巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune140

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.3.13

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         捨小舟  後編   涙香小史 訳

                   百四十
    
 抑々(そもそ)も牧島侯爵が、古松を苫蔵(とまぞう)と罵(ののし)ったのは何の為だろう。きっと深い仔細の有る事に違いないが、それは暫(しばら)く後に譲り、さても侯爵は不意に古松が捕縛し去られたのを見て、夢中に夢を見る様に、気もアタフタと転倒した様子だったが、漸く思い定めてか、
 「アア、益々不思議だ。兎に角警察本署へ行って、聞き糺(ただ)すのが近道だ。」
と云い、宛(あたか)も戦場に出る武士の様に、身を震わせてここを立ち去った。

 間も無く警察署に着いたので、署長に面会を求め、たった今、郵便局で英国の探偵吏に捕らわれた、古松と云う者は何の罪です。我も彼に就いては申し立てたいことが有る。嫌疑の次第を一通り聞かせて欲しいと云い込むと、署長はこの言葉を取り上げず、彼の者は英国の罪人で、英国の探偵吏が相当の手続きを経て追跡して来たものなので、当署に於いては知る事では無い。当署は唯、英国探偵の頼みに応じ、彼の抵抗に備えるため、捕吏数名を貸し与えたる迄であると跳ね附けられ、如何しようも無かった。

 更にその英国の探偵に、面会を請い度いと申し込んだが、是すら採用されなかったので、侯爵はハタと困まり、この上はその探偵が、本国へ引き上げるのを待ち、この身も同時に英国へ出張しよう。兎に角宿に帰って、一思案廻らさなければなどと思いながら、力無く警察署を立ち去ったが、やがて我が宿の門口まで来ると、門の横手から出て来て、
        
 「イヤ牧島侯爵、久し振りにお目に掛かりました。」
と声を掛ける一人があった。
 侯爵はこの国に帰ってからも、昔と変わる我が身の様に、我が名を牧島侯爵と知る者は一人も無く、かえって気が楽だと思って居たのに、今この様に呼び掛けられては、驚か無い訳には行かなかった。何者だろうとその者の顔を良く見ると、是も凡そ我が身と同じ年輩の紳士で、何だか何処かで確かに見た事の有る顔だが、何処(いずれ)で見たのか更に思い出さなかった。空しく記憶の底を探(さぐ)っていると、紳士はそうと見て、

 「アア私の顔をお忘れなさったのは、無理は有りませんーーー。」
 侯爵「イヤお顔は確かに覚えて居ますが、ツイーー。」
 紳士「この前お目に掛かってから既に二十年の余になります。貴方が大切な娘を攫(さら)われたと云うその娘の写真一葉を持って、仏国パリの私の事務所へお出でになり、褒美は臨み次第だからと仰ったのが爾(そう)です、二十年前ですから。」

 この様に言われ、侯爵は漸(ようや)く思い出し、
 「貴方は重鬢(じゅうびん)先生でしたか。」
 「ハイ其の重鬢です。仏国の探偵比耶重鬢です。」
 「アア先には英国の探偵を見、今は又仏国の探偵に逢う。何という探偵吏に縁の多い日なのだろう。」
と侯爵が自ら怪しむ間に、重鬢先生は言葉を継ぎ、
 「その節は丁度政府から命ぜられた探偵事務が、非常に急がしい際でしたから、思う様に手を尽くす事も出来ず、多分この事件は貴方に怨みを抱く者が、貴方を苦しめる為にしたのだから、何でも自分を恨(うら)む者をお探(たず)ねなさいと、私は斯(こ)う貴方に忠告しました。」

 侯爵「左様、左様、流石に貴方の記憶の良いのには感服です。」
 重「何でも伊国の人は恨みが強く、大抵の犯罪が総て復讐から出る所ですから、それで斯(そ)う申しましたが、其の時貴方は、他人に恨まれる様な不正の事をした覚えは無いと仰り、私はイイエ、不正な事をしなくても、正しい事で随分恨まれる場合があります。良く記憶をお探りなさいと申しました。スルト貴方は、それではかつて使った水夫の苫蔵と云う者が、或はこの身を恨んで居るかも知れないと仰いましたから、第一に其の苫蔵の行方をお探りなさいと私は申し上げました。」
と昨日か今日の事を語る様に明細に語り出したので、侯爵は益々感じ、

 「全く貴方の仰る通りです。」
 重「シテその後、苫蔵の行方が分りましたか。」
 侯爵「イヤ分ったとも附かずーーー」
 重「分らないとも附かないのですか。シテ攫(さら)われた娘御の行方は。」
 侯爵「少しもわかりません。」
 重「私はアノ時貴方へ、今は忙しくて急には何の見込みも附かないが、気を永くして生涯心に留めて置き、遂には行方及び生き死にだけは分る様に致しましょうと申しましたが、今はその行方及び
生き死にをお知らせに来たのです。」

 侯爵は今更の様に打ち驚き、
 「エ、エ、あの二十年前に攫(さら)われた私の娘の、行方と生き死にを私へ知らせる為に。」
 重「ハイ」
 侯爵「シテ行方は何処です。生きて居ますか。死んで居ますか。アア貴方がそう仰る所を見れば、もう死んだのですネ。ナニ重鬢先生、死んだ者なら死んだ者と、早く仰って下さい。私は今更驚きま
せん。もうとっくに死んだ者と覚悟して船の中にはその位牌まで作って有ります。」
と往来頻繁な門先である事も打ち忘れ、早や嘆き悲しむ様、子を思う親の情はこれ程までも切なるかと、重鬢先生はそぞろに心を動かしながらも、

 「イヤ侯爵、是には長いお話が御座います。家の中で緩々と申し上げましょう。」
 侯爵は初めて思い出した様に、
 「オオ茲(ここ)は門先、サアお入りなさい。私も又種々(いろいろ)と合点の行かないお話が有るのです。真に貴方は好い所へ来て下された。」
と云い、先生の手を引き立てて、家の中へと転(まろ)び入った。」




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