simanomusume122
島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百二十二) ピンと錠を卸(おろ)した
網守子は梨英の書いた額の前に立ち、其の絵を見上げつつ叫んだ。
「貴方の詐欺の証拠は、ここに在ります。此の額が証拠です。証拠です。」
江南は冷ややかに、
「飛んでも無い事を仰(おっしゃ)る。」
「此の額は、路田梨英の書いたのです。其れへ蛭田江南と云う名を記し、自分の画として披瀝なさるは、此の上も無い詐欺では有りませんか。」
江南は又打ち笑った。
「アハハハハ、是は可笑しい。私は先夜貴女の許で、路田梨英の画と云うのを拝見し、一目で其れと見て取りました。寒村嬢よ。私の画名を慕い、窃(ひそ)かに私の画風を真似する者が、今の世に幾人あろうと、怪しむに足りません。私の画の贋作をした方が、出世が早いのです。丁度、柳本小笛嬢が、私の詩を写し取って、自分の詩だと言って人に見せ、其の上に、私の詩風を真似て詩を作るのと同じ事です。貴女は路田梨英とやらの贋作を本当と思い、却(かえ)って私の画を疑うとは、未だ此の都に、何れほど贋作家が多いかをご存知無いのです。」
何と云う大胆な言葉であろう。余り偽りが激しいので、最早や此の様な人と、口を利くのも汚らわしいと思うほど、全く見下げ果てた。こうなると却(かえ)って心が冷やかになり、只無言で江南の顔を見詰めた。此の有様は宛(あたか)も、是が人間で有ろうかと怪しみ見る様である。
江南も同じく無言で網守子の顔を見詰て居る。
双方の無言は、暫くして網守子の笑い声で破れた。今度は網守子の方が嘲笑(あざわら)い、非常に静かな調子と為って、
「貴方は私へ左様な事を仰るのは、全く此の画をご存知無いのです。此の絵は何処の景色ですか。お返事が無いのは、ご存知の無い為でしょう。是は五年前に路田梨英が紫瑠璃群島へ来て写したのです。群島の中の何と云う島であるか、其れも貴方はご存知無いでしょう。其の上に、此の絵の中に居る少女は、五年前の私をモデルにしたのです。私の顔と、画の中の少女の顔と見比べ成されば、直ぐに分かりましょう。貴方は何時私をモデルに成されました。」
流石の痴れ者も、此の争う余地の無い言葉には、驚いて顔の色が変わった。
網守子の言葉は更に続いた。
「貴方は此の絵を次の展覧会へお出し成さる相ですが、其の時には私が此の絵の前に立ち、私の友人達へ、此の絵が路田梨英の絵であることを信じさせますから、其の時に私を相手取り、詐欺の告訴を起すなりと、何うなりと御随意に成されませ。自然に黒白が分かりましょう。」
こうまで云い詰めて、江南を喁(ぐう)の音も出ぬまでにした網守子は、更に江南に奥の手の有るのを知らなかった。
江南は無言で入り口の戸の傍に行き、内からピンと錠を卸した。
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