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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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 武士道上編 一名「秘密袋」          涙香小史 訳

               第九回

 縄村中尉が内通者であるとは容易ならない密告なので、市長は非常に驚いたが、その色を示さずに、猶ほその理由を問うと、狸田は淀みなく、
 「第一中尉が崖の傍で密話して居た女は此の土地の者で無いのです。私は此の土地の男女の顔は残らず知って居ますが、かって見た事の無い女です。何でも外の土地から入り込んだに相違無く、此の物騒な際に、偵察の為でなければ何で他市(よそ)の女などがこの土地へ入り込みましょう。勤王軍には女まで従軍していると云いますから、其の大将の見込みで女ならば人の疑ひを受けないと思い、入り込ませたに相違有りません。
 第二にその女が、我々の近づくのを見て崖から下へ飛び降りました。敵の間者で無ければこの様に我々を恐れる筈は無く、又無事に其の崖を走り降った所を見れば、既に充分の偵察を遂げた者です。」

 市長は益々容易ならない顔色で、
 「でも中尉はその女を敵の間者と心附かなかったで有ろう。」
 狸「何でその様な事が有りましょう。中尉と其の女とは昨今の知り合いでは無く、余ほど親密な間柄と見ました。我々の見た時に中尉は非常に其の女へ優しい言葉を掛け、殆ど接吻する所でした。私は何でも中尉が味方の秘密を其の女に洩らしたに違いないと思うから、其の女を射殺(いころ)そうと致しましたが、中尉は酷(ひど)く怒りました。是も中尉が敵の間者を保護している証拠です。ハイ確証です。」
と押し付けて言い切れば、

 市「フム、成る程、其の方が其れ丈の事を見たなら密告するのは最もだ。たとい中尉が内通者で無いにしても、其の方の誣告(ぶこく)では無い。併し中尉と其の女の間に確かに内通とか打ち合わせとか言ふ程の実があったとは未だ認められない。
 狸「イイエ、有ります。中尉を捕らへて身体を検査して御覧なさい。必ず敵の大将から送った密書が有ります。中尉は確かに其の女から赤い小さな袋を受け取りました。私はその中にきっと密書が入っている者と睨みました。」

 事ここまでに分かっては捨て置き難い。市長は、
 「好し、中尉の体を検めて見る。」
と言ひ切ったが、又思へば中央政府より防御のの隊長としてわざわざ差し遣(つか)はした士官をば、一人の密告の為に直ちに詮議するのは穏やかではない。唯内々で其の挙動に目を付け、親しく疑わしい箇条を認めた上にしようと、漸(ようや)く思ひ直したので、狸田の注意を賞して、此の場はこのままに治まった。

 此の夜、敵の攻撃は意外に激しく、特に縄村中尉の自ら指揮する東南の門は最も激戦であるとの注進頻々に市長の許に達したので、市長は諸所の防戦を見回った後、最後に中尉の許に到ると、敵は門の外にある低い地に有る家に隠れ、二階の窓から此方の兵を打ち揚げていた。銃声は非常に疎(まば)らであるが、自分達が安全な家に隠れているのを恃(たの)み、充分落ち着き、篤(とく)と狙い定めて射撃するので、空丸(むだたま)は甚だ少なく、早やこちらの死骸は三十の上に上り、負傷者の手当てを引き受ける保田老医も殆ど持て余す有様である。

 中尉の部下は必死になって防ぎ戦っているが、門の塀から殆ど真下に打ち下ろす勾配なので、その弾丸は総て庇に遮られ、充分の功を奏しない。市長は中尉に向かい、
 「全体敵を真下まで引き寄せたのが過ちだ。」
と云えば、狸田も茲に在り大声で、
 「我が軍に内通者が有るのです。敵に地勢を教えたからこの様な事に成りました。」
と叫ぶ。彼既に兵卒一同へ己れの疑ひを洩らした事と見え、
 「爾(そう)だ、爾だ。内通者が其処に居るワ。」
など囃子(はやし)立てた。

 中尉は我が事と思いもせず、イヤ市長、敵を引き寄せたと云うのでは無く、敵が巧みに忍び寄ったのです。初め敵の一隊が遥か向こうへ現われましたから、砲を以って追い散らしましたが、其の時既に決死の一隊が此の下へ忍んで居たのです。
 市「敵が爾(そう)まで地理を利用するのは何故だろう。」
 縄「前から地理を調べて有るのでしょう。」
 別に調べて有るのでは無い。唯少女弥生の報告によって、大将軍がこの様な計略を定めた丈であるが、市長は益々疑って、

 「何れにしても、貴方の責は免れません。貴方は此の上如何なる策を以って応戦します。」
 縄「その様な事は問はれるまでも有りません。敵が勝軍(かちいくさ)と見込み此の門に迫り来れば、此方より門を開いて突貫する為既に用意はして有ります。がーーー」
 市「突貫は誰が率います。」
 縄「勿論、私が率いるのです。」
 市「アア、貴方は兎角に、敵の中へ交じり度いと見えますな。」
 縄村は此の風刺の意を解せず、
 「所が敵は容易に身を現しませんから、其の策も行われず、今は門外の家を焼き払う一方です。」
 
 市「どの様にして」
 縄「私自ら部下の者十名と共に進んで行って火を放ちます。」
 市「矢張り貴方が自分で敵の中へ行く手段ですか。」
と。益々疑って問う中に塀に上りて射撃していた此方の兵、三名ほど一時に射落とされたので、中尉は返事もせず声を励まし、
 「サア、最う猶予はして居られない。放火隊の用意は好いか。」
と云い、声に応じて出で来る十名の部下と共に身を躍らせて門の方に行こうとすると、市長の目配せで忽ち、

 「内通者待て。」
と云い左右から中尉を確(し)かと捕らえたのは彼の狸田と、十人力有ると言って人に恐れられる薔薇(しょうび)夫人の甥、悪人腕八である。中尉は之に捕らへられて振り放すことが出来ない。
 「エエ、大事の場合に邪魔するな。」
と叫び、長剣(サーベル)を引き抜いて二人の目先に突き附けるに、命を惜しむ両人なので、之には敵することが出来ない。忽ち手を離すと、中尉はその身が内通者と呼ばれた事にも心附かず、十名と共に門の潜り戸から躍り出で、降り交わる敵味方の弾丸を冒して早や闇の中に隠れた。

 市長は中尉の雄雄しき振る舞いを見て、半信半疑の有様であるが、それはさて置き、中尉は十名と手を分ち、用意して来た発火薬に口火を付けて、片端より家に投込み、進み進んで一方の端まで行くと、初めに投込んだ所からは既に火の手が起こり、其の家に落着いて潜んで居た勤王軍の兵士等、驚き騒ぎ始めたので、我が目的は達したと中尉は家の背後に出で、暗い所を通って我が軍へ走り帰ろうとすると、此の時一方の家から驚いて飛び出して来た幾人の勤王兵と突き当り、わが体の勢いで向こう様に打ち倒れると、数人の勤王兵が起き上がる暇も与えず、重なり掛り、

 「アアこやつが火を放ったのだ。手足を縛って濠に投込んで仕舞え」
と云い、早やひしひしと中尉を縛ってしまったので、流石の勇士も如何する事も出来きない。当時の軍は今日の様と違い、捕虜などは非常に無慈悲に取り扱はれる時代なので、中尉は自ら助からない時と断念(あきら)め、その為(な)すが儘(まま)に任せるたが、又一方から馳せ来た士官らしい人、燃え上がる火の手に中尉の姿を見、
 「イヤ、こやつは敵の士官の様だ。士官ならば大将軍が詮議の上で首を刎ねるから一応引き連れて来いとの命令が有るでは無いか。大将軍の所まで引いて行こう。」

 又一人は、
 「イヤ、大将軍の居る方面は茲(ここ)から一里余も離れているから、取敢えず小桜露人(つゆんど)に預けて置こう。彼ならば副将軍だから大将軍に代わって詮議するだろう。」
と云い引き立てて、数町離れた仮営の様な所へ連れて行ったが、営の中に篝(かがり)を焚き、地図を開いて何事をか考へつつ有る年猶(なお)若い一士官は、是こそ少女弥生と共に育ち、弥生と共に勤王軍に従っている小桜露人で、当年二十四歳の副将軍である。



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