巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu184

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 6.17

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百八十四回、『一城の主の姫君』

 これより直ぐに武之助は、岩窟島伯爵に向かって、決闘の介添人に成ってもらいたいということを頼んだ。それを聞くと共に伯爵は眉をひそめた。
 「いやいけません。私はどのような決闘に対しても決して関係はいたしません。堅く厳正中立を守るというのが日頃の心がけです。」

 一も二も無く承諾してくれるとばかり思っていた人がこの有様なので案外の思いに落胆した。けれど、伯爵としては無理の無いところである。日頃の心がけは置いておいても伯爵にとって武之助はその実敵の片割れである。勿論父を恨むためにその子まで敵のように思うことは伯爵のしないところではあるけれど、何と言っても伯爵には一種の堅い信念がある。

 確かにその自分が神の助けを得、神に代わって人間に天の裁判を下すために生きている者と思いつめているのだから、少しでも自分が奉じている神の教えに触れるようなことはしない。その父を恨みながら、その子の決闘に加担するようなことは神の命にそむくと思っている。

 もしもほかの人からこのような頼みを受けたらあるいは承知するかも知れない。武之助からでは決して出来ない。また同じ武之助からでもほかの事を頼んだなら必ず承知するだろう。決闘の介添人となることは決して承知できない。

 伯爵は武之助の期待はずれの顔を見て、説明するように言った。「本来私が決闘ということに賛成しないのは、前にローマで死刑を見物した時に貴方と毛脛安雄君に話したでは有りませんか。人から辱め受ければ、その受けた通りの辱めをその人に返せば好い。自分が負けるか勝つか分からない決闘のような手ぬるい手段では決して満足できるものではありません。」

 暗に自分の目的をほのめかしている。「目をえぐられたら目をえぐり返せです。私は法律の裁判さえ満足でないと思います。」
 暗に御身の父へ法律にも無いほどの罰を加えるぞという意味ではないだろうか。そうだとすればこの伯爵、或いは既に今朝の新聞を見て武之助の父が売国奴の汚名を着せられたことを知っているのではないだろうか。

 更に一層深く疑えば、この汚名さえも幾らか伯爵の心の中から出たことではないだろうか。たとえ伯爵から出たのでないにしても、伯爵がかえってこれに賛成し、或いはこれを大復讐の好い発端と思っているのではないだろうか。しかし、伯爵の顔には武之助に対する無限の哀れみが現れている。少しも武之助は伯爵の心に、隠れた思いがあろうとは疑いもしない。

 彼は熱心にまた言った。「しかし伯爵、それならば貴方はなぜピストルの練習などをなされます。なかなか貴方の射撃がうまいことは、いたずらや慰みに練習しているものとは思えません。どうしても誰それを射殺しなければならないと決心して、深い目的のために練習したように見えます。貴方が紙切れを的にして狙っている姿までが恨みのある人の心臓を狙っているように見えました。」
 伯爵は物凄く笑った。

 「イイエ、伯爵、貴方は長い間武器を手にしていないからとおっしゃったけれど、ピストルばかりは他の武器とは違いますよ。これをもって鳥やウサギを狩に行くというものでも無ければ、戦争に行く武器でも有りません。ほとんど一私の争いに相手を射殺すというよりほかに用は無いのです。いわば決闘のためと限っている程の品です。その品をもって貴方が熱心に稽古なさったところを見れば、決闘をしない人とは思われません。貴方の態度は確かに世界随一の決闘者です。」

 伯爵は妙にまじめに、「イヤ私はピストルだけが巧者では有りません。貴方は何か私のする仕事でこれが下手だということを見たことが有りますか。」
 なるほど、何一つ人に優れていないというところは無い。
 武之助;「しかし伯爵、そのお言葉はまだ貴方が人と決闘をしないという証拠には成りません。根本から決闘を嫌う人がなぜピストルを」

 伯爵;「イヤ、自分では決闘をしないけれど、人から挑まれた時に応じないわけには行きません。ですから貴方は誰と決闘するお積りです。」
 武之助;「猛田猛(たけだたけし)とです。」
 伯爵;「エ、猛田猛、あの新聞記者の、ソレ御覧なさい。彼は貴方が親友だとて私に紹介した方では有りませんか。この国にいれば何時親友からでも決闘を申し込まれるか分かりません。今日親友の猛田猛に決闘を申し込む貴方が、明日は私に決闘を申し込まないとも限らないでは有りませんか。私はそのような時の用意にピストルを稽古するのです。」

 武之助は笑って「その時にはトランプのハート印を射抜くように私の心臓をお打ち抜きなされるでしょうね。」
 伯爵;「ハイ、心臓を」
 冗談の返事だけれど、なんとなく物凄い。武之助は思わず知らず身震えした。
 「イヤ、伯爵の玉表には立たないように用心しましょう。トランプにされるのはまだ早過ぎますわ、ははは」

 伯爵;「私は決して自分から決闘は申し込みません。決闘するほどの恨みがあれば、もっとよい方法に訴えます。しかし、兎も角、私の家にお出でなさい。そうして良く事情をお聞かせください。」と言って伯爵は更に武之助を自分の屋敷に連れて帰った。そうして武之助からあの新聞を示されて立腹の次第を聞いた。

 一応思案した上、「しかし、次郎という名は最も有り触れた名前です。ヤミナへ援軍に行った数千のフランス人に必ず五、六人はあるでしょう。何も貴方が自分の父だなどと自分から辱めるには及ばないでしょう。」
 武之助;「そのような誰でも言う言い草では私の胸が治りません。」

 伯爵;「それなら決闘を申し込む前にまず事実を調べ、猛田猛に紙上で明白に取り消させるのが良いでしょう。」
 武之助;「事実を取り調べている間に、世間の人はあの記事を争って読んでいます。それからソレへと、私の一家を侮辱すするような噂が世間に広まります。それに事実を証明する人と言っても有りません。

 伯爵;「有りますよ。有りますよ。誰よりも良く、そのヤミナ城の陥落した様子を目撃した承認がこの私の家に居ります。」
 さては伯爵自身がヤミナ城の陥落を目撃した人だろうかと武之助は目を見開き、「ソレは誰です。」
 伯爵;「私がギリシャの皇女と言って何時も劇場などに連れて行く鞆絵姫です。」

 武之助;「エエ、あの美人が、どうして」
 伯爵;「どうしてと言われても、姫君は、イヤ、鞆絵姫は当時ヤミナ城に立て籠もっていた一人です。」
 武之助;「それはしかし」
 伯爵;「ヤミナ城主有井宗倫の娘です。世が世ならば、一国一城の主の姫君、それが今では自分の家も、イヤ自分の身分さえも無い、奴隷です。」

 異様に伯爵は自分の言葉に感動した様子である。眼の底に涙が輝いているように見える。不憫のためだろうか。言葉にはなにやら悔しさの響きもある。
 武之助;「オヤ、そのような身分の方ですか。道理で自然に品位が備わっていると思いました。」
 伯爵;「鞆絵姫の部屋に一緒に行きましょう。」

 武之助はしばらく考え、「イイエ、事実を取りただすと言うことは何だか私自ら父を疑い、もしやこのような所業があったのかと、危ぶむようにように当たります。事実の無根という事は勿論ですから、問いただす必要は有りません。これから私は出部嶺か砂田伯かを介添人に頼みます。」

 伯爵もまた考え「けれど、武之助さん、介添人を立てたり、決闘を申し込んだりする前に、貴方一人で猛田に会い、立派に記事を取り消せとと掛け合うのが当然です。彼が穏やかに取り消せばそれで済みます。その手続きをせずに貴方の口からこの「次郎」とは俺の父を示したのだと、たとえ出部嶺や砂田伯にであっても吹聴するような所業は良くありません。」

 この道理は武之助も聞き分けた。「なるほどそうです。まず猛田猛へ直接抗議して謝罪の意を表させましょう。」と言い、彼は一時の猶予も無く新聞社を目指してここを去った。

 後に残った伯爵は、ほとんど神に感謝するように天を仰ぎ、「アア、いよいよ時期が熟して来た。何もかも、私が思うように進んでくる。全く神が導いてくださるのだ。この上にもなお、神の御心をもって、首尾よくこの大任を果たさなければならない。」
 つぶやく声は、一種の祈祷のように聞こえた。

第百八十四 終わり
次(百八十五)

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