simanomusume54
島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(五十四) 親切な初鳥夫人
「此の絵は誰が書きました。」
と梨英が問うたのは、何と無く梨英自らの筆法に、似た所の有る為であった。
網守子「私が書きましたの。」
梨「貴女は五年前には、満足にに画筆を持つことさえ知らない人で有りましたのに。」
網「貴方の言葉に励まされ、其の後一生懸命に稽古しました。」
梨「私の言葉が、其の様に貴女を励ましたのでしょうか。」
網「ハイ、私は貴方に、何の様な女に為れば好いかと問いました。其の時に貴方が答えて下さった言葉は今でも、一々覚えて居ます。」
次第に梨英の心が、昔の打ち解けた様に帰りかけた様に見える。傍(かたわ)らに居た小笛嬢は、自分が居ない方が好いだろうと思い、ソッ立って静かに部屋の外に出ると、初鳥添子夫人が立って居た。添子は自分が立ち聞きして居たのを紛らせる為め、
「私、余り退屈ですから、貴女を迎えに来た所でした。 サア私の部屋で、お茶でも入れましょう。」
と言って誘った。小笛は此の夫人に、此の様に言われるのは初めてである。
網守子も梨英も、小笛の立ち去ったのには、気も付かないほど話が熟して来た。
網「ですから私は、何も彼も貴方の弟子ですわ。お弟子の絵を見て下さい。」
梨英は幾枚も網守子の絵を見比べて、
「貴女に、絵の天才が有ると言って褒める訳には行きませんが、唯勉強の一通りで無かった事は分かります。良くここまで進みましたよ。婦人の絵としては、もう上手過ぎるほど上手です。是より巧妙(うま)ければ素人では無い、全く貴女は素人の頂上まで進みました。」
網「此の上進むには及ばないでしょうか。」
梨「及びません。王国美術院の会員にも、貴女ほどの絵を書けない画家は幾等も有ります。」
網守子はこの様に褒められて、全く自分の目的が達した様な気がした。
梨「したが、貴女は何して島を出ることが出来ました。」
網守子は之に答えて、老祖母が死んで、自分が意外な財産を得た事から、老祖母の話に聞いた、鰐革の鞄(かばん)を見出した為、之を正しい持ち主に返す為め、其の人を捜すだけの為にも、島を出なければ成らないと思った事、続いて谷川弁護士に、何も彼も相談し、弁護士の世話で、巴里(パリ)、羅馬(ローマ)、冨露蓮(フローレンス)、維也納(ウェーン)、土烈丁(ドレスデン)などを廻り、種々の師匠に就いた事などを語った。
梨「そうですか。谷川弁護士とは、実に好い人に世話をお受けなさった。今でも、あの様な弁護士に後見されて居れば、何事も間違いは無いでしょう。何にしても貴女の決心、貴女の努力には敬服しました。」
彼は殆ど自分の現在の辛さをも忘れたかと見受けられる。
網「ですが私の最も力を入れたのは音楽です。音楽を聴いて頂きましょう。」
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