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nyoyasha67

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 6.13

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如夜叉              涙香小史 訳

                  第六十七回 

 三峯老人を子殺しの罪で訴えるというのを聞き、筆斎は実に茶谷立夫が悪心の何処までも深いのに驚いた。「窮鼠かえって猫を噛む」、彼、己(おのれ)の身が攻められるのを苦しんで如何ような事をするか分からないので、先ず用心するの越したことはないと思い、よろしいそれでは私も明日の正午にクラブに行き、貴方に会って決闘の手はずを決めるまで警察に訴えるのは待ちましょう。」
と言う。

 茶谷は非常に憎々しく、
 「その言葉をお忘れなさるな。」
と言い返し、最早これ以外の手段が無いのを覚ったように荒々しく玄関の戸を閉めて部屋の中に退いた。筆斎は片手に彼の悪紳士を引き立てながら門の際まで歩み出てなおも辺りを見回すと、誰も背後より尾行する者が居ないので先ず好しと安心し、

 「フム、茶谷はあのような事を言って明日の昼まで猶予させ、その間に用意して『松あ坊』と共に出奔するつもりだろう。」
とつぶやき、更に彼の悪紳士に馬車の用意を命じると、彼は宛も筆斎の下僕かと疑われるばかりに平身低頭して立ち働く。そもそもこの者を誰とするか、即ちクラブの給仕にして男爵ロスチャイルドと綽名される彼の大糟何某である。

 彼は茶谷に貸金があって、茶谷と亀子の婚礼が破れるとその金を取り戻すことが出来なくなるのを知って、茶谷に頼まれたままその手先になって立ち働き、紳士に化けて亀子を誘(おび)き出したものだった。彼は今はほとんど絶望の様子で、
 「アア千五百フランの貸金もこれでもう倒れてしまった。」
と呟(つぶや)くのを筆斎は聞き咎めて、

 「それは自分の過ちだ。ただそれだけでは済まさないぞ。定年未満の女を誘拐すれば懲役にやられることを知っているだろう。今に見ろ、警察に引き渡してやる。」
 大糟はこの言葉に震え上がり、
 「筆斎さん、そればかりは御免ください。私が門前で白状したからこそ貴方も嬢様がこの別荘の中で苦しんでいらっしゃることを知り、この通りお助け申すことが出来たのではありませんか。この上私を警察に訴えては恩を仇と言うものです。」

 (筆)馬鹿を言うな。その白状も俺がピストルを見せたからやっとする気になったのだ。しかし、この上の貴様の心掛け一つで随分許してやらない者でもない。
 (大)ハイ、何のような事でもしますから、警察ばかりはどうぞお許しなさって。
 (筆)フム、口先のうまいのに似合わず度胸のない奴だ。貴様の様な奴にまだ悪事は出来ない。
 (大)ですからもうお許しを。

 (筆)好し、好し、警察だけは許してやるから、その代わり今夜の事を決して他言しないようにしろ。
 (大)それはもう私の恥にもなりますから女房にも他言はしません。
 (筆)愈々他言しないとならば茶谷に貸した金だけは俺から払ってやらないでもない。もし少しでも他言の疑いがあれば直に訴えるぞ。

 こう言ううちにも筆斎の腕にすがっている亀子の身はわなわなと震えほとんど絶入るかと気遣われる程なので筆斎はそれと気付いて大糟を急かし立て、亀子を先ず馬車に乗せ、己(おのれ)もその傍に座を占めた。これから馬車の走る中にも筆斎は亀子をいたわり、
 「まあまあこうしてお連れ申すことが出来たのは何よりも幸せでした。」
というと亀子も疲れ果てた声音で、
 「このご恩は忘れません。父が定めし気遣っているでしょう。」
と言う。

 (筆)イイエ、実は父上にはまだお目にかかっていないのです。私はこの一週間前から少し訳があってネリーの町々を毎日調べていますが、今日も何時もの通り調べていて何気なくあの寂しい所まで行きますと前から見覚えのあるクラブの共用馬車が居て、その傍に今の大糟と言う男が紳士の服を着て張番をしていますから、これには何か仔細がなくてはならないと思い、様々に脅し問いますと茶谷に頼まれ貴方を騙して連れ込んだことが分かったのです。」
と言ってこれよりそろそろ言葉を転じて茶谷の恐ろしい目論見から松子夫人の『松あ坊』の身の上等を悉く語り聞かせ、猶も春野耕次郎の事に及び、滾滾(こんこん)と説いた上、

 「貴方が生涯の幸福を共にする夫は春野耕次郎の様な正直な人の他には有りません。茶谷に一時心を迷わせたのは実に天魔が魅入ったと言うものです。」
と噛んで含める様に説き諭す。亀子は今までの恐ろしさのあまりに十分その言葉が耳に入らなかったが、何しろ茶谷が恐ろしい悪人であることだけは嫌が上にも良く分かったので、我が身がこれに迷った恥ずかしさに耐えられないようにうなだれて返事もない。

 筆斎も果ては一種の憐れみを催したので、又言葉を和らげて、種々励ますうちに馬車はようやくパチノール街に入り老人の家の前に停った。筆斎は亀子を助けて共に降り御者台に居る大糟に向かい、
 「サア、手前はもう用はない。これで帰れ。」
と命じると、彼は、
 「決して他言は致しませんから」
と言い置いてその馬車をきしらせ去る。

 筆斎は亀子の手を取り老人の家に入ろうとすると、ここには非常に心配そうに長々が立っていて亀子の顔を見るよりも早く小躍りして打ち喜ぶのに、筆斎はこれを制し、
 「先ず喜ぶのは後にしたまえ。三峯老人は何処に居る。」
 (長)それがサ、亀子さんが居ないことが分かってから、まるで狂気の如しで三度までも二階の窓から往来へ身を投げて死のうとしたのをやっと取り鎮めてこれから僕があてどもなく探しに出ようとする所さ。

 亀子もこうと聞いて、
 「では直ぐに私が父の元に行き安心させましょう。」
と言い長々と筆斎に片手づつ握らせて礼を述べ、更に二階へと登って行った。そもそも亀子が家を出たのは三時少し過ぎて今はそれより六時間を経、およそ夜の九時ころなので長々は筆斎に従ってここを出て、
 「君が今夜の手柄は実に抜群だ。どこで亀子を見つけた。」
と問う。

 筆斎は一部始終を語り終わって、
 「その上僕は帰りの馬車の中で滾滾と亀子を説き、亭主に持つのは春野耕次郎より他にないと言い、亀子も別に否と言う返事はしなかった所を見ると、幾らかそう思っているのに違いないから、春野に縁談を申し込ませるのは今夜に限るよ。古語にも「鉄の冷めないうちに打て」と言うことがある。亀子も老人も今ならば十分に心が動き、茶谷を憎い奴だと思っているからこの機を外さず春野に縁談を申し込ませたまえ。

 君がこれから春野の所に行き、直ぐに事情を打ち明けて連れて来れば春野も喜ぶし、それにつけては君と鶴子嬢の縁談も今夜のうちに纏(まと)められるよ。好機会というのはこの様な時を言うのだ、」
と宛も自分のことのように熱心に説き立てる。
 (長)君は余り早まり過ぎるよ。
 (筆)決して早まるのではない。ただ機会を取り逃さないというだけのことさ。嘘と思えばこれから春野を呼んで来て老人に会わせて見たまえ。

 (長)それよりも君まだ気にかかる茶谷決闘があるじゃないか。
 (筆)それは明日の事だ。明日君と淡堂っと僕と三人でクラブへ出張すれば好い。今夜は先ず僕の言う通りやって見た前。
 (長)言う通りとはこれから春野の家に行くのかエ。
 (筆)そうさ。春野に会って事情を話、鶴子を貰い受ける話と、耕次郎との縁談の勧めを一緒にやるのサ、その間に僕が三峯老人に会い、うまく老人と亀子を説き、半分以上承知させておくから、ただもう耕次郎が来て言い出しさえすれば訳はない。僕には亀子を救ったという手柄があるから老人も面会を拒まないだろう。

 (長)拒まないどころか今時分は君に会いたいと言っているワ。  (筆)では直ぐに僕だけ老人の許に引き返そう。君は春野の宿に急ぎ給え。」
と若者同士の相談も手間暇なく、これにて全く整ったので長々は春野の宿に、筆斎は老人の許を指して前後に別れた。

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