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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.1.11

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第三十一

 
 村上の手紙の続き、
 「華藻嬢よ、私は水草の上に載り、乱杭の一本に取り付きながらも、まだ貴女の愛情を忘れず、もしや殺す気もなく誤って突き落としたものではないか、そうすれば貴女が今にも大勢の人を呼び来たって、私を助けてくれるに違いない。今にもこの池の土手にあまたの松明を降り照らし、私を救う人が集まってくるだろうと、そればかりを力にして、闇を透かして土手を眺め、凡そ一時間ほども待っていたが、アア、貴女は冷酷だ。

 私を助け上げようとはせずに、何時まで待っても音もない。沙汰もない。この時の私の失望はどれ程だったか。私は既に貴女に捨てられたのか。貴女を世界に唯一人の女と思い、生涯に唯一度の愛情を許したのに、貴女の心は早や私に愛想を尽かしたのか。早や他人に心を
移し、私を殺そうと決めたのか。私は又、何を楽しみに生き長らえたら良いのだ。

 手を組んでこのまま水の底に沈み去ろう。再び生き返って貴女に嫌われるにも及ばないとこの様に心を決したけれど、又も思い直し、このまま死んでは我が恨みを貴女に告げることが出来なくなる。何とかして池の外に出て静かに身を隠して貴女の様子を探ろう。更にこの上にも貴女の心を見極め、ゆるゆると道理を調べる方法もあるだろうと私はここに初めて一心の勇気を取り戻したので、先ず池の様子を考え、この岸の何処かに木が低く垂れた所があるに違いない。その所を探し当て、木の枝をよじ登る他はないと今迄取り付いていたあの乱杭から離れかけたが、この時たちまち私の左の手に何物かを握って居る事に気が付いた。

 左の手は落ちた時から堅く握り閉めていたけれど、今迄心の騒ぎに紛れ、我ながら気も付かずにいたのだ。嬢よ、私が手に握っていた品は何だと思う。貴女はきっとこれを知っているでしょう。私が貴女に突かれてよろめく時、思わず貴女の体に手を掛け、衣類の中から握り取った一つの証拠品だ。貴女がもしこの証拠品を知らないなら、当夜着ていた貴女の衣装を検めて見なさい。その中に必ず不足している一品があるだろう。」

 アア、読者よ、村上の手紙は益々不審なことばかり。妾(わらわ)は素より振り払った我が手先が村上に当たったか当たらなかったか、それさえも知らないほどなので、彼に我が衣類の一品を掴み取られたた覚えはない。一品とは何なのか。

 「私はこの証拠の品を失ってはならないと思ったので、チョッキのポケットを探って深く押し入れ、これから乱杭を離れて静かに泳ぎ始めた。水草に足を絡まれ、泥水に身を支えられ、その困難は一通りではなかったが、幸いに樋の口まで泳いで行った。樋之口は水の垢で手も掛からないほど滑らかだったが、天の助けとも言うべきは、土手の木から垂れ下がった葛があり、これにすがって漸く土手に上った。

 私は唯貴女が如何したかと、それを探ろうとする一心だったので、濡れた衣類を絞りもせず、暗い木の間を潜(くぐ)り潜って先に貴女と共に立っていた所まで回って行くと、アア、情けない。貴女はいつの間にか立ち去って跡も留めない。嬢よ、貴女は私を突き落とし、これならば安心だと塵打ち払って立ち去ったに違いない。憎さも憎い。どの様にしてこの恨みを知らそうと、私はしばらくその所に佇(たたず)むばかり。

 この時又も心に浮かんだのは、握り取った一品である。これさえあれば裁判所に訴える事も出来ると、チョッキのポケットに手を入れると水のためにも紛失せず、まだそのままに残っていた。これはせめてもの腹いせにである。何時までもここに居ても仕方がないので今晩のうちに身を隠し、密かに貴女の様子を探ろう。

 貴女がもし誤って私を突き落としたのなら、たとえ今夜は救い出すのが難しいのを知って、そのままに捨てておいても、明朝は必ず私の死骸を取り出して人並みに葬式をするため、池を浚うだろう、もしそれもなくて、私のことを誰にも知らせず、知らない顔をで過ごすならば、全く私を殺す悪意があって、前から計画ししていた証拠であると私は全く思いを定め、ここに初めて上着を脱ぎ、満身の水を絞り、人知れず立ち去った。

 これからパリの安宿に身を潜めて新聞にのみ眼を留め、今日は古池の水を干すか、明日は私の死骸を探すかとそればかりに心を注いでいたが、その様子は一向にない。嬢よ、犬猫を殺してもその死骸を葬ってやろうと思うのに、貴女は一度夫にとまで誓ったこの村上を池に落とし、知らない顔で日を過ごすとは実に貴女ほど恐ろしい心はない。私は手に残る証拠の品を持ち出して裁判所に訴えようと何度か宿を出たけれど、今日は明日はと伸ばし、そのうちに宿料の都合さえ付きかねることとなってしまったので、種々工夫を考えたが、サレスには私の兄があり、吉木某と言って予審判事を勤めているので、これに頼る他はないとついにこの地に流れて来た。

 兄には仔細を打ち明けず唯もっともらしい口実を作り」、その周旋に従ってこの病院に入ったのだ。少しでも稼ぎ貯(た)めたならば、再びパリに引き返し、貴女に恨みを知らせるべく工夫をしようと密かに考えているうち、不思議や、貴女がこの土地にさ迷い来た。夫殺しの罪を受けて牢屋の中の人となるとは。嬢よ、これも全く天の罰である。

 貴女が宿った彼の宿はかって私が初めて当地に来た時一週間ばかり宿ったことのある家である。貴女を調べた予審判事は私の兄の吉木である。兄は素より貴女の正体を知らない。又私が貴女との間に深い恨みがあるのを知らないが、今もし私が手にある証拠を引き渡して貴女が古池華藻嬢であることを知らせたなら貴女の行く末はどうなるだろう。私は貴女が恐ろしい疑いを受けて牢に入り、その上又病をとなってこの病院に入ったのを憐れむ。

 この上貴女を苦しめようと、証拠の品まで予審判事に渡すのは忍びない。これだけは許してやる。貴女は安心して何とでも言い抜けなさい。しかし、私は飽くまでも貴女の罪を許す事は出来ない。貴女は実に汚らわしい女である。私を殺そうとしたのは貴女の手である。私を欺いたのは貴女の口である。私は再び貴女に会うのを好まない。このまま姿を隠す。私が執念深く貴女を恨むのは無理か。嬢よ、私に成り代わって考えて見なさい。私の恨みの深さを知るだろう。

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