simanomusume129
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
since 2016.5.9
下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください
(百二十九) 何して金が出来た!
添子は、絶望に呻吟(うごめ)いて居る江南を、励ます様に引き起して、
「何で貴方は男らしく自分の気を引き立てませんか。何れほどの災難にもせよ、唯呻(うめ)いて居ては仕方が有りません。」
江南も漸く然(そ)うと思ったのか。重たそうに首を上げ、
「イヤ唯呻いて居るのでは無い。考えて居るのだ。添子、添子、もう夜逃げする外は無い。幸いに今日谷川弁護士が来て、一万円ほどの遺産が両三日の間に、私へ転がり込む様に言った。其の外にこの画も、五千円には買い手が付いて居る。其れや是やを取り纏(まと)め、外国へでも落ちて行けば、何とか身を立てることが出来よう。
私が再び身が立てば、其の時に又和女の面倒を見て遣るから、其れまでの処、和女は奉公するなり、或いは劇場に帰るなりして、何とか自分だけの生活の道を立ててお呉れ。」
と嘆願するように述べた。
詰る所、体のよい夫婦別れの相談である。今の江南としては、成るほど此の外に活路は無いで有ろう。添子は別に驚いた様子も無く、
「けれど其れは最後の場合ですワ。ねえ。」
江「そうさ。今が全く最後の場合だよ。此の外に道は無い。」
添「でもここに幾らの金が有れば、其の様な事をせずに済みますか。貴方は先達(せんだ)って三万五千円(現在の約三千五百万圓)有ればと仰ったでは有りませんか。」
江「然(そ)うとも、三万五千円有れば、一時は漕ぎ抜けられる。けれど其れが無いのだ。今言う通り一万五千円位いは何うか出来ようから、其の上に若し二万円も有ればーーー。」
添子は舞台でも見ないほどに澄(す)まし込み、
「では、是では何うです。」
と云い、銀行の小切手帳を江南の前に投げ出した。
江南は怪しみながら取り上げ、開いて見ると、添子の名前で、四万円払い込み、何時でも引き出すことの出来るように成って居る。江南は夢では無いかと疑う様に、幾度も見直したが、終に全く驚いて飛び上がり、
「ヤ、是は四万円だ。何して和女(そなた)にこの様な金が出来た。」
添子は益々澄まして、
「何してでも好い。此の金で事が足りるか否を返事なさい。」
江「足りる。足りる。」
実に添子は何して此の様な大金を得たので有ろう。彼女の身振りは、全く大金持ちの奥方とでも言う様な態(さま)である。
「足りるなら最早お金の事などは心配成さるな。けれどここでお断りして置きますが、今までは貴方にお金が有って私にお金が無かった。其れで貴方が主人で、私は単に貴方の指図を守って居ました。今からは其れがアベコベに成るのですよ。私にお金が有って、貴方に無いのですから。私が主人で、貴方は何でも私の言い付けを守らなければ成りませんよ。」
何だか最もらしく聞こえるけれど、妻が夫の主人に成るとの約束は、余り聞いた事の無い例(ため)しである。
a:447 t:1 y:0