巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面108

鉄仮面    

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳  

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                 第九十八回

     
 この翌々日だったが、牢番セント・マールス夫妻の身にとって実に空前絶後とも言うべき事件が起った。それは何かと言うと宮廷の服を着た立派な一人の紳士が、砦にやって来て、すぐにセント・マールスに面会を求めて、パルマ国の未来の王妃カスタルバー侯爵夫人から、セント・マールス夫人にあてた一通の手紙を出し、さらに口伝てで侯爵夫人がこの度漫遊のついでにこの土地に来たので、土地の主だった人々に面会し、あるいは名所、古跡、その他名高い建物などを見物したいので、明日牢番夫人の所を訪問したいと思っているので、その節は打ち解けた交際をお願いしたいとの、非常に有難いおおせを伝えた。

 アルプス山中のこの土地に、外国から貴高夫人が来ることなど百年に一度もないことなのに、どうしたことか、王妃とも仰がれる人がしかも自分の妻に面会を申し込むなどと言うことは、意外な事なので、セント・マールスの日頃の気質なら一も二もなく断わり、使いを叱り帰すほどだが、彼は下に向かって強いほど、上に向かっては弱い性格なので、使いの立派な服装を見ては、既に頭が自然に下がっているのに気が付かなかった。

 それにカスタルバー夫人の来遊の噂は、すでに砦の中にも聞こえていたので、土地の人はただ夫人の姿を拝むだけでも、この上無い名誉と思っているのに、その夫人がわざわざ来てくれるとは、さすがの彼もそっけなく断わることは出来ず、とにかく妻に相談しなくてはと手紙を持って退出し、妻にその事を相談すると、何をさておいても、妻は自分の妹のデフネロ夫人が宮廷で輝いている噂を聞き、自分も一度は貴高の夫人に面会したいと心に願っているところだったので、喜ぶこと一通りでなかった。

 手紙を開いて読んでみてその文面が優美で、さらに自分を誉めたたえているところもあり、「御身が何年もの長い年月を、山の中で過ごす貞節は、実に夫人の鏡とも言うべき事で、ぜひとも一度お目に掛かって、お言葉を交わしたい。」などとこまごま書かれていたので、これこそ永年請(こ)い願っていた、出世の道の開くもとだと妻はすぐに夫にせまり、いつもの勢いで難なく夫を説得してしまったので、夫もなるほどと納得して、さっそくていねいな返事を書き、「ひとえに御待申し上げます。見る影もないところですがおいで頂けることは、身に余る光栄に存じます。」などと普段書いたこともない文句を並べこれを使いに渡した。

 これから砦の中は大騒ぎで、セント・マールスは十五年前、守備隊長を拝命したとき着用して、宮廷に礼に行った後、一度も着ていない大礼服を取り出し、妻に何度もブラシをかけさせ、妻は下男、下女をせかして部屋の中を片付けさせ、前の隊長が残して行った、絵の入った額縁を取り出して壁に掛け、自分も第一の晴れ着を着て、この山中で出来るだけのご馳走の用意をして、兵士には国の祝祭日にも、なかなか渡して着せたこともない、新服を下げ渡すなど、上を下へと大混乱の後、用意もようやく整った午後三時頃、前もって物見に出して置いた一人の兵卒が、走って来ていよいよ侯爵夫人が宿舎を出たとことを知らせると、すぐに兵士を門の外に整列させ、今来るかと待っていると、間もなく向こうの坂道の方から従者を合わせて十人くらいの一行が、しずしずと歩いて来るのは、即ち侯爵夫人で、その案内として前を進のは前に来た使いの紳士だった。

 セント・マールスは、この様な儀式やもてなしには慣れていないので、早くも一行の様子に気を飲まれ、我知らず帽子を脱ぎ、これを片手に持ったまま、一人そちらに進み出て、坂の下で迎えると、先案内は横手に体をよけて、セント・マールスを夫人の正面に向かわせた。夫人はもうバイシンの昔とは違い、多くの人に敬われて宮廷の儀式も十分心得ているので、威厳は自ら備わり、いかにも一国の王妃かと思われるところがあった。

 セント・マールスはものも言えず、ただ頭を下げているだけだったので、非常に親しそうに手を差し伸ばして、彼を立たせ、目下を引き立たせるように、「おお、貴方がセント・マールスさんですか。ここまでお出向かいくださったこのご親切は忘れません。近々パリの方に行きますので、ルイ(国王)やルーボアにも十分貴方を取りなしておきましょう。」何気なく、国王や大宰相を軽々と呼び捨てにする。

 これだけでも、この夫人がフランスの宮廷とも親しく、国王にもルーボアにも隔てなく交際できる様子がうかがえる。特に取りなしておくという言葉は、セント・マールスが八年間、聞こうとしても誰の口からも聞けなかった、非常に貴重な言葉だったので、彼の胸には早くもうれしさがこみ上げてきて、「何分にもよろしく。」との短い言葉を言うだけだった。後に続ける言葉も知らず、再び頭を地に着くほどに低くたれると、夫人も非常に満足した様子で、「貴方はさすがにフランスの紳士です。他国の者にはこのように客をもてなすことはできません。」と言い、更にまた、「それにしても、今日は早く夫人にお目にかかりたいと思っていますので、さあ、どうぞ御案内を、」と言う。

 セント・マールスは、自分の妻の方が自分より口達者で、このような夫人の機嫌をとり、出世の道を開くのは得意なことを知っているので、この言葉を聞いて、重荷を取り除いた気がして、ホッと息をして、「はい、どうかこちらにおいで願います。」と言って、先頭に立って兵士が並んでいるところまで来て、兵士に敬礼を命じると、夫人はこれも笑顔で受けてから、「どうも規律がきちんと整っているのは、日頃の貴方のまごころが思いやられます。近衛兵(このえへい)でもこのようには行きません。」さては、自分を近衛兵の長にせよと、国王に薦(すす)めてくれる気かと、セント・マールスはほとんど自分の足が、地面についているのか天についているのか忘れるほどだった。

 これから堀に懸けた橋を渡り、表門の中に入ると夫人はまず足を止め、頭を上げて四方を見回し、「おお、中に入ると外から見るより余程広いですね。ですが、セント・マールスさん、あれ、あの陰気な建物は何ですか。まるで牢屋のようですね。」一方の建物を指さして聞かれたので、セント・マールスはぐっと答えに詰まった。
 
つづきはここから

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