巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume14

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.1.15

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

 
     (十四) 帰り来た嚢(ふくろ)の持主

 「アア矢張(やっぱ)り貴方であった。」
と老夫人の繰り返す言葉は、何時(いつ)もの譫言(うわごと)よりも、強く聞こえた。網守子も耳を澄まし、一時胡弓の手を止めようとしたけれど、又弾き続けた。
 老夫人は、霞む眼を拭う様に擦(こす)り、
 「最(もっ)と近く来て、良く顔を見せて下さい。」
と引き寄せ度い様子が見える。網守子は、小声で何か下田の夫と打ち合わす様であったが、直ぐに梨英に向かい、

 「祖母さんの言うままに、調子を合わせて居て下さい。」
 梨英は此の語に従い、老夫人の前へ顔を出した。老夫人は又熟々(つくづく)と眺めて、
 「貴方は猶(ま)だ若いねえ。昔の古江田(ふるえだ)利八を其のままでーーー。」
 梨英は真逆(まさか)に、
 「そうです。」
とも答え兼ね、単に笑みを示した。老夫人は嬉しそうに、

 「アア古江田利八さんだ。私が貴方の顔、を忘れますものかね。二か月ほども介抱して上げたもの。」
 古江田利八と云う名は、部屋中の誰の記憶にも無いらしい。
 老夫人「好く帰って来て下さった。貴方が此の島を立ち去る時に、再び尋ねて来ると言ったから、私は必ず来る者と、今迄心待ちに待って居ました。私は鰐革の嚢を、貴方へお返しすれば、気が済みます。」

 扨(さ)ては梨英を、昔の不幸な旅人と思って居る。其の人の名が、古江田利八と云った者と見える。
 「イイエ、私の岳父が、気絶して居る貴方の首から、鰐革の嚢を偸(ぬす)み取りました。けれど今は私が仕舞(しま)ってあります。何うか其のまま返し度いと思い、中の宝も手付かずに在りますよ。本に此様な嬉しい事は無い。岳父(しゅうと)のあの悪事の為に、此の家は代々祟(たた)りが続き、皆死に絶えました。貴方に是を返しさえすれば、其で祟りを逃れます。古江田さん、私は目が霞んでね。なれど耳は良く聞こえます。何とか一言言って下さい。」

 梨英は黙って居る訳に行かない。網守子の目配せに促され、
 「ハイ、私もお目にかかって、嬉しく思います。」
 老夫人「アア矢張り古江田利八さんの声だ。昔の通りだ。もう此の家へ、祟りは成さるまえねえ。」
 梨英は真実に、
 「決して其の様な事は有りません。」

 老婦人は益々喜び、
 「オオ、皆の者も喜んでお呉れ。是で此の家の祟りが解けた。是からは、此の家に幸福が続く計(ばか)りだ。ねえ、古江田さん。」
 梨英「爾(そう)ですとも。此の家には、幸いの続く計りです。」
 老夫人は、よろよろと腰を延ばして立ち上がり、
 「古江田さん、私の手を握ってお呉れ。」
と言って、九十五歳の萎びた手を差し伸べた。梨英は云われるままその手を握ると、

 老夫人「アア嬉しい、嬉しい、皆の者も古江田さんの手を握るが好い。此の家には最う幸福が続く計りだ。」
と、顔に非常に深い満足を浮かべたまま、力が尽きたか、ガックリと又眠り込んで了(しま)った。


次(十五)へ

a:520 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花