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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nonohana95

野の花(後篇)

トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳 トシ口語訳

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ミセス・トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳   トシ 口語訳

野の花

    九十五 「世襲とは何ですか」

 それはさておき、品子が良彦を憎むことは実に一通りではない。自分の子品彦の可愛いさが日に日に増して行くのと同じ割合で、良彦を憎む気持ちが大きくなって行くのだ。

 何事に付けても品彦と良彦との間に優劣を付ける。人に向かっても、どうしても良彦がこの家を相続してはならないように話し、品彦がこの家を相続しなければならないように説き立てる。

 勿論、弁が立つ女だから、少しも口実の無いところに、うまい口実をこしらえ、無理極まることを道理らしく作ってしまうのだ。とは言え事実の上では良彦は明白な兄、品彦は明白な弟。

 自然に定まっているこの順序を舌の先で、覆(くつがえ)すことは出来ない。ところがそれをさえ、覆そうとするから恐ろしい。最初は、ただ、品彦の方が良彦よりも父に似ているというだけの薄弱な口実であったが、後には更に血統論を持ち出した。

 これも、勿論出すべき余地は無いのだ。誰が見ても、イヤ誰に見せなくても、良彦は血統の上から貴族の嫡流、正しい冽の長男である。外の人が持ち出せばその血統論は、ただ物笑いとなってしまうところだが、品子の口から出ると、笑う人がいない。

 その主意たるや、良彦は純粋な貴族の子ではないということにあるのだ。平民の腹に宿ったから、半貴族半平民だと言うのだ。その意味の中に、貴族の家は貴族が相続すべきで、半平民が相続すべきではないとの心がこめられている。

 そうして、いつもその言葉を結ぶのに、
 「家に貴族の血だけを受け継いだ純粋な子がいなければ兎に角、それがあるのにわざわざ半平民を主人にするとは先祖に対して恐れ多いでは有りませんか。」
と言うのだ。

 しかし、まさか夫冽に向かってはこのようなことは言わない。言えばどれ程腹を立てるかも知れない。ただ自分のところにご機嫌伺いに来る人達のうち、聞かせても差し支えの無い人にだけ言うのだ。

 しだいしだいに外から世論を作って、良彦排斥の目的を達しようとする遠謀らしい。この人にはこれ位、彼の人には彼くらいと、人に応じて言葉の分量を調整してゆく加減は、実にうまいものだ。極々気を許した人に向かっては、良彦を「雑種児(あいのこ)」とまで言うことも有る。

 けれど、良彦は心の綺麗なことはその産みの母と同じく、当世に類(たぐい)の無いほどである。所謂(いわゆる)、「栴檀(せんだん)は双葉よりかんばし」で、ある時も父に向かって、
 「お父さん、執事がこの瀬水城の財産などは総て世襲だと話していましたが、世襲とは何ですか。」
と聞いた。

 父;「世襲とは代々長男から長男に伝わるもので、どのような事があっても、血筋の順序を追って相続すると言うことさ。当家は始まった時からそう決まっている。この後何代を経ても総てその通りだ。」

 良彦;「だってそれはあんまりな決め方では有りませんか。そうすると、僕のいるうちは、品彦などは、少しも財産を分けてもらうことが出来ないのですね。」

 冽は何時に無く腹立たしそうに、
 「執事等がその様なことを噂していたのか。けしからん事だ。」とほとんど叱るように言った。
 さては、うすうす家の中で良彦と品彦との党が分かれ、今から相続のことをかれこれ言うのかと気付き、事のついでにそれらを制する積りと見える。

 良彦;「ナニ、執事はただ世襲という話をしていたから、僕がその様な事柄だろうと察したのです。財産でも何でも品彦と僕とで二人へ同じように分ければよいでしょう。」

 父;「相続をその様に自由にすれば、後々家が絶える恐れが有る。それだから連綿と続く家は、世襲法に決まっていて、どうすることも出来ない。」

 良彦;「僕は河田夫人にも聞きました。兄だからと言って一人で親の家を自分の家にするような決まりは、弟にむごい規則ではないだろうかと。」
 父;「その時河田夫人は何と答えた。」
 良彦;「世間は総てむごいものですよと言いました。」

 父:「そうだ、世間が総てこの通りだからこれに従わなければならない。昔からこの家に弟と生まれた者で、決して兄を置いて相続したり、兄とその相続を分けたりした者はいない。生まれない前から決まっているのだから。」

 良彦;「では、品彦を長男に生まれさせてやりたかった。僕は品彦を兄にしたいと思いますよ。」
 父;「まだ相続などの法律のことはお前には分からない。成長して良く勉強すれば自然に納得が行く時が来る。」

 この問答でも良彦がどれ程寛大な慈悲深い生れ付きかと言うことが分かる。通例の継母がもしこの言葉を聞けば、直ちに角(つの)が折れて、兄の性質を愛することにならなければならない。弟を自分の兄にしたいなど実に有り難いとも言うべき心構えだ。

 ところが品子は実際この問答を漏れ聞いたのだ。聞いて良彦の心を有り難く思わないだけでなく、益々憎むこととなった。このような性質では、後々まで何の落ち度も無く過ぎて、この身がどのように排斥したところで、到底父の機嫌を損なうようにはならないと、絶望と腹立たしさが込み上げて、それが総て憎しみに加わってしまったのだ。

 このような訳だから、機会さえあれば、良彦をいじめる。良彦自らいじめられると知っているけれど、ここは、母澄子の気質を受け継いで、柔らかな中に毅然としたところがある。決していじめられたような顔をしない。辛くても辛いと言わず、父に向かって訴えるなどのことは毛ほども無い。

 ところがこのような気質でさえ、怒らずにはいられない時が来た。それは外でもない。ある時品子が小言の後で、
 「本当に『雑種児(あいのこ)』は仕方が無いよ。」
との捨て台詞(せりふ)を洩らしたのだ。

 良彦は良くその意味が分かった。痛いことや辛いことは何処までも我慢するが、ただ侮辱だけは我慢することが出来ない。人を『雑種児』とは何事だ。これ以上の侮(あなど)りや辱(はずかし)めがあるだろうか。

 これがこのまま聞き捨てられようかと、愛らしい顔の表情を変えた。




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