巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘2    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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    (百五十)  魂が入って居る

 梨英の差し出した下絵を見て、江南は其の意味を理解することが出来ない様に、
 「是れが何(どう)した。」
と軽く問うた。
 梨「是は筆捨(ペンブローク)の停車場で写生したのだよ。余っぽど君に似て居るでは無いか。」
 江南の顔色は忽ち変わった。

 「ナニ、僕に似て居る。その様な事は無い。決して其の様なーーー。第一僕の顔には、何所に頬髯など生えて居る。」
 梨英は、余り江南が熱心に打ち消すのを、異様に感じつつ、
 「画家の目から見れば、此の人の骨相と君の骨相と、別人とは思われないよ。若しこの人の髯を取ったら、必ず君の顔の通りに成る。其れだから僕は君の事を思って居たのさ。其処へ丁度君が現れたから驚いたよ。」

 この言葉ほど江南に取って恐る可きことは無い。彼は何人にも知れては成ら無いが為に、故意(わざ)わざ変装して行ったのに、其の姿を此の通り、しかも梨英に写し取られたとは、何と云う不運であろう。
 彼は更に欺こうとする様に、

 「君の目は何うかして居る。此の人は五十以上の老人では無いか。其れを僕に似て居るなどとは。」
 梨英は、自分の手際を貶(けな)された様に感じて、少し怒りを現し、

 「君の様な画心の無い人に見せたとて仕方が無い。」
と云いつつ、下絵帖を閉じた。此の時江南は気が附いた。何でも此の下絵を奪わなければ成らないと。勿論彼は今までの経験で、梨英の弱点を知って居る。褒めさえすれば決して抵抗する力が無い。彼は忽ち語調を和らげ、

 「イヤ、其の下絵が僕に似て居ると云うことには、飽くまで反対する。けれど、流石に君の筆だよ。紳士が慌てて汽車へ馳せ付ける姿勢は、全く魂が入って居る。君、記念の為に其の下絵を僕に呉れたまえ。」
 今までの梨英ならば、無論此の甘言に乗せられたで有ろう。けれど今は、心の中に大いなる決心が出来て居る。

 「イヤ、僕はもう何の様な事が有っても、自分の画を人に渡さない。自分の画は自分の名で売ることにする。」
 下絵は早や衣嚢(かくし)の中へ納まったて了った。併し、江南は残念に思う色を隠して、更に益々打ち解けつつ、
 「併し君、今の下絵は兎も角もとして、ここへ君を誘ったのは、君と僕と今までの契約を、復活させ度いと思うが何うだ。相談に応じ無いか。」

 是が江南の真の目的である。
 梨「其れは先日の手紙の通りだ。」
 江「イヤ、彼の時とは事情が違う。僕は計らぬ幸運で、百万円の資産家に成ったから、報酬を倍にするよ。」
 梨「否だ否だ。」

 江「今に僕は美術界の中心になるのだよ。美術心に富んだ婦人と結婚したから。」
 此の言葉を聞き、今度は梨英の方が顔の色を変えた。扨(さ)ては江南は早や網守子と結婚したのか知らん。梨英は問い返そうとしたけれど、声さえ出すことが出来なかった。



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