巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第四十回 穴から出て来た男

 

 この様に町川がペリゴーで様々に働いて居るその留守宅に、柳條健児は堅く町川の言葉を守り、その家の二階に籠ったまま外出もせず、今は身体も以前の様に復し、散歩運動なども差し支えない程に恢復して来たけれど、瀬浪嬢とその父親栄三とが毎日、日の暮れから尋ねて来て懇話(はなし)に夜を更かすのを、散歩運動に数倍勝る楽しみとはなって居た。

 栄三も瀬浪嬢も、初めて柳條が歌牌室の一条から決闘の始末を聞いた時は、非常に驚いたけれど、過ぎた事なので咎めもせず、唯彼が馬平侯爵から預かった大金を返す期限(九月十一日)が、次第に近づいて来るのを栄三は患(うれ)い、初めの中は彼是(かれこれ)心配の色を現わしていたが、今では全く断念し、その時こそは銀行の財産を洗い浚(ざら)い差し出して、義務を尽くし再び昔の貧窮に帰るだけだと思案の臍(ほぞ)を固めた様に、心配気な顔もせず、金子の金の字も言い出さなかった。

 柳條は返って之を気の毒に思い、今にも町川の働きで、今井兼女の事が埒(らち)明けば、叔父の財産が我が物となるので、銀行の事は患(うれえ)るに足らないと慰めていたけれど、栄三は我が財産さえ当てにならない世なので、叔父の財産は手に入るまで、当てにしないことこそ肝腎だと答えた。

 然らばペリゴーに残してある地面を売ろうと言うと、地面は万一零落(おちぶ)れた時、命を繋ぐ資本(もとで)なので、売り急ぎはしないのが好いと言って、話しを外の事に紛らすので、柳條は何とかして一日も早く町川から吉報を聞き、栄三の心を休めようと、そればかりを思っていたが、生憎、町川からは第一回の通信が着いただけで、その後は何の便りもなかった。

 この様にして幾日をも空しく過ごして居たが、或る日の事、栄三は何時もより不機嫌な顔色で入って来たので、柳條は怪しんでその訳を強く問うた。初めは黙して言わなかったが、終に隠し兼ね、実は今日馬平侯爵の母君と言う老婦人が尋ねて来て、瀬浪を息子の妻に呉れと言って、婚礼の事を言い出したので、充分に断ったけれど、この様に貴族が跋扈(ばっこ)《のさばること》するのを見るに附け、日頃の憎しみが浮かんで来て、今もまだ忌(いま)わしさに我慢が出来ないと言って、非常に慷慨(こうがい)《世の中の不正にいきどおり嘆く事》の語を吐いて止まなかった。

 柳條も兼ねてから貴族を憎んで居る事に加え、更に我が物と定まって居る瀬浪嬢を、妻にしようと云うその無礼なる振舞いを憤ったが、唯富貴に眼を眩(くら)まさない栄三の潔白な心に感じ、且つは傍に在る瀬浪嬢の顔にも充分馬平侯爵を嫌う色が現われて居たので、柳條は全く安心し、嬢と共々に栄三を慰めて、後は例(いつ)もに変わりなく雑話に夜を更かして分かれた。

 翌夜も又栄三は尋ねて来て、此の夜も同じく不機嫌な色が見えたので、柳條は差し寄って、
 「又馬平侯爵が尋ねて来たのではないでしょうネ。」
と云いつつ、傍に居る瀬浪を後眼(尻目)に掛けると、嬢はその意を悟ってか、そのまま次の間に退いた。後に栄三は声を潜め,
 「外でもないが、実はその筋で秘密党の探索が非常に厳しくて。」

 柳「エ秘密党の」
 栄「イヤ隠すには及ばない。お前や此の家の主人町川が以前から秘密革命党に加わって居る事は、私も良く知って居る。」
 柳「でもその党は解散して。」
 栄「イヤ解散してもその筋では爾(そう)は認めない。既に今日旧秘密党員で一人捕縛されたと云う噂。お前も町川も事に寄ると睨まれて居るかも知れない。私はそれが気に掛かるから遣って来たが、お前は至急引っ越しなさい。至急にーーー」

 柳「それは引っ越しも仕ましょうがーーー」
 栄「引っ越しても私と嬢とは毎日尋ねて行くから」
 柳「ナニ嬢さえ、イヤ貴方さえ尋ねて来て下されば、何も此の家には限りませんから、何所へでも引き移ります。」
 栄「もう嬢とも相談を決めて来たが、何でも町尽(はず)れの静かな所がーーー余りその筋が目を附けない所が好かろう。」

 柳「何所でも私は同じ事です。」
 栄「それでは斯(こ)うしなさい。明朝食後に此の家を出て何所でも気に入った所があれば、直ぐにそれを借り、もう此の家へは帰らずに、直ちに其所を住居と定め、私の所へ郵便で知らせて寄越せば。」
 柳「ハイ爾(そう)しましょう。」

 是にて相談は決まり、此の夜は栄三も分かれて帰ったが、柳條は翌朝食事を済ませ、約束の様に此の家を立出たけれど、さて何を目当てに我が行く先を定めるべきだろう。町尽(はず)れなので、何の方角に向かおうかと、未だ思案も定まらない中、足はふだん歩み慣れた門苫取(モンマルトル)の方へ、早や岡の真近かまで進んで行った。

 ここに来ると直ぐに思い出だすのは、彼の恐ろしい穴の事である。穴の中に国事探偵老白狐を生き埋めにした一事である。既に二カ月ほど過ぎた事とは云え、柳條は思い出して慄(ぞっ)としたが、恐ろしい物は見度いの譬(たと)え。彼の穴は今は何うなっているのだろう。その入口は道行く人の目には触れないが、夜見ると昼見るとでは、又幾分の違いがあるに違いないなどと思うに連れて益々見度くなり、岡の麓に添い徐々(しずしず)と歩むうち、早や入口間近に進んで来た。

 見れば草が茫茫と生え茂り、何所が穴だとも見分け難い程であるが、唯怪しむべきは、此の頃何者かが草を推し分け、その穴に入ったと見え、穴の口まで一筋の痕を留めて居た。柳條は余りの怪しさに目を見開いたが、此の時穴の中から窺々(こそこそ)と出て来る男があった。

 年は三十四、五かと思われ、背高くして肉痩せたりと見えるが、柳條の姿を見て横手の草中に伏せ隠れようとしたが、今更隠れるのもその甲斐なしと心附いてか、又も周章(あわただ)しく一方に向き、町の方へと歩み去る様子である。此の男は抑(そもそ)も何者だろう。その筋の探偵で此の穴の中を探ろうとした者か、それとも柳條と同じく秘密党の一員であるか。

 此の二つでなければ、ここに穴のあるのを知る筈はなく、草を押し分けて入る筈がない。何方にしても怪しむべき奴だと思ったので柳條は足を返し、その男の後を尾(つ)けて行くと、彼は往来を左右に折れ曲がり、但(と)有る横町に入って、その中ほどにある非常に静かな家の戸を開き、姿は戸の中に隠れた。

 此の町の名は何と云うのだろうと傍(かたへ)の表札を見ると、湖南街とあり、湖南街とは聞いたことがある名であると又も足を進め、今彼が隠れた家の前に至ると、入口の戸を開けたままである。
「フム彼奴め、事に由ると俺を此の家に誘い込む積りで、わざと戸を開け放して置いたのかも知れない。」
と細語(ささや)いたのは、感心の思い付きなれど、実は彼(あ)の男ーー内より柳條の行動を覘(のぞ)く爲め、此の様に開いて置いたとは柳條は未だ悟る事が出来ない。

 「爾(そう)だ。此の中へ踏み込むのは危険だ。」
と呟きながらその門札を眺めると、十三番地とある。アー湖南街十三番地、此の番地を見て柳條は忽(たちま)ち思い出した。先に我が党員の長谷川何某等が踏み込んで、彼の老白狐を捕らえたのも確かに湖南街十三番地であると聞いた。即ち活き埋めにせられた老白狐の住居ではないか。そうとすれば今の男も只者には豈(よ)もやあるまい。


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