巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume94

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

since 2016.4.4

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:


 

        (九十四) 江南の自信力

 網守子の家では、蛭田江南が匇々(そこそこ)に立ち去った後、一同食卓に就き、歓を尽くして分かれたが、阿一の戯曲と小笛の詩とが、傑作であることは、誰一人認め無い人は居なかった。戯曲の方は、孰れの劇場にも予定があるため、今直ぐに其れを変更させて、此の方を興行すると云う訳には行かないけれど、成る可(べ)く興行の運びと為るようにと云う紳士が、幾名も有った。

 詩の方も雑誌社へ紹介しようと云う人が、少なく無かった。
 先ず是で阿一と小笛との前途は開けた。網守子の此の夜の催しは、充分成功したと言う者である。阿一と小笛は、殆ど涙を流さないばかりの態(さま)で、網守子に謝した。
      * *   * *
  * *  *
 翌朝、驚く可し、蛭田江南は、人を訪問するには未だ早い十時ごろに、網守子を尋ねて来た。彼は一夜を煩悶に明し、様々に考え廻した末、終に大決心を定めたのである。彼の顔には一夜の大煩悶が現れて居る。色が青くて眼も幾分か凹(窪)んだかと疑われる。其れに総ての挙動が、神経の亢(高)ぶって居る様に見え、何だか落ち着きが無い。

 けれど、網守子は今朝早く家出て、国立美術院へ行った。留守である為め、初鳥添子が彼を呼び迎えた。添子は様々の事を知って居る。知らない事は大抵推量して居る。昨夜江南が如何に驚き、如何に当惑したかも、一々に見て取った。今朝の訪問も大抵は仔細を察し、

 「貴方は、網守子一人に逢い度いのでしょう。」
 江南は隠しも飾りもしない。
 「其の通りだ。先日和女(そなた)に話して承諾を得た事を、愈々実行しなければ成ら無い場合に差し迫った。」

 添「と云うのは、網守子へ縁談を申し込む事ですか。」
 江南「そうよ。」
 添「今朝が、貴方は好機会だとお思いですか。」
 江南「好機会だか何だか知ら無いけれど、もう一刻も猶予が出来無い。何でも早いだけが好い。」

 添子は呆れた態(さま)で江南の顔を見詰め、
 「貴方は昨夜、彼(あ)の様に網守子に当擦(こす)られたのを知りませんか。」
 江南「ナニ、網守子が私に当擦った?。其の様な事は無い。」

 添「イイエ、私は、貴方の知ら無い事まで知って居ますよ。何も彼も私には分かっています。貴方の絵に良く似た額の掛かって居たのも、柳本小笛の詩を独唱したのも、阿一の戯曲を試演したのも、皆貴方への当擦りです。」

 当擦りと言うのは、少々見当が違うけれど、其れにしても添子は実に良く観察して居る。
 江南は目から鼻へ抜ける様な男であるけれど、非常に自惚れが強い為に、自分の身に関する事は却って思い違いが多い。世に言う灯台下暗しでも有ろうか。昨夜の事なども網守子が故意にしたこととは思わない。唯偶然出たと信じている。



次(九十五)へ

a:437 t:2 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花