巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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     (五十二) 逆境の打撃

 五年前には、人の気を引き立てる様な、快活な青年であった梨英が、今は何うして此の様な神経の亢進(たかぶ)った、拗(す)ねた様な、陰気な泣き虫と為ったので有ろう。今でさえも彼は未だ二十七歳の、男盛りにも成ら無い、ホンの青年である。
 他でも無い、五年前には心に前途の希望が満ちて居た。
 其の後の逆境に希望の光が次第に消え、唯だ現在の暗黒に包まれてしまっている。

 思えば無理も無い、彼の逆境は、全く前途の光明を、掻き消して了(しま)う様な逆境である。彼だからこそ、未だ真の自暴自棄にまでは陥らず、不正な事もせず、人間の道だけは歩んで居るのだ。網守子はこうまでは知ら無いけれど、いずれにしろ、一方なら無い艱難辛苦が、彼の勇気を挫(くじ)いて了(しま)ったのだとは知った。

 網守子は成るべく彼を励まし度いと思い、
 「昨日此の絵を捨部竹里に見せましたら、彼は全く天才の筆だと、甚(ひど)く感心しましたよ。」
 梨英は漸く涙を止め、

 「オオ、捨部竹里、私は自分の逆境が面目なくて、彼とさえ音信不通です。彼が此の絵を天才の筆だと褒めましたか。彼は鑑識の目だけは有る男です。彼が褒めるのは世辞では無い。けれど彼は、此の絵を、私が書いた者と認めましたか。」

 網「イイエ、私が是は梨英が書いたと言いましたら、彼は何だか他の人の絵だろうと疑う様に、暫し怪しんで居たけれど、私が再び説明した為、ヤッとそうだと信じました。」
 梨英「捨部竹里までもーーーー、捨部竹里までも、此の梨英の書いたものを、梨英の絵とは信じて呉れないーーー。」

 網「イイエ、彼は全く信じました。」
 梨「世の中に、路田梨英が絵を書くと知る人は、一人も無い。」
 網「でも貴方は、絶えず絵を書いて居るのでしょう。先刻も書き始めて居たでは有りませんか。」

 梨「ハイ絵を書くのは私の生命です。書かずには居られません。書いて居る間だけ、私は身の憂さを忘れて居ることが出来るから、常に絵は書いて居ますけれど、駄目です。駄目です。私の絵は人が認めて呉れません。」

 言葉の中に隠れて居る、無言の意味と、無限の身に浸みて深く感じていることは、網守子には知ることが出来無い。唯梨英が貧乏であり、社交界に知られ無い為に、其の画を人が顧みないのであると思い、網守子は一種の憤慨さえ感じて、

 「余り世間が甚(ひど)いですねえ、貴方の様な天才を顧みないとは、けれど、貴方が世間に負けて居るのが悪い。是から世間と戦いなさい。戦って、路田梨英の絵を知らなければ成らない様に、お勝ちなさい。戦うのにお金が要るなら、幾らでも私のお金を使って下さい。」


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