巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

aamujyou79

噫無情(ああむじょう)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ビクトル・ユーゴ― 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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噫無情    仏国 ユゴー先生作  日本 涙香小史 訳

   七十九 白翁と黒姫 一

 白翁と黒姫、親子だろうか。祖父と孫であろうか。守安は深くその事までは想像しなかった。
唯だ翁の頭髪の白さと少女の着物の黒さとが、異様に対映して目に着いた迄の事だった。
 全体守安は、人の事などに余り心を悩ます気質では無い。取分け女の事には極めて冷淡で、年は早や二十歳に成ろうとする所だけれど、冷淡と言うよりは寧ろ自分から避ける程にして居るのだ。

 今までの境遇が境遇で、殆んど人並の衣服さえ着けて居ないのだから、途中で婦人に出逢っても、顔を見られるのが辛い様な心地がして、成る丈知らない振り、知られない振りで、早く通り過ぎる様に勉めたけれど、又婦人の方では、妙に守安の姿を見る。年頃の女などは、途中で守安に逢うと、振り向いて故々(わざわざ)見直す程で有った。

 全く守安の容貌が、その様に人に振り返って見直される様に出来て居たのだ。生まれ附き多くの人に優れて居たのだ。けれど彼自らは、そうは思わない。その振り向いて見るのを、何だか自分の見すぼらしい衣服(みなり)の為である様に思い、自分の恥を晒す様にも感じて、嫌に女と言う者は、人を愚弄したり、人の零落(おちぶ)れた様を喜ぶものだと、此の様に見做(みな)して居た。

 それだから自分の隣室に居る、伊(イタリア)、波(ポーランド)、西(スペイン)、仏(フランス)、四国兼帯の客の娘などにも、時々出入りの折に、入口や階段などで行き逢う事が有るけれど、良くはその顔を見た事が無い。けれど何う言う訳だか、黒姫の姿のみは目に留まった。多分は向こうが此方(こっち)見ないから、此方(こっち)で気を許して、向こうを見ることに成ったのだろう。

 全く黒姫は他の女の様に、故々(わざわざ)守安の顔を見ない。又見る年頃でも無い。常に白翁と何事をか話して居る。随分打ち解けて、良く話す様子だ。時々は笑いなどもする。又白翁の方も唯此の黒姫にのみ心を取られて居て、黒姫が喜べば喜び、黒姫が笑えば笑う。深く同情を注いで居ると言う者で、親子と言えども、是ほど親密には行かないのが多い。

 若し年の違いを無い者とすれば、殆んど情人と言っても好い程に見えて居る。
 併し黒姫は美人では無い。美人では決して無いと守安は思った。全体十四、五の子供が地味な真っ黒な服を着けることからして、余り似合わしい者では無い。尼寺の寄宿寮からでも出て来たなら兎も角だが、そうで無ければ、世間一般の風儀にも背いて居る。

 それに着物の被(き)こなしも為って居ない。単に着物に纏(くる)まって居ると言うのみだ。顔も第一色が良く無い。第二には肉の附くべき所に、肉が附いて居ないので、輪郭が宜しく無い。総体に凋(しな)びた様な所が見える。若し強いて好い所を捜し出せば、その目だろう。少し大きく開いて、妙に涼しい所が有って、睫毛(まつげ)なども美人の資格に叶うほど長い。けれど此の眼が凋びた様な顔と釣り合いが取れて居ないので、もっと劣って居る方が却って良く似合うだろうと思われる。

 この様な細かな有様を、故々(わざわざ)見て取った訳では無いが、守安の散歩する決まった路が、此の黒姫と白翁との前を通る事に成って居て、一度行けば四五遍はその所を往きつ戻りつするのだから、何時の間にか自然に見て取ったのだ。向こうも或いは何時の間にか、自然に守安の姿を見て取ったかも知れない。

 イヤそうらしくは無い。日に幾遍も通るのだから見受けることは見受けただろうが、気には留めて居ないだろう。守安の方でも酷(ひど)く気に留まったと言うのでは無い。何方(どっち)かと言えば、娘よりも白翁の方が守安の気には留まった。翁の方は何だか一種の性格を備えていて、言わば勇気も情けも有る人らしい。娘の方は何方かと言えば目障(めざわ)りだ。見苦しいと言うべき程にも感じる。

 是より凡そ六カ月の間、守安はこの公園に行かなかった。別に深い理由が有ってでは無く、仕事の都合で遠ざかったのだ。したが半年の後に、又も公園へ行き、自分の散歩場へ歩み入った。勿論白黒組の事は忘れて居たのだ。所が直ぐに目に留まった。以前に居た所と同じ所の腰掛けの上に、白黒の一対が並んで居る。見るとも無く見れば、白翁は以前のままの白翁だ。確かに同じその人だ。けれど黒姫の方は、ハテな、全く人が違ったのかだろうか。以前の凋びた顔では無い。

 立派な姫君だ。顔のみか、姿総体が風情に富んだ輪郭とは為った。誰が見ても「女」一人前だ。前の凋びた娘の姉ででも有るのだろうか。併し未だ子供のアドケナイ所に女の出来上がった様な美しさが加わって、丁度その平均を得た所なんだ。髪の艶、顔の色、首筋から肩の様子、古(いにし)えの名画にも、これほどまで揃ったのは無い。

 ラファエロの聖母、ゴウギャンの天津乙女《天使》、此の女を雛型に取ったのでは無いだろうか。美しい上に、更に得難いのは、何と無く今様である巴里的(みやこはだ)である。けれど良く見ると矢張り以前の黒姫なんだ。別の人では無い。年は今が真の見頃の十五だろう。花ならば蕾の開き掛けた所である。何うして唯だ半年ばかりの間に、こうも見違える様に育ったのだろう。



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