巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume16

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.1.17

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       (十六) 大いなる変化

 曾(かつ)て、新聞紙さえ入り込まない此の島へ、郵便が来るとは、網守子の身に、前例の無い事柄である。況(ま)して小包まで、勿論是は路田梨英からである。
 網守子は嬉しさに胸を躍らせて封を切り、読み返した。手紙の文句は思ったより短い。のみならず、是が梨英の言葉だらうかと、疑われるほど冷淡である。

 書き出しに「寒村(さむら)嬢」とある。成るほど自分は寒村嬢に違い無い。けれど曾て、寒村嬢などと他人行儀に呼ばれた事が無い。何故に呼び慣れた通り、「網守子」さんと云って呉れないのであろう。
 「寒村嬢、私し御地逗留中は、一方ならぬ御厄介になりました。ここに謹んで御礼申し上げます。此の手紙と共に書籍数種を小包で送りました。失礼ながら御受納(おおさ)め下さい。此の後、再び御目に掛かることも、あるまいと思いますから、切に寒村嬢の御健康と幸福とを祈ります。」

 唯是だけである。何と云う余所余所(よそよそ)しさであろう。「御厄介を掛けた」の「ここに謹んで御礼を」などと、幾等手紙でも、此の様な者ではないだろう。何で「嬉しかった」とか「早く再び逢い度い」とか、此の島で云って居た通りの事を、云わないので有ろう。其れも好いとして、

 「再び御目に掛かることも有るまい。」
とは余りである。網守子は幾度も又幾度も読み返し、終に全く恨めしい面持と為り、
 「病気などしたことの無い私しへ、健康など祈って呉れなくとも好いわ。」
と言って泣き出した。

 けれども、此の手紙を送り出した梨英の辛さは、決して網守子に劣らなかった。彼は色々と考えたが、若しも自分と網守子との間に、永く相思う心が続いては、双方の不幸である。自分は是から世に大発展をしなければ成らない身で、如何に可愛いくても、何の教育も無い島の娘を、妻にすることは出来ない。網守子も、都の人の妻に成れる身では無い。今の中に、忘れもし、忘れさせもするのが、年上である此の身の義務であると、此の様に思案して、幾度も書き直して、終にこの手紙が出来上がった。

 けれど実を云うと、両人(ふたり)の心は、最早忘れる事が出来ないほどの程度まで、進んで居るのでは有るまいか。梨英自ら、爾(そ)うと気の付く時は来ないであろうか。
 小包の中には、「何々独り稽古」とか「独習書」とか云うのが沢山あり、絵の手本や歌の本などもあった。

 網守子は、返事を出さなければ成らないと思い、筆を取った。けれど梨英の冷淡な言葉に妨げられて一句も書けない。終に返事を出さずに了(しま)った。

 網守子の境遇に、大いなる変化が来ることと為った。


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