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島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(三) 両人(ふたり)は何者
百四十の群島が、様々に潮の流れを妨げて、水面が、或る所は低く或る所は高い。其の高低が平均を求める為、驚くべき急流もあり、波と波とが打ち合う所もある。今は風も加わり、物凄い音が益々物凄く聞こえて来る。
「助けて!」
と叫ぶ両人は、この様な音に急に度胸を奪われたものであろう。
当年五十余歳の子供は、高い声で之に応じ、
「お前達ち、慌てるでは無い。舟の中へ立っては卒(おえ)ないよ。」
彼は慣れた腕(かいな)で櫂を取り、様々に操(あやつ)って向こうの舟に接近し、片手に綱を取って投げた。実に巧妙である。
「サア、その綱を、ナニお前の手に持つでは無い。繋(つな)ぐだよ、舳(へさき)え。そうだ。」
この様にして助けられた両人は、果たして都から来た見物で、二十歳の上を僅かに超えた青年である。一人は細く長く、一人は太く短い。長いのは路田梨英(みちだりえい)と云う青年画家、短いのは捨部竹里(すてべちくり)と云う新進文士。一人は此の紫瑠璃群島の絶景を写生する為め、一人は雑誌へ紀行文を投稿する為め、連れ立って来て、先刻隣島の宿屋に荷物を預けて、直ぐに舟を借り海には出た。
これ程の危険が有ろうこととも思わず、絶景に見惚れてツイ櫂を流したけれど、数ある島の一つへ流れ着くか、或いは他の船に逢うだろうと、呑気極まる考えで、命の瀬戸まで引き込まれて、初めて驚いたのであった。
頓(やが)て此の舟を曳舟にして、舳(へさき)を隣島に向けたが、全く風も逆、汐も逆、その上に曳舟の重さが加わり、先刻「子供」が、今身体を疲れさせてはと、用心した言葉が思い当たられた。
漕いでも漕いでも舟は進まない。「子供」と調子を合わせて櫂を取る網守子は、幼い頃から学校へ通うにさえ、一人で漕いで行き、漕ぎ帰った程であるのに、今夕ばかりは、力が尽き果てたように感じた。
その様子を見る此方の二人は気の毒で仕方がなかった。
梨「代わって遣ろうよ。」
竹「生憎僕はボールの選手だった。舟は漕げない。」
梨「では僕が代わろう。」
と言って手を揚げて、
「船頭さん、僕を娘さんに代わらせてお呉れ。」
「子供」は目を怒らせ、
「黙って居さっしゃれ。都人の腕に今夜の海が漕げる者か。」 と叱り付けた。
竹「見給え、君の漕ぎ自慢も、ここでは小娘だけの信用が無いワ。」
其れでも終に隣島へ漕ぎ付けた。両人は舟から降りるに当たり、身分姓名を告げて礼を述べ、
「明日はお礼に行きますから。」
網守子は無邪気に。
「お出で、きっと」
竹「寒村(さむら)家と尋ねれば分かりますね。」
網守子は心から笑い、
「ハハハ、私の家より外に無いのに誰に尋ねるの?」
梨英「では直に分かりますね。」
網守子「目印に私が岩の上に立って居て上げるワ。」
飾り気の無い自然の子の言葉や素振りが、都の偽りに慣れ来たった芸術家には、非常に深い興感を起こさせた。
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