巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu35

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

三十五、俺はイタリアの法師梁谷だ

 半ば抱き、半ば引きずるようにして、友太郎がこの人を自分の室に連れ込んだ時の心は、ただ懐かしさ、ただ嬉しさに、外の何事も考えることは出来なかった。全く夢中の状態で、彼はこの人を、窓のところまで引いて行った。

 「先ず良く貴方の顔を見せてください。」
 今は夜ではないのだから、幾ら穴倉の底とは言え、多少は明るい、七年間、この中に慣れた目には、何もかも良く見分けることが出来るのだ。けれど彼はその上にも良く見ようとして、窓のところに引いて行った。引かれる人も、この心情の溢(あふ)れるような振る舞いには抵抗することが出来ないと見える。

 見ればこの人、髪も髭もぼうぼうと延びて、実に友太郎がかって浮世にいた時に見た事の或る人間とは全く違っているように思われる。これで見ると自分だって勿論浮世の人とは全く違ったに違いない。
年は確かに六十、イヤ、幾らかそれよりも上に見える。

 けれど、その実は、年のために年取ったのではなく、苦しみのために老いたのかも知れない。髪は真っ白である。髭だけはそうではなく、未だ若々しいところもあるが、ほとんど、膝に垂れるほどの長さである。体はどちらかといえば先ず小柄の方であるが。骨と筋との逞しいところを見ると、力が強くていかにも牢破りという様な恐ろしい仕事にめげない人と見て取れる。

 友太郎はほとんどこの人を放すことが出来なかった。牢を出られるか、出られないか、その様なことには構ってはいない。ただ相手が出来たことが嬉しいのだ。しかも、自分より勝る相手、年も知識も剛勇も、全く自分の師、自分の父と仰いでもよい。

 「お父さん、お父さん」と彼は叫んだ。「どうか私にお父さんと呼ばせてください。」
 この人はどの様に感じたのか、その濃い、長い眉毛の底に深く落ち込んで光っている眼は友太郎の顔から少しも離れない。けれど、その光にうれしさが籠(こ)もっているか腹立たしさが籠もっているかは少しも分からない。ただ、冷然と静かなことはものに動じない鉄心石腸の人と見える。

 所謂、喜怒色に現れない。けれど、決して荒くて乱暴な相ではない、慈悲の相だ。悪相ではない。善人だ。見れば見るほど威もあり、恩もあって、自然に尊敬の念が生じる。

 この人はしばらくして、「分からない、少しも土牢の地理が分からない。この室は俺の室より、少なくても、一丈五尺(4.5m)は低いのだ。」と言ってゆっくり友太郎を押し退けて、立ち上がった。

 今もって自分の測量の間違いが心に満ちていると見える。そうして牢中を見回したが、この室には二個の窓がある。一つは入り口で、何時も牢番が開いて入って来る戸の脇にあるのだが、いまひとつは、横手の壁のズーと高い所にある。

 これは窓というよりも穴である。ようやく人の頭が出るほどの大きさしかない上に、余り床から離れているので、幾ら伸び上がっても、ここから外を覗くことは出来ない。

 この人は友太郎の寝台を取ってその窓の下へ持って行き、なおその上へ腰掛台を載せ、自分が登って伸び上がり、その窓を覗こうとした。けれど、未だ届かないから、意味ありげに友太郎を顧みた。

 今までこの人することを到底理解することが出来ないように、空しく眺めていた友太郎はその意を察して自分が寝台の上に立ち、背をはしごのようにするとこの人は、肯(うなず)いてその背中によじ登ったが、身の軽いことは軽業師のようである。

 そうしておよそ五分間ほど外を眺めた末、又軽く降りて、「アア、だめだ、どこにどう穴を掘っても、この土牢を逃げ出すことは出来ない。未だ神が許して下さらないのだ。」
 しょんぼりとして言ったけれど、早や諦めてしまったのか、深く愚痴をこぼすような様子はない。

 友太郎;「何故ですか。」
 その人;「この窓が海の方へ向かっていることは、波の音でも分かっているが、この先は全体が岩石になっている。つまり、岩石の一部を切り割ってこの牢を作ったようなものだから、海の方へは、一センチも掘って行くことは出来ない。」

 この一言は生涯この牢を破ることは出来ないと言う宣告に等しいのだ。友太郎は落胆の首を垂れた。
 この人は静かに寝台を元の所へ持って行き、今しも自分がこの部屋へ入って来た壁の穴を調べて、

 「イヤ、この様に不細工に取り崩しては、牢番に悟られる恐れが有る。石一つを差し込める穴があるかないか分からないようにして置かなければならない。と言ってお前には道具が無いから、これ以上のことは出来ないだろう。」

 友太郎;「ですが、貴方は何か道具をお持ちですか。」
 その人;「俺は道具を作るのだけで四年掛かった。今思うと丁度道具が出来た頃が、お前がこの牢に入って来たころだったろう。それから今まで七年の間に、十五メートル以上穴を掘った。

 俺の部屋からこの部屋までまっすぐに計れば約十二メートルの距離だろうが、曲がったために三メートル以上伸びている。この様に掘る事が出来たのも道具のお陰だ。」

 たとえ道具が有るにしても、七年掛かって十五メートルの抜け道を掘る事が出来たとは、ただその根気に敬服する以外は無い。
 友太郎;「それほどの事をなさって、今はもう抜け出ることは出来ないと諦めてしまうのですか。」

 その人;「神のご意思だから仕方が無い。神が抜け出すことを許さない証拠に、海の方面を岩石で塞(ふさ)いである。神のご意思に背(そむ)いて何事が出来るものか。」
 深く神を敬(うやま)う人であることもこれで分かる。

 友太郎;「道具が有ってもですか。」
 その人;「土ならばたとえ石のように硬くなっていても、少しづつ掘ることはできるけれど、天然の岩石は掘る方法がない。実際、ここに来るまでに、十五メートルのうち、十メートルまではほとんど石のように硬く固まっていたけれど、硬くても土は土だ。俺は神のご意思を疑わなかったけれど、最早どうすることも出来ない。」

 言いながら今の穴の中からなにやら道具の様な物を取り出し、「牢の中で、これ以上の鋭利な道具を作れるだろうか。この道具で、岩石を切り抜くことが出来るだろうか。」と言って示した。

 見れば欅(けやき)と見える柄が付いた大きな鑿(のみ)である。世間の鑿に比べたら、鑿と名づけるのさえ恥ずかしい程の物だけれど、土牢の産物としては、全く驚くべきである。

 友太郎;「これだけで十五メートルの穴を」
 その人;「イヤ、外に未だ色々な道具が出来ている。けれど、岩石には叶(かな)わない。」
 兎に角、友太郎の尊敬は深くなるばかりである。

 「牢の中でこの様なことをなさる貴方は一体どなたですか。どうか私を子と思ってお名前を教えてください。」
 その人は始めて友太郎の心情を了解したのか、枯れ木のようなその顔を少しやわらげて、
 「俺は、イタリアの法師梁谷だ。」

第三十五回終わり
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