simanomusume174
島の娘2 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
since 2016.6.24
下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください
(百七十四) 運命です、運命です
添「ゴム細工の贋(にせ)の紅宝石(ルビー)が、何の様に好く出来て居ましょう。私は或る所で初めて其の品を見た時に、全く本物に違い無いと思いました。若し此の様な、好く出来た贋の品を見なかったならば、私は、貴方の紅宝石を盗む様な、大胆な心は起こらない処(ところ)でした。
貴方や、貴方や、何事も運命ですよ。運命が人の手を引き、様々の事を思い付かせ、様々の事をさせるのです。私が贋の紅宝石を初めて見たのは、余程以前の事で、未だ芝居道に居る時でした。ご存知の通り芝居道へは多く贋の品が入り込むのです。贋のダイヤモンドでも、贋の紅宝石でも、商人が初めて拵(こしら)えた時は、誰にも見せるも先に女優に見せます。
多分芝居道と言う所が、贋物の最も多く用いられる所でしょう。私は網守子から紅宝石の話を聞いた時に、前に見た其の贋物の事を思い出しました。其れから愈々(いよいよ)銀行から網守子の紅宝石(ルビー)、イヤ貴方の紅宝石を引き出そうと思い付いた時、其の贋物師の所へ行き、更に見せて貰いましたが、全く磨き上げたのも、未だ少しも磨かないのも、又端の方を少し磨いて光らせたのも色々有り、何の様な品でも自由に得られることを見届けました。
其れから其の贋物師に聞いて見ますと、重さまでも精密に合わせて有るので、手に取っても、眼で見ても、決して贋と分かる事ではない。磨きに掛けて摩擦しない以上は、商売人でも見破ることは出来ないと云いました。
此の言葉を聞きさえしなければ、私は本当に実行する程の勇気は出なかっただろうと思われますが、此の様な受け合いの言葉を聞いた為め、ツイ大胆に成ったのです。其れから、銀行から本物の品を取り出した時、その数を算(かぞ)え、其の大きさを見定め、成るべく其れに似寄ったのを揃えました。
其れですから、其の鰐革の嚢(ふくろ)を、たとえ網守子自身が今開けて見た所で、中の実物が違って居るとは気が付かないでしょう。贋物の価は可也に高かったのです。彼の鰐革の嚢一ぱいで三百圓ほど致しました。けれど私は幾年経っても、誰にも見破られる機会は無いと思いました。
アノ谷川弁護士さえ気が附かずに、貴方へ示したと云うでは有りませんか。其れを今私は、私が自分の口から白状しなければならない様な事に成ったのも、是れは全く運命のすることですよ。何うぞ貴方、運の神には勝たれないものと断念(あきら)めて下さい。
何事も皆、運命です。運命です。貴方も私も此の様な情け無い運命の下に生まれて居るのでしょう。」
江南は今まで或いは怒り、或いは驚き、或いは呆れ、或いは恐れなどして聞いて居たが、ここまで聞いて、初めてすっかり理解することが出来た。たった今まで、百万長者と思ったのが、情けなや元の杢阿弥(もくあみ)であると分かった。
a:392 t:1 y:0