巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

九、何時までの別れ

 
 時もあろうか、いよいよ婚礼というその間際に逮捕せられるとは、何と言う情けないことだろう。
 友太郎は余りのことに納得することが出来ない。「エ、私を、このーー団友太郎をーー逮捕するのですか。何のために」
 判事;「何の為、それは調べを受ければ直ぐに分かることです。」
 泣いても笑っても追いつく訳はない。

 友太郎;「多分、何かの間違いだろうと思います。」間違いにもせよ、逮捕されなければならない。傍(かたわ)らに居た森江氏も、実にこの場合に可哀想だと思ったけれど、どうすることも出来ない。法律を執行する人に向かって、かれこれ言うのは石に向かって言うようなものである。

 勿論、人々の驚きは一方ではないが、いずれも森江氏と同様である。静かに控えているより外はない。ただ一人、控えていることが出来ないのは父老人である。何もかも打ち忘れて役人の前に身を投げ、聞くにも忍びない悲鳴の声を上げて慈悲《なさけ》を請うた。

 「この子に限って逮捕されるような事は致しません。永年思い思われた女とこの通り婚礼する間際と言い、雇い主から船長に取り立てられることに成っていますもの、何で罪を犯すような後先見ずの事を致しましょう。それでも、どうしても逮捕しなければならないと言うなら、慈悲ですから婚礼の済んだ後に、それまでのところこの父を、代わりにお引き立てくださるように。」

 親でなくてどうしてこのような言葉が出るだろう。石も動かされることはある。流石に法律の執行者も幾分気の毒に感じたか「イヤ、その様な人ならば、第一回の調べで直ぐ釈放されるでしょう。正直な人は少しも逮捕を恐れるには及びません。」

 恐れるに及ばないと言っても、恐れずに居られようか。けれど友太郎は、全く身に何の暗いところも無いのだから悪びれた様子は無い。声も確かに、一同に向かい「ナニ、直ぐに帰ってきますよ。」と言い、特に親しい人には一々に握手した。

 この間にも人々と違って一種別様な驚きを感じたのは彼の毛太郎次である。彼の胸には昨夜段倉が左手で書いた密告書の様子がはっきりと浮んできて、多分あの手紙を、次郎が差し出したに違いない、こう思って次郎の方を見ると、次郎は身を隠したと見え、この場には居ない。心が咎めていたたまれないことになったのだろう。

 毛太郎次は段倉に向かい「ソレ、お前があのようなことをするから、このようなことになったじゃないか。」段倉は空とぼけて「その様なこととは」
 毛;「左の手で書いた手紙だよ」
 段倉;「あの手紙が何でこのことに関係が有るものか。冗談に書いたものだから直ぐに破って捨てたもの」

 毛;「ナニ破りはしない。捨てたけれど、そのまま無傷で捨てたのだ、俺はあの手紙が余りしわにさえならずに部屋の隅に落ちていることまで思い出した。」と言ったところで後の祭りだ。それに人々は皆自分自分の想像を持ち出していて、毛太郎次の言葉に耳を傾けようともしない。

 そのうちに友太郎は捕吏に連れられて二階を下りて、外に待っている馬車に乗せられた。
 この時までも、お露は友太郎の落ち着いた様子を見て、自ずから気丈夫に思い、別に驚きもしなかったが、いよいよ友太郎が引き立てられて、去るとなると、なんとも言えない悲しさが、胸を劈(つんざ)く様にこみ上げた。

 急いで二階の窓に行き、下を見て、「友さん、友さん、どうぞ直ぐ帰って来てくださいよ。待っていますから。」千万無量の辛い思いが言葉の調子に現れている。友太郎も馬車の中から顔を出し、お露を見上げた。見上げる顔、見下ろす顔、これが何時までの別れだろう。知らないのがかえって幸いかも知れない。

 やがて友太郎の馬車が町の角を曲がって隠れると共に、お露は声を上げて泣いた。けれど、人々に助けられ、静かな方の椅子の上に乗せられたが、これからはただ首(こうべ)を垂れ、黙然として何事かを考えるのみである。

 森江氏は一同に向かい「皆様、悲しむだけではどうしようも有りません、兎に角、何の嫌疑だか、私が町まで行って聞いて来ます。」誰もが嫌疑の内容を知りたいので、熱心に森江氏の骨折りに感謝した。氏はすぐに馬車で出かけた。その後、誰一人として立ち去ろうとはしなかった。皆森江氏が帰って来て報告するまで待っている。

 この時まで友太郎の父とお露とは、離れて別々にただ考えて居たが、考えるに従って、益々悲しさが募って来ると見え、果ては言い合わせたように椅子を離れ、互いに走り寄って抱き合った。
 「オオ、お露、」
 露;「お父さん」
 父;「残念なことになったのう。」
 お露;「悲しいことになりました。」

 お露は心の激動に耐えられずそのまま気絶してしまった。
 丁度この所に、どこから帰って来たのか、あの次郎が現れた。彼は誰より先にお露を介抱するべきなのに、手が震えて介抱が出来ない。いたわる言葉を発するべき声さえも喉を出ない。

 しばらくすると森江氏が帰って来た。その顔は出て行く時より又一層曇っていて、そうして重々しい声で、「皆様、思ったよりも重大な嫌疑です。ナポレオン党の陰謀に組したと言うので、即ち国事犯です。」

 国事犯と言い、ナポレオン党の陰謀と言う言葉が、この頃いかに恐ろしく人々の耳に響いたかは歴史を読む者の知るところである。もし余り友太郎に同情を表して巻き添えになってはならないとの恐れが、言わず語らず一同の心に満ちた。

 毛太郎次は顔色を変えて段倉に向かい、「ソレ、お前が手紙を書いた通りではないか。」段倉は最早争うことが出来ない。「アア、分かった、後で次郎めが、あの手紙を拾い上げて、きっと郵便に出したのだ。本当にひどいやつだなア。」全くどっちがひどいのか分からない。

 毛;「あのような根も葉もない事から友さんがこのようになったのなら、そのことをとっつぁんに知らせてやろう。」早や父老人の方に行きかけた。彼毛太郎次は、まだ度胸の有る悪人ではない。少し友太郎の出世をうらやみはしたけれど、ソレは小人の常と言うもので、深く友太郎を害する様な気持ちは無いのだ。

 段倉は鋭く彼の顔を睨みつけて、「馬鹿め、今友太郎に同情を寄せるような素振り少しでも見せては、その筋からどの様な目に合うか知れない。あのことを口外するなら、明朝は自分が捕縛されるつもりでいよ。実際、友太郎はナポレオンが居るエルバ島へも立ち寄ったのだ。どれほどの罪があるか分からない。」

 この一言に毛太郎次は縮みあがった。勿論、自分の身に危うい事をしてまで友太郎の父親を慰めるほどの熱心さは無いのだから、そのまま硬く口を閉じ、再び誰に向かっても口外しなかった。

 間もなく、父老人は森江氏に助けられ、お露の方は、震えている親族総代、あの次郎に連れられて、それぞれ家に帰った。家を出る時と、帰った時の心持ちはどれほどの違いだろう。思いやるのさえ気の毒である。一人このことに一方ならず満足したのは段倉である。「これで先ず船長は俺になった。」一人心に呟いた。

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