巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

nyoyasha16

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 4.22

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如夜叉    涙香小子訳

                        第十六回 

 入って来た女は誰だろう。まあ坊では無い。松子でもない。先程質屋の店先で一ルイの金貨を与え明日西山の家へ尋ねてくるようにと云い付けた彼の貧しき女であった。長々は気抜けがし、
 「何だ馬鹿馬鹿しい、薄命な女と思って大事な金貨を恵んでやったらアノ天狗に合図する様な根性の腐った女であったか。俺の眼力も当てにはならない。二度と再び人などを救うものじゃない。」
と呟(つぶ)やいた。

 しかしこの女はそうまで根性が腐っては居ない。又長々を騙したのでもなかった。事情はこれからの振舞で知ることができるだろう。長々の呟きがまだ終わらないうち、女は一文字に天狗っ鼻の許に行き、そのテーブルの前に突立ち、言葉さえ荒々しく、
 「何だネエ、竹さん」
と叫ぶ。さては鼻の名は竹次郎若しくは竹蔵の類なのか。彼此の声に驚いて、
 「何が何だ」
と言いながら顔を上げれば、久しく見捨てている我が女房の姿なのに驚くと共に且つ怒り、

 「何だお紋、この様な所に尋ねて来やがって、手前の様な者に用は無い」
 (紋)「お前が無くても私にはあるよ。飢えて死に掛かっている子供をどうしておくれだ」
 (竹)「俺が知るかエ。勝手にしろ。」
 (紋)「勝手にスるからスルだけの金をお呉れナア、今お呉れ」
 (竹)「エエうるさい奴だ。金は無い。」

 (紋)「金の無い者がどうして酒店に入って居る。それにまあ呆れた者だ。この身なりは何の真似だエ、兵隊の服など着けてサ。お前これから一杯飲んで公園地へ仮装舞踏とやらに行く気だろう。その様な贅沢をする金があって女房子供を救う金が無いのかエ。私と子供を乾し殺す積りかエ」
 (竹)「ふざけるなエ。この着物は自分の金で借りたのじゃァネエ。」

 (紋)「そうだろう。自分の金で借りたのじゃァあるまいよ。私の持っているものを皆剥ぎ上げたお前だから、私の金で借りたのだろう。残りだけを私にお返し。サアお返しよ。返して呉れ。私もネ、末の見込みの無い亭主を亭主とは思わないから。子供さえなけりゃお前に口も聞くのじゃないが、二人の子が食うや食わずで」
と子供の事に言葉移れば流石に女は耐え難くてか、涙が先ず催し来た。声も震えて云い終わらず。

 竹は少しも感じない様子で、
 「それほど子供に困るなら教育院の前に捨てに行け」
と意地の悪い一言にお紋は忽(たちま)ちむせ返り、
 「お前は本当に人でなしだ」
と声を放って泣き出そうとしたが、ここはこれ何時何人の来るかも知れない場所なので、それに恥じてか漸(ようや)く声を飲み込み、更に調子を優しくして、

 「お聞きよ竹さん、お前が家を出てからもう二年余りだが、その間一文でもお前に送って貰ったことは無く、二人の子供が成長してお前に似てはならぬと思えば、結局居ないのが幸いだから、お前の居所も尋ねはしない。よくよく困って私の内職で儲ける銭をお前が搾り取って使ったのも此の店だと思い、ツイ覗く気になって覗いたら丁度お前が見えたから呼び出そう思って窓の戸を叩いたけれど返事もせずサ」

 (竹)それが若し聞こえたら直ぐに出て行って手前の片を付ける所であったのに」
 (紋)「片を付けるとは殺す気だろうアア殺してお呉れ、そうすれば子供はお前を恨むだろうが私はそのほうが安楽だ。」
 竹はこの語に忽ち恐ろしい決心を起こしたように一杯の酒をグッと飲み干し、
 「手前は本当に厄介者だ。ここで彼是言っても始まらない。金を遣るから外へ来い」
と言い立ち上がって勘定を済まそうとうる。

 この時迄も傍らから知らない顔で伺っていた長々生は、
 「フム矢張り俺の眼力が確かだった。女は全くの正直者だが男は非常な悪人だ。金を遣ると云うのは殺す気に決まっている。ナニ殺させるものか。俺が見え隠れに尾(つ)けて行きアノ鼻を捻折ってやる。今夜女を助けて置けば明日は約束通り師匠の家へ訪ねて来るから、色々問うことがある。フム先程の一ルイの金貨も詰まり無駄ではなかったな。」

と呟くと帳場に居た馬尾蔵も見兼ねて、『まあ坊』の手下の者が如何なる犯罪をも恐れないのを知っているので、捨てては置けないと思ったようで、帳場から降りて来て、天狗ッ鼻の肩に手を置き、
 「いけねエ、いけねエ。二人で一緒にこの店を出ることは出来ない。サア女中、お前は先へ帰るが好い。相談が有るなら今度会った時にするとして、サア帰りなさい。お前が二十町(約2.2km)行く頃までこの男を出さないから。」

 お紋も竹と一緒に出れば例え殺されないまでも散々に打着(ちょうちゃく)《なぐられる》されるだけなのを知っているので、今は長居する心もない。
 「その様に意地悪くして、どうせ好い事はないから竹さん。お前も覚えてお出で」
と言い、此方にその身を振り向けんとして端しなく長々と顔を合わせた。お紋は好いところで恩人に会ったと思い、直ちに長々の傍に寄り、力を請わんとする様子を長々は早くも察し、我が唇に指を当て、

 「無言、無言」
との意を示すと、お紋は好く之を悟り、
 「では帰りますよ。」
の言葉を残しその儘(まま)外に出て去った。長々は殆ど天狗ッ鼻の喉首を掴み潰(つぶ)してやろうかと思うほど面憎(つらにく)かったが、彼には色々聞くことがあると思うので、その様子を更に見せず却(かえ)って顔に笑みを浮かばせて彼のテーブルに座を移し、

 「女房てエものァ持つ者じゃ無(ね)エなァ。手前(てめい)が余りのろ過ぎるから図に乗るんだ」
と持ち掛けると、彼は別に長々の心の底を疑わず、
 「のろいかのろく無エかこの次にやァ見てエて呉れ。」
 (長)「口だけは剛毅(ごうぎ)に強(つえ)エぞ。その積りで一杯献(さ)そうじゃ無(ね)エか」
と言いつつ給仕に向かい、三杯のブランデーを命ずると天狗ッ鼻は辞(いな)みもせず、

 「アア馳走にになっても今夜は奢り返すだけの金があるから安心だ」
とズボンのポケット叩き鳴らす。中には戛然(かつぜん)なる金貨の音あり。咄(トツ)、此の悪人め、女房には一銭も無いと言い、我には金貨があるのを誇り示すかと長々は心の裏にて罵りながらも、
 「奢り返すも何も無(ね)エ、まあ飲め。手前今夜は公園へ踊りに行くのだろう。俺も行くから一緒に行こう。だが全体手前(てめえ)の組合は何うしたんだ。久しく見受けねエが」

 (竹)「俺の組合とは」
 (長)「とぼけるな、畜生手前は何時も花嫁の服を着けて活惚(かっぽれ)踊ったくせに」
 (竹)「エ何だと俺が花嫁の服を着けた頃から手前は俺を知っていたのか。」
 (長)「知らなくてどうする。踊りと聞いちゃ逃したことの無(ね)エ俺だ者」

 (竹)「フム、こいつァ少し話せるな」
 (長)「だが兄弟」
 早同胞にでもなったように、
 (長)「な兄弟、マア坊の居た頃はお互いに面白かったナア」
と言う。この一語が大事の試験、天狗ッ鼻は少し怪しみ、
 「エ手前まあ坊を知っているのか」
と問い返す、長々生は腹の中にて、
 「サア占めた、もう捕えたぞ」

注;戛然(かつぜん)----金石のかち合う音のさま
注:咄(トツ)---------舌打ちの音
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