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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面74

鉄仮面  

ボアゴベ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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2009.7.29

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             第六十五回

 「操を破っても目的を遂げよ」とは、主人の妻に不貞をすすめる事なのだ。召使の身としてこれを言うのは、辛い事情があるからだが、勇士コフスキーのはらわた(腑)はずたずたに切れる思いがしていることだろう。コフスキーが去った後バンダは何時間も泣いていたが、またよくよく考えてみると、コフスキーの言った事には計り知れない意味があった。

 なるほど、私が何度もルーボアに会っていながら、いまだに目的の糸口も見え出せないでいる事には、コフスキー、バイシンの目から見たら、どんなにもどかしく見えることだろう。これと言うのも、今までは自分の熱心さが足りなかったからなのだ。ただ、バイシンの指図を守っていればそれで事が済むと思って、人形の様になっていたからなのだ。

 既に仇敵と分かっているルーボアに会っているのだから、コフスキーが言うように、これだけでも、モーリスに言い訳が立たない事なのだ。この上、深い交わりをしようが、浅い交わりをしようが同じ事なのだ。どちらにしろ、目的を達しなければ身の汚れを洗う方法はないのだ。コフスキーが言った事はこの事なのだ。

 よしよし、これからは、その気になって、彼ルーボアをだましもしよう。なだめもしよう。結局は鉄仮面の行方を捜すことが自分の身を清めるただ一つの方法なのだ。どんなに苦しく、恥ずかしい思いをしても、彼ルーボアをとりこにして、国家の秘密を白状させて見せよう、と今までになく奮い立ち、涙を拭って立ち上がると、膝からカラリと床に落ちたのは、コフスキーが渡して行った、あの短刀だった。

 「目的を達しなければこれでルーボアを刺し殺せ」そうだ、そうだ、刺し殺そう。そうでなかったら、自ら死ぬだけだと取り上げて眺めると、これはなんとモーリスが大事にしていた物で、何かの時に褒美としてコフスキーに与えたと聞いていた短刀だったので、今までの心の弱さを夫モーリスに叱られた気がして、大事にして肌に抱きしめ、寝室と決めてある一間に戻ったが、この後、バンダは翌朝までその部屋に籠(こ)もり、泣いたり、怒ったりして一晩を明かしたと見え、翌日起きて来たときは瞼が非常に重たそうだった。

 しかし、バンダはこの一晩で生れ変り、また、今までの露に泣き、風に驚く少女を卒業し、目的のためには身を砕き、人をも殺そうと決心した強い女に変わっていた。コフスキーに向かっても昨日の愚痴っぽい言葉と変わって、心の底が読み取れないような笑顔で、ちょうど大将が命令するかのように「何時この家を引き払うかも知れないからその用意をして置きなさい。」と言葉短く言いつけた。

 その後は又心地良さそうに庭に出て、昔モーリスに習った「凱旋(かちどき)の歌」を小声で歌いながら雑木の間を散歩するだけだったが、やがて午後の五時頃になって、顔に見覚えのあるルーボアの御者(ぎょしゃ)が一通の手紙を持って来て渡したのを、バンダは自分で受け取って開いて読んでみると「先日、話して置きました様に、カフィ・ド・ベルの料理屋で晩餐(ばんさん)をしながらゆっくりとお話をしたいと思いますので、すぐにおいで下さい。」と書いてあった。

 なるほど、考えてみると、ルーボアが二度ほどもこの様なことを言っていたのを思いだした。ただその時は無礼な申し出だと思ったが、今は無礼を無礼とせず、かえって最後の時が来たのだと思って、バンダは今まで顔に浮かべたこともないほどの愛敬のある笑みを浮かべ、すぐに行きますから主人にその事を伝えて下さいと言って、御者を帰した。

 自分は早速家に入り、二階の化粧室へ入って、しばらく化粧をした後、なよなよと出て来るその姿を見ると、うす青の絹の上着に軽い帽子を被り、帽子には今庭から取ったばかりの白椿の花をかざし、顔には一点の紅さいを差したと見えて、日頃の青白い頬がほんのりと赤みがさしていた。

 もちろん当時のこってりとした流行とは違い、きわめてあっさりとした化粧だったが、それが良くバンダの体に似合っていたことは何にも例えようがなかった。羽衣の仙女と言えどもこの様に美しい姿はしていまいと思われた。もしこの姿をただの一回でもブァセイユの宮廷に見せたら三千の宮女は皆自分の姿を恥、パリの流行は一夜にして変わってしまうだろう。

 ただバンダは自分姿がどんなに美しいのか気が付かないように、振り向いて腰のまわりさえ見ず、気も軽く歩いてきたが、階段の上の壁に一枚の鏡があり、その前にたって一目自分の姿をうつし再びニコッと笑っただけだった。

 踏みとどまらず降りて行く階段は、自分を苦しめる地獄の道か、それとも目的への架け橋となるか、今は思い残す事もなく、涙は昨晩泣きつくして、悲しくもなかった。胸も高鳴らず、気遣(きづか)いながら下で待っているコフスキーはかえってバンダの決心がただならないのを見て、苦情を言った昨日に比べて、コフスキーの方が気後れして、恐る恐る声を掛け、「お一人で大丈夫ですか?」と聞くと、バンダは何げなく自分のポケットを指さし、「安心しなさい、ここに持っているから」と示す意味はあの短剣の事なのだ。

 コフスキーは自分の意見がこんなにも聞いて貰えたのかと出て来る涙をこらえきれなかった。ただ一滴ほろりと涙をこぼすとバンダはその意味を察してか「それほど心配ならばついておいで」と言い、その顔を背けたまま、また何げなく歩いて行った。後ろからコフスキーもついて行った。結局この後にどんな事が起こるのだろう。
つづき第66回はここから

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