巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

simanomusume88

島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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     (八十八) 真似する者が有るよ

 蛭田江南が、演目標(プログラム)に添えた詩の本文を広げて居る間に、網守子の独唱は始まった。其の声は専門の唱歌者ほど力が強くは無いけれど、澄み渡った高調音で、素人としては類の少ないほど上達して居る。勿論客の中には耳の肥えた人が多かったけれど、どの人も全く感服して、惜し気も無く喝采を浴びせた。

 作曲はフランスの歌にある譜を、其のまま当て嵌めたのである。けれど、特に此の詩の為に作ったかと思われるほど、良く適(はま)って居たので、是にも一同は網守子の修行の充分積んで居ることを認めた。

 独唱が終わって、客一同が網守子を囲んだけれど、今度は蛭田江南が先頭第一では無かった。江南は網守子の成功を祝するには、余りに心が混雑し、流石の厚顔も暫(しば)らくは、如何なる言葉と、如何なる行いを発すべきかを知らなかった。

 其れは無理では無い。網守子の独唱した此の詩は、彼江南が自分の詩として、次号の「新芸術」の第一ページに組込んである。来たる火曜日には、其の「新芸術」が、世間の人の手に渡るのである。

 此の席に居る人の多くは、其の雑誌の読者である。来る土曜日の朝は、江南が此の詩を盗んだ、詩盗人であることが。分からずには居ない。是ばかりは、どのような知恵でも、如何とも防ぎ様が無い。

 若しも此の独唱が、前の戯曲の試演ほど長く掛かったならば、彼は其の間に自分の顔色をも整え、又場合相応のしかるべき世辞を思い附くことが出来たであろう。けれど独唱は少しの間に終わった。彼に取っては、殆ど咄嗟の間であった。彼が自分の席で演目表(プログラム)を開いた時、既に網守子の声は張り揚げられて居た。

 彼が譜に添った詩の本文を開いた時には、もう歌の半ばであって、彼が其れと気が附き、驚いた頃には、網守子が唱(うた)い終わった。全く足許から鳥が立った様な気である。  
 彼がドギマギして居る所へ、進み寄ったのは捨部竹林である。

 「蛭田君、大変な競争者が現れたではないか。」
 江南は此の言葉の意味が、分からないでは無いけれど、返事する言葉を知ら無い。
 「エ、エ、僕の競争者?何処に?誰が?」
 何事にも重々しく落ち着いて居る江南が、是ほど慌てるのは実に珍しい。

 竹里は説明する様に
 「イヤ、僕は日ごろから君の詩に心酔して居る一人で、君の詩が読み度い為に、土曜日の来るのを待ち兼ねる程である。幾度も君の詩を、レドウの誌上で批評もし、賞賛もした事は君が知って居る通りでは無いか。けれど今聞いた詩は何うだ。そっくり君の詩の風を其のままだよ。君で無ければ出来ないだろうと思う傑作が、無名の女詩人の筆で出来たのは、驚くべきでは無いか。」

 江南は漸く、
 「ナニ、僕の詩風を真似る者が、此の頃は幾等も有るよ。」


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