巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume44

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.2.14

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

      (四十四) 貧苦と闘へる青年

 青年ーーー、青年の意気ほど清い者は無い。強い者は無い。男でも女でも、青年は人生の花である。食わずとも、眠らずとも、何の様な艱難にも耐えて、身を立て名を上げずには止まないと言う決心で、郷里を捨て、情実を捨て、年々都へ出て来る青年が、何ほどの数に及ぶで有ろう。

 是も其の中の一人である、イヤ二人である。兄と妹、兄は二十六、妹は二十四、共に幼い頃から、都に出ることのみを語り続けて居た。二人の心の底には、天才の細語(ささやき)が殆ど本能の様に強かった。二人は都に出れば、直ちに名を上げるられるものと思い込んだ。

 其のうち南阿(なんあ)の戦争が有った。兄は唯だ都に出られる嬉しさだけの為に、志願兵の募りに応じ、戦場に送られて、間も無く片足を無くして故郷へ送り帰された。其の代わり、一年二百円(現在の約20万円)の終身年金がある。是さえ有れば、都に出て芸術の大家に成れる者と、其の心を妹に語ると、妹は片足無くした兄を、独りで都には遣られないと言い、共々に都に出て、永年の間夢にまで見て居た、芸術生活を始めた。

 是が柳本兄妹である。妹は既に記した柳本小笛嬢と言う女詩人、兄は南阿戦争で、自分の親しく遭遇もし、見聞もした事柄を骨子として、戯曲を書いて居る。未だ名は知られていないけれど、柳本阿一と言うのである。

 一年、二百円の終身年金は、田舎の人には少なく無い額の様に思われるけれど、兄妹二人が都の下宿生活を送るのに、何うして足りよう。二人は路田梨英の画室に劣ら無いーー其の見寰(みすぼ)らしさに於いて劣ら無いーー天井裏の部屋を借り、寝室の方は兄の部屋とし、居間の方は妹の居間として居る。
 二人共に深く考えに耽(ふけ)る仕事である為、多くは間仕切りの戸を閉め切りである。

 妹は毎日、詩を作る時間の外は、新聞紙の「希望広告」を見ては職業を求めて歩くが、二年の間、何の職業をも得ることが出来なかった。此の頃漸く願っても無い、詩の家庭教師と言う嬉しい職業に有り就いた。

 今までは「新芸術」と言う雑誌が、秘密の約束を以て自分の詩を載せて呉れる為、一週間に詩一篇、其の報酬が最初は五十銭から一円までであったが、今は何うかすると、一篇に五円を与えられることも有る。其れでも二人の暮らしには足りない。けれど二人は、挫けもせずに奮闘して居る。

 兄の方は一つの戯曲を作るのに、二年の間掛かり切りである。幾度書き直したかも分からない。妹の方は暇さえ有れば、世に言う苦吟に身を窶(やつ)して居る。この様な部屋へ、或る日立派な一紳士が尋ねて来た。


注;南阿戦争・・・1899年イギリスがボーア人の建てた南アフリカのトランスバール共和国(現トランスバール州)支配を意図して起こした戦争

次(四十五)へ

a:510 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花