど無い事である。何の様な用事だろうと、少し心配に思いながら待って居ると、やがて書類を入れた手提げ鞄を膨らませて遣って来た。
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