巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

鉄仮面98

鉄仮面

ボアゴベ 著  黒岩涙香 訳  トシ 口語訳 

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                 第八十九回

   
 牢番セント・マールスは自分から洗濯物の束を解き、これはシャツ、これはハンケチと一つ一つ調べた後、別に怪しい物も見つけなかったように、又一つに束ねてこわきに抱え、「好し」と言って立ち上がり、まだ心配している鉄仮面に向かって、「では後で聖書だけは差入れてやるから」と言って、そのままこの部屋を出て行った。外からこの部屋に鍵をかけ、廊下を向こうに立ち去ったので、鉄仮面は自分の計画が見破られなかった事を喜ぶように、「ああ、有難い。あの疑い深い牢番めに、見破られなかった事は、本当に天の助けだ。」と独り言を言いながら、天を仰いで拝んだ。

 さて牢番セント・マールスが、こちらに歩いて来ると、廊下の曲がり角に控えて、待っていた二人の兵卒がいた。察するにセント・マールスは囚人を見回るたびに、もしかして囚人が絶望のあまり破れかぶれになり、自分に暴行を加えることが、有るかも知れないと心配し、その時に呼び入れて囚人を取り鎮(しず)めるため、いつも自分の護衛として兵卒を従えていたのだ。ただ秘密の囚人の様子を、兵卒などに簡単には見せられないので、わざと廊下の曲がり角に待たせて置いたのだ。二人の兵卒はあたかも狛犬(こまいぬ)の様に、神妙に待っていたが、セント・マールスが洗濯物を持って来るのを見て、うやうやしく立ち上がると、セント・マールスはその中の痩せたほうに向かって、「これ、軍曹、バアトルメイアは来ているか。」と聞く。

 バアトルメイアとは誰の事だろう。奇妙な名前だが軍曹は怪しまず平気な顔で、「はい、今しがた洗濯物を持って来ているようです。」と答えた。さては洗濯する女の名前とみえる。軍曹は答えながら手を延ばし「どれ、私がその洗濯物をバアトルメイアに渡しましょう。」と言ってその洗濯物を受け取ろうとすると、セント・マールスは気味の悪い目付きをして軍曹の顔をながめ、「なに、それには及ばぬ。」と味もそっけもなく答え、自分から先に立って廊下を曲がり建物の外に出たが、更に事務室とも言うべきところに行って、二人の兵士を立ち去らせ、自分一人でその中に入ると、ここにまた恭しく控えて待っている者が一人いた。これが今言ったバートルメイアとか言う者だった。年は既に三十を越したかと思われるみすぼらしい女で、身には洗いざらして、見る影もない仕事着を着て、髪も何ヵ月も櫛(くし)を入れたことが無いように、ほこりだらけに乱れていたが、その顔つきの何処かに、隠しても隠しきれない一種の美しさがあった。

 もしこの女を磨き上げ、都の服を着せたら王侯貴人も夢中にさせるだろうと思われるが、世の中に女ほど姿形の変わるものはなく、おしゃれをするのとしないのとでは雲泥の違い、特に見苦しい仕事着を着ていては、絶世の美人も誰の目にも付かずに終わってしまう。まして牢番セント・マールスは、ただ意地悪く自分の職務に凝り固まっているばかりで、その他の事には目もくれないので、この女が汚い身なりの下に、どれほどの美しさを隠しているかなど、思っても見ないので、もし気に止めてつくづくと見れば、年だって見えるほどには老(ふ)けていないし、ただ長い苦労のため、やつれているだけなのを、見破ることだろう。セント・マールスはこれに向かって何気ない調子で、「おお、美人、ここにいたか。もう洗濯物は済んだと見えるな。」

 「はい、まだ仕掛けた物もありますが、多分仕事が下される時間だと思いまして」「うむ、それはよいが、これ、バートルメイア、たった今その方は堀の外で何をしていた。」バアトルメイアは少しも騒がず「はい、干して有る洗濯物を取り込んでいました。」「いや、誰があそこに洗濯物を干して好いと許したのだ。」「はい、この山の間に、あそこ以外に日が当たるところが有りませんので、先日副隊長にお願いしましたら、干しても差しつかいないと言うことでした。」「副長は馬鹿者だ。隊長の俺が許るさん、以後決して堀の近辺に干し物をしてはならんぞ。」

 厳かに言い渡されて、バートルメイアは何も返す言葉がなく、ただ黙ってかしこまっていた。セント・マールスは更にバートルメイアの顔を見つめて、「そればかりかあのところは、丁度囚人の窓の下に当たるのに、その方は大きな声で歌を歌っていたな。」バートルメイアはわざと笑い、「おほほほ、仕事をするのに歌ってはいけないと仰(おっしゃ)りますか。日はいつもより暖かに照りますし、見渡す四方の山々には、花がきれいに咲きまして、つい心まで浮き立ち、いつもの癖でつい鼻歌を歌って仕舞いました。囚人の窓の下とは知りませんで、いえ、もうこれからはきっと気を付けます。」と簡単に申し開きをしたが、セントマールスはなおも不審そうに、「歌も歌、あれは十年ほど前にパリで流行った歌ではないか。」

 「はい、先年夫がパリの兵営にいたころ、私も一緒に行き覚えました。仕事をしながらいつもあの歌を歌いますが、今日は番兵に叱られました。」「うむ、叱ったのがもっともだ。これ、バアトルメア、今までその方は何の落度もなく勤めたが、この頃は余りに我がままが過ぎる様に見える。この後再び俺の目に余ることが有れば、その方の夫あの軍曹と一緒に放逐し、再びこの土地に入ったら死刑に処する事にするぞ。」と目を光らせて言い渡されたので、バアトルメアの青い顔に、急にハッと血の気がさしたのは、この叱りを恐れてなのか、それとも深い恨みを持っていて、ほとんど抑えることが出来なかったからなのだろうか。

 しかし、やがてバアトルメアは思い直したように、非常に穏やかな言葉で、「はい、今後は決してお叱りを受けないように致します。今日の失礼はどうかお許しください。どれ、洗濯物を頂いて帰りましょう。」と丁度先ほど軍曹が手を出したようにその細い手を差し出すと、「おっと、そうはさせぬ。」とセント・マールスは小脇に一層力を入れ、「ほほー、大層急いでこの洗濯物を受取たがるなー。」とあざけり、またも鋭い目でバアトルメアの顔を見ると、バートルメイアは今まで赤くなっていた顔を、土よりも青くしながらなお心を失わず、「はい、今夜の中に他の洗濯物と一緒に煮立てようかと思いまして」「いや、明日まで俺が預かって置く、さあ、帰って又明日来い。」

 ここにきてバアトルメアは何とも返事のしようがなく、よろめく足並みを気付かれまいとして、ゆっくり後ろに下がったが、もしその全面に立って顔色をながめたなら、心の中は熱湯を飲まされたよりも、辛い思いをしていることが察せられた事だろう。そもそもこの女は何者なのだろうか。元々からの洗濯女なのだろうか。

つづきはここから



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