simanomusume63
島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(六十三) 江南の書いた額
此の夜寝た後も、網守子は色々と考えたが、何だか添子が、余り出過ぎて居る様に思われる。其れに此のごろ、蛭田江南が附き纏(まと)うのも五月蠅(うるさ)い。此の様な場合に何うすれば好い者か。誰にか相談して見たい。誰にと言って他の事柄と違うので、添子をも知り、江南をも知っていて、更に自分よりは深く都の事情に通じて居る筈の、従妹藤子に問う外は無い。
翌日網守子が問うたのは、侶伴婦人を解雇することは出来ないだろうかとの事であったが、解雇は出来るけれど、網守子の身分として、侶伴婦人の在るのが当たり前なので、代わりの婦人が有る迄、解雇しない方が好いだろうと言う事に帰した。次には蛭田江南の事であったが、是には、
「江南」は貴女に縁談を申し込む積りでしょう。」
と藤子は鑑定した。
網「私の方に、縁談に応ずる心が無ければーーーー。」
藤「全くですか。全く貴女は応ずる心が無いのですか。」
網守子は躊躇しない。
「ハイ、全く有りません。」
藤子は多少の疑いを帯びて、
「では断る迄ですがーーーー。」
網「縁談を申し込めば断りますけれど、申し込まずに唯附き纏(まと)うのは、何うすれば好いでしょう。」
藤「其れは難しい御相談です。通例その様な場合には、貴女の保護者からーーー今ならば侶伴婦人から、----其の人へ注意し、遠慮して呉れと言うのです。」
網「でも私の侶伴婦人は、蛭田江南の事を、褒めて計り居るのでもの。」
藤「其れでも先ず、添子へはっきりと命じて御覧なさい。」
とは言った者の藤子は、網守子の為に江南を惜しむ様子である。
「けれど網守子さん、断るのは何時でも断れますよ。貴女は江南の外に、誰か心に思い定めた方が有るのですか。」
網守子は顔を赤くした。藤子は其れと察して、直接には問わないけれど、
「貴女の気質としては、江南の様な芸術家を、愛さなければ成らないと思われますのに。」
網「ハイ、芸術家を愛します。けれど蛭田とは全く違った型の人でなければ、私は嫌いです。」
藤「では貴女はもう、約定済ですか。」
網「イイエ、未だ」
藤「私は貴女より年上でも有り、其れに既に婚約が定まって、結婚の日を待っている身ですから、有のままに言いますが、好き嫌いの為に、余り人を退けるのは、何うかすると後悔の本ですよ。」
網「其れはそうかも知れませんけれど、私は好き嫌いの強い性質です。言わば我儘(わがまま)者でしょう。」
藤「貴女は未だ江南の天才を、良く御存知が無い。江南の書いた絵を御覧なさい。其れ、丁度貴女の頭の上の壁に、額が掛かって居ますから。」
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