巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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       (百二十八) 地震の跡

 文明国の貴婦人が、印度の大斧を振り廻すとは、小説にも無い程の椿事ではないだろうか。けれど、添子がここへ入って来たのは、更に其れよりも以上の椿事であった。是から添子と江南との間に、何事が醸(かも)され行くかは、心を潜めて読んで戴き度い。

 今まで唯茫然と空を眺めて居た江南は、添子の顔を見ると同時に我に復(かえ)った。彼は寧(むし)ろ、我に復(かえ)らない方が幸いであったかも知れない。我に復って気が付いて見ると、もう自分の名誉も自分の力も、悉(ことごと)く奪われ尽くしたことを感じた。

 自分の画、自分の詩、自分の小説など、残らず其の出て来る源が止まって、最早や自分は何事をも為し得ない事と為った。明日からとは言わず、唯(た)った今から、何処に身を置き、何を為して世を渡ったら好いかも分からない。全く当ても頼りも無い境遇に沈んだ。

 今が今まで天才よ、成功者よと、世に持て囃された幸運は、総て消え、残ったのは唯詐欺の酬(むく)いのみである。今は其の酬いが犇々(ひしひし)と巡って来て、進みも退きも出来ない事と為った。彼は添子の顔を見ると共に、イヤ我に復えると共に、深い深い嘆息を発して、殆ど瀕死の病人の様に呻(うめ)いた。

 添子は異様に落ち着いて居る。実は例の舞台気で、落ち着いた様に装うて居るらしくも見える。彼女は四辺を見廻して、
 「先(ま)あ何と言う取り散らし方でしょう。何をしたと言うのです。」
言いながら床に横たわった彼の大斧に目を留めて、破れた戸の穴と見較べ、何やら合点の行った様に、
 「オホホホホ」
と冷ややかに笑い、

 「宛(まる)で地震の跡の様ですねえ。早く取り片付けなければ。人でも来れば何とします。」
と言い、自ら大斧を片付けようとしたが、彼女の力には揚がり兼ねるほどである。
 「オヤオヤ、強い地震だ事、此の斧を振り廻して」
と言い又江南に向かい、
 「貴方、地震を閉じ籠めるのは危険ですよ。此の後は気をお付け成さい。」
と言って又笑った。

 「此の戸だって、此のまま置かれないでは有りませんか。早く修復させなければ。」
と言い、宛(さなが)ら自分が此の家の主婦である様に、直ぐに彼の恭(うやうや)しげな老人を呼び、
 「此の戸を直ぐに建具屋へ送り、修繕して持って来るまでは、此の入り口へ幕を垂れて置きよ。」
と命じた。

 この様な間も江南は唯ウンウンと呻(うめ)くのみであったが、やがて添子は老人の立ち去るのを見済まして、江南の肩に手を置き、優しい言葉で、
 「男の癖に、何を其の様に呻(うめ)くのです。」
 江「エエ、和女(そなた)は未だ何も知らない。」
 添「イイエ、悉く知って居ますよ。網守子の許に居て、貴方の指図通りに、隙見と立ち聞きとを商売の様にして居ましたもの。網守子の知って居る丈の事は、私も知っています。総ての天才が一時に貴方を見捨てたのでしょう。」

 江南の呻(うめ)き声は一層哀れさを加えた。
 「ウーン、ウーン」



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