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野の花(前篇)

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ミセス・トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳   トシ 口語訳

野の花

      六十三 「顔は覆面(ベール)に隠れて居る」

 真に、品子にもし自分の子が有ったなら、良彦を殺してしまうだろう。無くてさえこれほど憎むのだから。
 暗い暗い心の中で品子が嫉妬の念を燃やしている間に、春田博士は冽に向かい、用事の内容を説明し、先ほど品子に言っただけのことを繰り返した。

 勿論、冽としても、学校の女子部の事務長として、柳川夫人の後任に雇うべき適当な女性を知らない。しばらく考えた末、
 「どうも新聞紙の求人広告欄に、この旨を載せて、広く世間から適任者を募って見る外は無いでしょう。」

 「ハイ、貴方方にこれと言ったお心当たりが無ければ、私もそうする外は無いだろうと、実は思っています。」
 冽は品子の方を向き、
 「ねえ、品子、有力な新聞紙に求人広告を出すのが一番良いのではないかと思うが。」
と言い、じっと品子の顔を見て少し驚いた。品子の顔に非常に陰険な相が現れていたのだ。

 品子は言いかけられて、初めて気が付き、あわてて笑顔に立ち返った。良くは冽の言葉を聞かなかったが、調子を合わすのに長けている女なので、あたかも熱心に聞いていたように、
 「私もそう思います。新聞紙の求人広告はなかなか効果があるそうですから。」
 話はこれで一決した。

 「では早速、求人広告を出しますが、百ポンドの年俸が得られる地位ですので、必ず申し込み人が沢山あるでしょう。そこで、申込人は、一応呼び出して、親しく会って様子を見た上で、採用しなければなりませんが、子爵夫人、貴方がお会い下さるでしょうか。」

 「イヤ、私は余り名が出るのは好みませんから、やはり貴方に一任致します。」
 自分は名を出さないと言うことがひどく自慢で、機会さえあれば「名を出さない」
との一句を言葉のどこかに巧みに挟むのだ。
 「イヤ、何時もながら感心なお心がけです。それでは私が一存で、しかるべく取り計らいましょう。」

 話は終わって博士は立ち去った。冽も品子もめいめい自分の部屋に帰って行った。分かれるときに冽は軽く品子を振り返り、
 「もし、その辺に良彦が居たら、私の部屋に来るように言っておくれ。」

 品子は「ハイ」と言って立ち去るうち、廊下の一方から、良彦が庭の木の陰に涼んでいるのを見た。別に憎げを帯びない声で、今の冽の言葉を伝えた。良彦が承知して立ち去る様子を見ては、又最前の心がこみ上げて、
 「本当に母親そっくりだよ。私は自分に子供が有れば殺してしまうのに。」
と又つぶやいた。

 これから数日の後、全国の諸方から、求人広告を見て、様々な申し込みが春田博士の手元に集まった。博士は評議員を集めていちいちその申し込み書を点検し、多くの中から三人だけを選んで候補者と定め、そのうち皆で集まって、採用の諾否を決めるから、ともかく当地まで出頭するようにと、その日取りを決めて、郵便為替に旅費まで添えて手紙を出した。

 三人を選んだのは、多くの中でこの三人が、年の頃や、履歴や、紹介者の身分などが、一番良さそうに見えた為である。
 いよいよ当日は、博士の外に、評議委員の婦人数名、女子部の事務室に席を構え、帳簿を前に置いて、控え室に待たせてある、三人の候補者を、決めておいた時間に、一人づつ順に呼び出した。

 第一に入って来たのは、芦沢嬢と名乗る、痩せた背の高い女性である。二十年ほども女子の教育に従事し、教育よりほかの事は何も知らないと申込書に記してあったが、あたかも兵士のように真っ直ぐに歩いて来て、博士の前にぴたりと立ち止まり、一同に敬礼をした。

 そして座に着くや否や、
 「先ず私の教育理念から申し上げます。」
と称して、遠くギリシャ時代の事柄から滔滔(とうとう)と説き起こしたが、評議員夫人の多くは、ほとんど恐れをなした。このような人に娘の教育を任せては大変だと言う念が、申し合わせたように一同の胸に湧き上がった。

 長い長い演説の済むや否や、
 「後刻、何分の沙汰があるまで元の控え室にお待ちください。」
と博士から言い渡して、次の候補者を呼び出した。

 これは城山夫人と言うのだが、前のとは何処から何処まで正反対だ。背も低く丸々と太っていて、非常に派手な衣服を着て、入って来るや否や、一同に愛嬌を振りまき、この笑顔に抵抗できますかと言うように席に着いた。

 これは又、自分の経験話で、何がしの令嬢は非常に素行が悪かったが、自分の手でどのように仕立て上げて、今は何処の金満家の令夫人になっているの、何家の娘は自分の教育でどのように出世したのと、二十人以上も数え上げた。

 が、その物言いの騒々しいところから、振る舞いの下品なこと、ほとんど話しにならない。ただ何処までも自分の愛嬌で以って年俸百ポンドの地位を占めようと決心しているらしいが、無い愛嬌を無理に絞りだすのは、余り人にうれしがられるものではない。やがて前のと同じような言葉を以って元の控え室に返された。

 二人ともこのようで有ってみれば、最早や三人目もほとんど呼び入れるに及ばないだろうから、いっそ旅費だけ損として、更に広告を、し直そうかと言う意見も起こり、一同失望の中にほぼこの意見に決まりかけた。

 けれどそれにしても、一応は呼び入れて見るのが当然だと、博士は博士だけに、もっともな判断を下し、更に自分の前に広げてある書類を見たが、三人目の人は河田夫人と記してあり、セプトンの石田宣教師の紹介状有りと付記してある。

 やがて呼び入れに応じてここに来た。前の二人とは大違いで、ただその歩き方のしとやかなところを見ただけでも、確かに品位ある貴婦人と思われる。頭には未亡人の頭巾をかぶり、顔は濃いベールで覆われている。


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