simanomusume204
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(二百四) 反対の証拠
蛭田江南がワルシー市へ行ったことが分かった以上は、もう証拠が悉(ことごと)く揃った様に網守子は確信した。
けれど、元来谷川は今までの何事にも分かって居る通り、想像を以て事を判するのが、嫌いな気質である。彼の信用も此の気質から来て居るけれど、此の度の様な事柄には、却(かえ)って大事を取り過ぎる。
火の附く様な網守子の言葉に対し、彼は宛(あたか)も水を注ぐ態度で、
「ワルシー市へ行った丈で、何で犯罪の疑いを掛けられましょう。蛭田江南には却って反対の有力な証拠が有ります。」
網守子は皆まで聞かぬ。
「イイエ、私は何も彼も知って居ます。江南は古江田利八の三女竹子と云う者の孫です。其れだから第二女梅子の孫に当たる、路田梨英の権利を奪う為に、ワルシー市から筆捨市まで行き、梅子の戸籍を切り取ったに違い無いのです。」
谷「オオ貴女は中々良く御存知です。其の様な戸籍関係を何して。」
網「路田梨英に聞きました。」
谷「戸籍関係は全く其の通りです。けれど嬢さん、蛭田江南は一旦、私の間違いであの紅宝石(ルビー)を自分の物にしたのですよ。」
網「ハイ、其の事も聞きました。」
谷「其れだのに自分の方から言って出ました。自分は第二女の孫で無く、第三女の孫であるあから、宝を受ける事は出来ないと。何(ど)うです、実に立派な心では有りませんか。一旦受けた者を自分から正直に辞するとは、私は此の一事で、深く彼を信じ、今の世に珍しい正直者だと思います。」
谷川をこれほどまで迷わせた所を見ると、江南が、早く紅宝石を引き取れと言う、添子の言葉を退けて、反対に辞退したのは、実に巧妙な駆け引きであった。若し添子の言う通り引き取って居たならば、今頃は彼の方が獄裏の人と為って居よう。」
谷川は更に語を継ぎ、
「自分から辞退する様な心で、人の戸籍を切り取るなどとは、決して有り得ない次第です。」
明白な此の言い開きにも、網守子は、少しも怯(ひる)まない。
「蛭田江南を正直などと、エエ悔しい、悔しい、貴方は江南が何れほど悪人かと言うことを御存知無いのです。」
谷「私の目にには悪人も善人も無い。唯事実が有るばかりです。江南が人の戸籍を切り取る程なら、何で一旦自分の手に入った宝を返しますか。」
此の問いには流石に返事の仕様が無い。網守子は腹立たしそうに、
「貴方は江南の肩を持ちます。貴方のお言葉を聞いて居ると、私は腹が立ちます。もう貴方にはお頼みしません。私は自分で江南を攻めて白状させます。」
と言い、早や小笛の手を取って立ち上がった。谷川は持て余したと言う様な顔で、敢(あ)えて止め様ともしない。
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