simanomusume134
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
since 2016.5.14
下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください
(百三十四) 悪人はお互いだよ
如何に添子は、擦枯(すれっか)らした女にもせよ、元は良家の娘である。今、自分から名乗って、詐欺生活を始めなければ成らない場合に成っては、身の不運を悲しまない訳には行かない。彼女は急に涙声と為り、
「貴方、貴方」
江「何だ。」
添「貴方は裁判所を知って居ますか。」
江「私は弁護士の資格もある。裁判所を知らいで何とする。」
添子は忽ち江南に縋(すが)り付いて、
「オオ恐ろしい。私はねえ、田舎の芝居に居る時に、虚栄に身を誤る婦人の役を勤めました。其の時に舞台監督の人から、丁度此の土地に、貴女の役に良く似た女の裁判が有るから、見てお置き成さいと言われ、傍聴に行ったのですよ。
被告席には其の女と情夫とが立って居ました。女は虚栄心の為に堕落して、果ては情夫と共に詐欺を働いたと言うのです。見れば傍聴人も陪審員も、其の女を憎み賤しむ様な顔で、少しも慈悲の色が見えません。弁護士は二人でしたが、是も被告等に同情しないと見え、時々笑いながら密々(ヒソヒソ)話などするのです。」
江「何だって今更其の様な昔話をするのだ。」
添「イイエ、聞いて下さい。私は其れを見て恐ろしく成りました。虚栄心の募る女は、終に此の様な事に成るのか。人々の顔付きで、彼等が何れほど世間から賤(いや)しまれて居るかが分かると、こう思って見直すと、女の顔や姿が私に似て居ました。其の男も、気の所為(せい)か貴方に似て居る様に思います。私の傍に居る傍聴人は、悪人、悪人と囁き合いました。」
江南は声を励まして、
「何を詰まらない事を言うのだ。」
と叱った。けれど添子は愈々詐欺生活に入る間際に、急に良心の呵責を感じたのであろう。
「オオ恐ろしい、恐ろしい、私は其の女と少しも違わない悪人ですよ。」
この様に悔やませて置いては、折角の名案も行うこと出来ない様に成るかも知れぬ。江南はここで、大いに気を引き立てて遣らなければ成らないと思い、
「今更その様に恐れることは無い。悪人はお互いだよ。お互いだよ。」
こうまで力ある同情の言葉を聞いては、添子の気が又忽(たちま)ち引き立った。
「オオ嬉しい。本当に悪人はお互いですねえ。貴方よう、若しも此の後、何の様な成り行きで裁判所へ送られる様な事に成ったとしても、決して私一人を公判廷へ出して下さるなよ。貴方も一緒に被告席へ立って下さいよ。」
江「其の様な事に成る筈は無い。」
添「でも万一成ったならばサ。」
江「宜しいよ。」
添「貴方が其の通りの覚悟なら、私はもう何の様な運命をも恐れません。是からは、旨い言葉や巧妙な掛け引きを種にして、出来るだけ名誉と利益とを欺き取ります。」
江「其れにしても欺くの、偽(いつわ)るのと、人聞きの悪い言葉を用いないでお呉れ。」
次(百三十五)へ
a:419 t:1 y:0