巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune139

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.3.11

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                   百三十九

 この子が若し漁師の云う様に、真に攫(さら)われた児だとすれば、この児の親は、宛も我が身が二十年前に、娘二葉を攫(さら)われて絶望したのと同じく、非常に絶望して、悲嘆の底に沈んでいるに違いない。何れにしても、最早(もはや)聞き捨てにはして置けないと、侯爵は腰を落ち付け、更に事の有様を問い糺(ただ)し、

 「シテ、この児を連れて来た旅人と云うのは、全くの英国人かい。」
 漁師「ハイ、自分では英国人と云いますけれども、伊国(イタリア)の言葉を現地人の様に使う所をみれば、伊国人かとも思われます。」
 侯爵「お前は何の縁でこの児を預かった。」

 漁師「イヤ、縁も由縁(ゆかり)もないのです。今から二週間程前ですが、其の旅人がこの児を抱いて入って来て、商用でこの土地へ来たけれど、男一人の手では何分この子の始末に困るから、相当の子守を雇って来るまで、何うかこの子を預かって呉れ、この辺ならば海の傍で健康にも好いだろうからと言い、充分に礼をすると言うのです。私も妻子と云うものはなく、漁の暇なこの節では、日々退屈する許(ばか)りですから、その言葉に従いました。」

 侯爵「シテその人は今何処に居る。」
 漁「この子と共にこの家に泊まって居ますが、何処からか郵便の来るのを待って居る様子で、時々寧府(ネーブル)の郵便局へ出て行きます。爾(そう)して帰る時は恐ろしい不機嫌で、呟いて居る事が度々あります。」
 候「シタが今はこの家に居られるのか。」
 漁「イエ、先刻(さっき)又も寧府(ネーブル)へ出て行きました。」

 候「もう帰って来る刻限では無いだろうか。」
 漁「それは分りません。直ぐ帰って来る事も有れば、時に依ると博打でも打つのか、暁方(あけがた)になって目を赤くして帰って来て、翌日昼過ぎまで寝て居る事なども有ります。」

 成程、その様な身持では、紳士でも商人でも無く、無頼漢(ならずもの)の徒類であることは間違い無い。この子を金にするため、引き攫(さら)って来たものと、主人が鑑定するのも無理はない。その様な無頼漢の身寄りに、これ程清く愛らしい娘が有ろうとは、思われないからである。

 侯爵はこの様に聞き尽くして、如何(どう)したら好いだろうと、暫し思案に暮れていたが、何れにしても再び茲(ここ)に来て、其の旅人に逢い、直々に彼の言葉を聞き、其の上で決する外は無いので主人に向い、
 「明朝早く訪ねて来るので、今夜の中にもその人が帰って来たならば、我が来るまで引き留めて置いて呉れ。」
と云い、少女には玩具の代わりに、我が袖口の釦(ボタン)を外して与え、

 「明日は伯父さんが好い物を沢山買って遣るから、温順(おとな)しくしてお出でよ。」
と英語で云い聞かせ、この二十年来、惜しんだ事が無い程の惜しい別れを忍んで、茲(ここ)を立ち去りながら寧府(ネーブル)の旅館を指して帰って行った。
        
 その路筋で彼の寧府(ネーブル)郵便局前を通ったので、漁師の言葉を思い出し、若しや今彼の旅人が、この郵便局に来ては居ないかなどと思い、郵便受け渡し口の前を覗いて見ると、それか有らぬか、一人の男が、留め置き郵便取り扱いの口に立ち、侯爵の方に背を向けて、事務員に何事をか尋ねていた。

 真逆(まさか)にこの人が我が目指す旅人とも思わなかったが、その問答の言葉は歴々(ありあり)と侯爵の耳に入った。
 男「イヤ何日に巴里を出た手紙か分らないけれど、もう必ず来る時分と思うから聞くのです。だから一応留め置き郵便の箱を検めて戴きましょう。」

 事務「上封には何と宛てて有りますか。」
 男「古松松三殿と宛てて有る筈です。」
 事務「お前さんがその受取人の古松松三と云う人ですか。」
 男「そうです。」
 事務員は暫(しば)し退いて、又忽(たちま)ち出て来て、

 「アアたった今来た郵便で着いた。サア是だらう。」
と云って差し出すのを、喜んで受け取る男は、これこそ今迄園枝の身に付き纏(まと)う、自ら父と称する古松である。
 古松は受け取った手紙の上封を一目見た丈で、いそいそと立ち去ろうとして、此方(こちら)を振り向き、端なくも牧村侯爵と顔と顔を合わせた。

 不思議なことに、一目見交わすより双方の顔は忽(たちま)ちに曇って来て、宛も付け狙う敵同士の様に睨み合って、互いに夫(それ)か夫(それ)でないか、疑い合う様子だったが、侯爵の悟り方が、古松よりも唯一転瞬ほど早やかったか、侯爵は忽ち見極め得た様に四辺(あたり)に響く鋭い声で、

 「おのれ悪人、苫蔵(とまぞう)め、苫蔵め」
と叫びながら、古松を目掛けて飛び掛かろうとすると、古松は苫蔵と呼ばれて、殆ど恐ろしさに耐えることが出来ない様に、身を脱(かわ)して侯爵の脇を潜(もぐ)り、其の儘(まま)逃げ去ろうとしたが、彼の悪運は全く尽きたものか、又も彼の前に立ち塞(ふさ)がる人があった。彼はこの人をも突き退けて去ろうとすると、この人の後ろには当国の警察官二人が付き添っており、宛も彼古松を捕縛する為に来たようだった。

 この人が殆ど飛鳥の速さで古松を取って押さえ、
 「コレ、多年汝を付け狙い、この度わざわざ仏国(フランス)を経てこの国まで追跡して来た、英国の探偵横山長作を知らないか。」
と罵(ののし)り、更に背後の二名の警官に向い、

 「此奴(こやつ)が即ち悪人古松です。何でも今ならば郵便局へ来て居るだろうと、貴方方の同道を願った私の見込みが当たりました。サア直ぐに縄を掛けて戴きましょう。」
と云い、その儘(まま)警官をして古松をひしひし縛らせた。この様を見た牧島侯爵は、殆ど夢に夢を見る心地であった。




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