巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

sutekobune151

捨小舟   (博文館文庫本より)(転載禁止)

メアリー・エリザベス・ブラッドン作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2015.3.24

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

         捨小舟  後編   涙香小史

                   百五十一

 父侯爵の名を聞いて、園枝は声さえも発する事が出来なかったが、漸(ようや)く、
 「エ、先生何と仰(おっしゃ)る。私の父、牧島侯爵がフレツタの海岸でこの児を見出し。」
 重「ハイ全くその通りです。」
 園「牧島侯爵は先年死を決して北洋に分け入ったと聞きましたが、その人と違いましょうか。」

 重「違いません。その同じ牧島侯爵です。侯爵は北洋の航海を終え、無事に米国の北岸を経て、この程伊国(イタリア)へ帰りました。」
と言って、侯爵の身の上を詳しく語り、更に侯爵の言葉では、彼の悪人古松が、昔の水夫苫蔵(とまぞう)と云う者なので、侯爵と園枝と真実の親子であることは少しも疑いの無いことだと、侯爵に聞きもし語りもした事柄を、落ちも無く語り聞かすと、園枝は余りの事に悲喜の力さえ失ったか、笑いもせず泣きもせず、唯茫然と先生の顔を見詰めているだけで、

 「シテその侯爵はどうしました。」
 重「私と一緒に巴里まで来たのです。初め私の話を聞くと直ぐに伊国(イタリア)を立ち、貴女に逢いに来ると言われましたが、私の諌(いさ)めに従い、再び元の屋敷へ引き取る丈の用意を残らず整えて来たのです。それだから私の帰りが、一週間の余も遅く成りました。二葉嬢を見出したのが貴女の父上でなければ、私は決して帰りを一週間以上も延ばしません。」

 園枝はまだ悲喜の心に移らない様子で、殆ど他人の事を問う様に、
 「そうして侯爵は巴里へ来て、今は何所に居ます。」
 先「昨夜は旅館にお泊りでしたが、今にもう此処(ここ)へお出でに成りましょう。出し抜けに此処へ来ても、親子とは言いながら、二十年来逢わない仲なので、互いに様子が分からないだろうと言う、私の注意により、この通り私が先ず二葉嬢を連れてお知らせに来たのです。
 私が巴里を出てから一時間後に、侯爵がお出でに成る筈にして来ました。こう言う中にも、その辺まで多分お馬車が見えましょう。」

 是だけ聞いて漸(ようや)くに、我が身が父に邂逅(めぐりあ)うべき時が来たことを知り、園枝は急に心の動きを始め、殆ど居ても起(たって)も居られないほどの想いだったが、屹(き)っと心を押し鎮め、
 「では直ぐに侯爵を迎える支度を致しましょう。」
と云い、周章(あわ)てず騒がず二葉を乳母に抱かせて、その身は背後(うしろ)にある木陰に行き、寝台の小部石大佐に向かい、

 「唯今お聞きの通り、久々で図らずも父に邂(めぐ)り逅(あ)う事となりました。後刻、父牧島侯爵を貴方へもお引き合わせ致しますが、今直ぐ貴方を座敷までお連れ申しましょうか。」
 大佐の眼は
 「否」
と答えた。
 園「ではその時までこのままこの木陰に寝て居らっしゃいますか。」
 大佐の眼は
 「然り」
と答えて、非常にめまぐるしく動いているのは、深くこの奇遇に感じたものと知られる。

 園枝は是から悠然として座敷の方を指して去ると、重鬢(じゅうびん)先生はその後影を見送って、
 「アアこの様な意外な事に出逢っても、世間の女達の様に端無(はしたな)くは驚き騒がない。真に慎みの深い婦人だ。」
と感嘆したが、その中に門前に馬車の音が聞こえてきたので、先生は、

 「アアお出でになった。」
と云い、馳せて行って侯爵を扶(たす)け卸(おろ)し、二言三言何事をか細語(ささや)いたまま、案内に立って家の方に行くと、侯爵は真実の嬉しさに顔一面に笑み頽(くず)れ、自ら制しようとしても制することが出来なかった。
 「アア嬉しい、嬉しい。」
と呟(つぶや)いて先生の後に随(したが)って来た。

 この様にして玄関に登り、廊下を奥の方に行くと、園枝は此処まで出て迎え、何やら言いたそうであったが、言うと先ず嬉し涙が溢(あふ)れるのを恐れてか、無言のままに二人を案内して、非常に明るい座敷に招じ入れた。

 親子とは言え、まだ名乗り合いの済まないうちは、互いに幾分の遠慮がある。抱き合って喜び合うにも至らないのは、風が大いに吹こうとして、先ず鎮まるのにも似ていようか。
 重鬢先生はそうと見て、
 「夫人、この方が貴方の父君牧島侯爵です。」
と云い、又侯爵に打ち向かい、
 「二十年前に貴方が私へ行方の捜索をお頼み成さった娘御は、この方です。」
と云った。

 侯爵はこの間に入るや否や、満面の笑みも一時に消え、殆ど園枝の美しさに感動した様に、熟々(つくづく)とその姿を眺めて居たが、先生の引き合わせを聞くやいなや、
 「イヤそう言わなくても分かって居る。私の娘より外にこの様な顔が又と世界に有るものか。面影と云い、年頃と云い、二十余年前にこの世を去った、母の姿に生き写しだ。」

 是までは、非常に落ち着いて述べたが、我慢も是で尽きたと見え、忽(たちま)ち前に崩れ掛り、
 「コレ娘、ようまあこの様な立派な婦人に成長して呉れた。父はナ、和女(そなた)の行方を尋ね尋ねて、この年まで世界を彷徨(さまよ)って居た。」
と云い、園枝の両手を取り上げると、園枝は胸が塞(ふさ)がって、殆ど一語も発する事が出来なかった。

 漸(ようや)くにして唯、
 「お懐かしう御座いました。」
と云い、公爵に縋(すが)り附いた。




次 後編(百五十二回)へ



a:494 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花