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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第五十五

 

 真に検察官の言う様に、彼の無名の婦人は大鳥が弁護の為に雇い来たって入り込ませた者なのだろうか。大鳥は前もって検察官が必ず狼藉者と見なして追い出すことを知り、追い出した後で検察官を責めようとの下心だったのか。よもや大鳥がこの様な事をしないとは思うが、判事は終に検察官の言葉に従った。公判を中止するには及ばず、三日の猶予を与えるには及ばないと決めた。

 大鳥は更に何度も猶予を頼んだがこの言葉は終に用いられず、裁判官は直ちに又妾(わらわ)に何事をか問わんと身構えた。アア、妾は彼の無名婦人を妾の証人とすることは出来ない。今迄申し立てた通りのことを飽くまでも言い張らなければならない。しかし、今迄言い張ったところは既に悉(ことごと)く検察官に言い破られた。この上更に言っても何の益があるだろうか。弁護人は既に破れた言い立てをどの様に弁護する積りなのだろう。

 妾の残念、妾の落胆はほとんど言うばかり無し。そうだからと言ってこの場合に臨み、外に方法も無いので、妾が身の不幸と諦め、再び無名婦人のことを思っても仕方の無い昔のことと思い切ろう。
 読者よ、妾がこう諦めた丁度その時、法廷の一方を開いてつかつかと判事の傍に歩み寄る者こそ誰だろう。この人はもしや無名婦人を連れて来たのではないかと満場五千人の聴衆は悉く眼をその方に注いだ。

 見ると年将に七十にもなろうとする老人して世に言う童顔鶴髪なのは妾は確かに見覚えがある。これこそ先に妾をサレスまで迎いに来た彼の礼野先生である。探偵にして判事を兼ね、予審廷で妾を調べた人である。探偵が公判廷に入り来り、しかも判事の傍に進み行くのは実に非常の事なので、検察官は鋭い眼で叱るように眺めたが、礼野先生は見向きもせず判事の傍に身を寄せて、ほとんど聞き取れないほどの小声で何事をか囁いた。判事はこれを聞いて非常に驚きかつ深く思案する体だったが、礼野先生はその間に又検察官の傍に行き、同じく何かを囁いた。検察官もその驚くことは判事と同じく唯呆然たるのみだったが、判事は検察官を呼んで、一言二言打ち合わせした末、更に又弁護人大鳥に向かい、

 「唯今、探偵長からの報告に証人とすべき村上達雄のいるところが分かったと言うが、その方から請求をすればこれへ呼び出すことを許す。如何じゃ、呼び出そうか。」
と問うた。
 村上の名を聞いて妾は夢かとばかりに疑った。村上は何処にいるのだろう。彼を呼び出したら、妾はどれ程か力を得ることだろう。いやいや、村上は今は妾の敵である。世の意地悪な人々と同じく妾を疑い、自ら妾に突き落とされたと思っているので、妾の為に不利益な事を言い立てて、様子によっては、妾の罪を数え上げるかもしれない。

 今、村上を呼び入れては、妾の運は益々狭められる。弁護人大鳥もまさか村上を呼びいれよとは言わないだろう。妾はこう思って大鳥の様子を見ると、大鳥は当惑の余りに気を失ったのか、それとも外に分別があるのか、驚きもせず、怪しみもせず、泰然自若と落ち着いて、
 「当弁護人に置きましては、被告の無罪はすでに十分明了して見る事ゆえ、この上村上などを呼び出す必要はありません。」
と述べた。

 妾は先ず安心した。なお一応村上に会って、覚え無き罪を言い開こうとの気持ちはあるが、ここは村上に会うべき場合ではない。この上に恐ろしい証拠の出ない様に用心するにしくはない。大鳥の言葉が終わると共に検察官は立ち上がり、弁護人は村上を呼び入れる必要が無いと言いますが、当官に於いては村上こそ最も必要な証人と思います。既に彼が認(したた)めた手紙の事を、一応は論弁しましたけれど、弁護人に於いてはその手紙を無根の如く言い張り、被告は充分言い開くだけの理由があると申しました。この様な訳ですので彼の手紙に対して、果たして被告に言い開きがあるかどうか。唯今村上を呼び出さなければ、それらの点は充分に判断が付かないと思います。拠って一度被告および弁護人を退けて、直ちに村上を呼び出だす事を願います。」

 アア、検察官は唯村上を呼び出すだけでなく、なお妾と大鳥とを退けて置いて、その後で村上を調べようとする。大鳥は直ちに立ち、たとえ村上を呼び出すにしろ、被告と弁護人を退ける訳はありません。村上の申し立てに拠っては充分に弁駁するところもありましょうゆえ、検察官が村上を呼び出すならば、どうしてもここに留まらなければなりません。第一退くべき訳がありません。

 (検)イヤ、村上がもしここに出て、被告の顔を見れば、必ず心が鈍ります。充分言い立てたい事も幾らか遠慮します。事によれば被告を憐れむの心から事実を曲げて申し立てるかも知れません。
 (大)どうして事実を曲げましょう。村上達雄は既に被告人を憎む余り、罪も無い被告に罪を着せ、彼の恐ろしい手紙を認めたた程の人です。もし被告を憐れむ心があれば、あのような手紙は認めません。被告がここにいるため心が鈍るだろうと言うのは最も道理の無い言い分です。

 (検)村上は心が鈍ればこそかの手紙を認めたのではありませんか。被告を憐れむの心が十分あって顔と顔を合わせては可愛さの為、思うことが言いないためにことさらに手紙を残して身を隠したものです。被告の顔を見れば充分に申し立てる事が出来ないのは必然です。ことに弁護人と被告とは何の理由があって退廷を拒みます。退廷したからと言って」、少しも不利益はありません。

 (大)イヤ、退廷すれば非常な不利益を蒙ります。村上は心の中で既に被告を恨んでいます。被告がここに居ないとならば彼はその恨みの心に励まされ、無い事までもあるように言い立てるでしょう。ことに弁護の参考上是非とも聞かなければなりません。検察官の問いに対して、村上が言い立てるだけのことは弁護人に於いて聞いておかなければなりません。公平なる判事閣下、願わくは相当のお指図を願います。」

 判事はこの言葉を聞き、
 「イヤ、弁護人と被告が居てもそれ程不都合は無いだろうから、退廷は命じないことにする。検察官に於いて、それで異論が無ければ直ぐに村上達雄を呼び入れさせましょう。」
 検察官も最早や故障を述べる言葉が尽きたと見え、
 「しからば止むを得ません。弁護人と被告に退廷を命じなくても村上の呼び入れを願います。」

 判事はこの請いに従い、村上を呼ばしめた。やがて村上は案内者の後ろに従い、静々と入り来たった。読者よ。世にかくも不思議な公判があるだろうか。

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