巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘2    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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     (百九十三) 喜びの団楽(まどい)
 
 網守の言葉は実に力が強い。成るほどあの紅宝石(ルビー)は、祖母(おばあ)さんが、此の梨英に呉れたも同様で、梨英が祖母さんと握手した時に、既に梨英の物と為った。
 之を谷川弁護士に聞かせれば、爾(そう)で無いと云うで有ろう。九十五歳の老婦人が、戯言(たわごと)同様に、何の様な事を云っても、其れを本気の沙汰と見ることは出来ない。けれど網守子は堅く爾う信じ詰めた。全く紅宝石はあの時から梨英の物てあると。

 梨英は嬉しく無いことは無い。けれどあれ丈の事で、紅宝石が我物に成ったとは思わず、暫らく返事に躊躇した。網守子は急(せ)き込む様に、
 「其れでも貴方は受け取って呉れませんか。」
 梨「イイエ、受け取らないとは云いませんけれどーーーー。」

 此のとき日は全く暮れ、東の空に夕方から登って居た月が、何時の間にか光りを発して、淡く両人の姿を照らし、妙に人懐かしい様な心を起こさせた。網守子は梨英の顔を見入って、
 「其れでは何故受け取ると言切りませんか。」

 責める様に云うけれど、梨英の心には、言葉の中に何とも云えない、優しさが籠もって居る様に聞こえた。
 梨「私は此の様な宝を受け取って、貴女のーーー、貴女のーー尊敬を失うことを恐れます。」
 云って梨英も網守子の顔を見入った。両人を包んで居る月の光は、何者をも美化せずには置かないほどの力があった。

 そうでなくても美しい網守子の顔は、自然の恵みと、何とも言えない喜びに輝いて、朧(おぼろ)に光る真珠の化身かとも思われた。
 網「私の尊敬が貴方には其様に貴重ですか。」
 梨「貴重です。貴重です。」
 網「私の尊敬は、貴方が紅宝石を受け取ると受け取らないとで変わりはしません。生涯の尊敬です。」

 梨「尊敬ばかりで無く、貴女のーーー、貴女のーー。」
 梨英は只何と無く境遇の床しさ、美しさに酔い、殆ど夢の様な心持であった。網守子もそうであった。
 両人は心が溶け合って、意外にも、イヤ別に意外でも無いであろう。追っては夫婦に成るとの約束まで茲(ここ)で結んだ。

 間も無く手を引き合って舟に帰った時は、もう許嫁(いいなず)けの仲であった。
 一時間ばかり波太郎の漕ぐ力で、舟は寒村島に着いた。両人が家に帰って見ると、夜は既に九時頃であるけれど、下田夫婦と小笛嬢とが、食卓で両人の帰るのを待って居た。網守子は喜びを湛(たた)えた顔で、下田夫人に向かい、

 「私と梨英は許嫁けに成りました。」
と披露した。実に簡単なものである。下田夫人は嬉しそうに立って、
 「私共は六年前からそう思って居ました。早くご婚礼の日をお極め遊ばせ。」
 下田の夫も立った。小笛も立った。爾(そう)して代わる代(が)わる網守子と梨英とに握手して、両人の前途を祝福し、小さい団楽(まどい)に喜びの声が満ちた。


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