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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第二十九回

 三太は只管(ひたすら)二階の窓をだけ眺めて居ると、十時の時計が鳴ると同時に美人の姿が現はれた。是こそ山田お仙である。お仙は曲者に騙される事とも知らず、正直に約束を守って、時さへ違えずこの様に出て来たことは、危うしと云うのを通り越している。

 三太は早くも燐寸を取り出し、パッと摺って返事に代えると、お仙は其の光を認めた様に、又も姿を隠した。今は合図が通じたことは疑いない。ややあって、又も窓際に現われる者があったので、三太は眸子(ひとみ)を定めて打ち見ると、この度はお仙では無く、髯の生えた紳士である。

 さてはこの人こそ、先の夜勘次を捕えようとした、有浦とやら云う大尉であるか。この人、今夜はお蓮等と共に在って、室の内を散歩する者に相違ない。左すれば、お仙、其の目を盗んで忍び来ることは、覚束ないが、如何(どう)したら好いだろうと思案しながら待って居ると、暫く経ってから、垣根の内に非常に軽い足音がした。三太は是だと喜び非常に細い微(かす)かな声を出し、

 「嬢様ですか。茲(ここ)に私が待って居ますよ。」
と云うと、内からも、
 「アア、私だよ。今彼(あ)の二階に人が居るから、悟られ無い様に、徐(そっ)と階戸(くぐりど)を開けてお呉れ。」
ト答へた。此の声は間違いなくお仙なので、三太は忍びやかに潜り戸を推し開けた。

 四辺(あたり)を見ながら、恐々(こわごわ)と出で来たお仙の様子を、星あかりに透かして見ると、人目に立たない用心からか、綾目も無い、黒い上着を打ち纏(まとっ)ていた。頓(やが)て又潜り戸を閉め直して、
 「嬢様、綾部さんは、最(も)う宵の内から、此の先に待って居ますから、直ぐ参りましょう。」
と云うと、お仙は未だ、心に充分の恐れを抱いている者と見え、

 「お前先(ま)ア先へ行ってお呉れ。私は後から就いて行くから。」
 三太は、先ず充分に安心させることが肝腎だと思うので、
 「何此の辺りは誰も見て居ない所ですから、ヘイ、もう大丈夫、御心配には及びません。」
と云いながら先に立って、大胆に歩いて行った。月さえも無い星明りに、一町(108m)以上の道と云えば、お仙の身には、仲々の道中である。屡々(しばしば)立ち止まって、躊躇(ためら)う様子があるのを見る度に、

 「直ぐ其所です。」
と云い賺(すか)して、半町ほど連れて行く中、道傍(みちばた)に一つの瓦斯灯があった。往来の稀な所なので、瓦斯までも暗いけれど、闇を辿る人の身には、心強い頼りである。お仙は之に力を得た様に、又半町余り歩いて行くと、三太は少し離れた所に佇(たたず)んでいる人影に指さしながら、

 「嬢様アレをご覧なさい、綾部さんは彼所(あすこ)にいます。」
と云いながら、彼方に向かって、少し其の声を張り上げ、旦那、旦那」
と呼び立てると、此の声を聞き、何所からか二人の曲者が現われて来て、物をも云わずお仙を堅く抱きすくめた。此の有様に三太も驚いた振りをして、影を隠すと、先に佇んでいた人も見えなく成ったので、お仙は驚き、曲者の手に掛ったと悟った。

 しかしながら、初めからこの事は皆な曲者の計(たくら)みだとは、未だ気付かず、全く綾部が此の辺りに待って居る筈だと思うと、少しは心強く思い、
 「綾部さん、綾部さん。」
と声を揚げて呼び立てた。か弱い力に曲者を振り払らおうと、藻掻いたが、身動きさえも出来ない。瞬く暇に両の手を捩じ上げられ、口には堅く鉢巻を緊(は)められて、二人の曲者は腰と肩を担ぎ上げながら一散に人家の無い方を指して馳せ去った。凡そ二、三町も走ったと思う頃、お仙の口に当てた鉢巻が、やや弛(ゆる)んだので、お仙は誰に救いを求めるとも無く、

 「助けて下さい、助けて下さい。」
と叫んだが、此の時折能(よ)くも横道の方から、ゴロゴロと音を出しながら軋(きし)り来る馬車があって、之に乗っている人が、早くも叫ぶ声を聞き附けたのか、宛(あたか)も電光の様に車から跳ね出でながら、飛んで来て、横様に後に居る曲者の脳天を、太いステッキの折れる程に殴った。

 凄(すご)い腕に何うして耐えられよう。曲者はキャッと一声叫んだが、あっけなく頭が砕けて踏反(ふんぞり)返えって、其の儘(まま)仆(たお)れて、生き死にも分からなくなった。此の曲者は、彼の鬚髯を生やした勘次である。前の方の弁蔵も、叶わないと思ったのか、お仙を地上に投げ出し、其の儘(まま)逃げ去って、姿を隠した。

 お仙は危うい中にも、是までの事は充分に認める事が出来て、この様に計(はか)らずも、我が身を救って呉れる人があったのを喜んだ。しかしながら、今投げ出された機(はずみ)に、急所でも打った者か、暫く気絶して、何事をも分からなくなった。

 ややあって、心附き、両の眼を見開くと、今曲者を打ち仆(たお)した我が恩人、大道に膝を突き、横に我が身を扶(たす)け起こして、我が鼻に香(にお)い薬の入った小瓶を当てて居た。お仙は有難くて仕方がなかったので、無理に朱唇(くちびる)を動かして、
 「何方様ですか、誠に有難う存知ます。」
と云うと、恩人は周章(あわてて)押し留め、

 「イヤ、今少し動いては了(いけ)ません。気を確かにしてお静かに。」
と云う其の声に、聞き覚えは無いけれど、非常に優しくて、充分な憐れみを帯びたおり、且つ言葉使いも上品なので、一廉(かど)の紳士に相違なしと、茲(ここ)に初めて安心した。

 紳士は猶も様々に手を尽くしたが、固(もと)よりお仙は別に怪我と言って無かったので、三分間も経たない中に、自ら身を動かして立ち上がった。紳士は非常に親切な声で、
 「貴方よ、此の辺りは夜更けて淋しい所です。長居は出来ません。幸い私の馬車が有りますか、ら何所ですか、お宅まで送りましょう。」

 (仙)イエ、宅は近くですから馬車なぞには及びませんが。」
と口には言ったが、心には是から唯一人歩み帰るのは危ないので、何と云えば好いだろうと、躊躇(ためら)う心を紳士は見て取り、
 (紳士)馬車が若し御迷惑となら、私がお見送り申しましょう。
と云った。お仙は正気に復(かへる)につれ又も綾部の事を思い出し、此の事は全く初めから、曲者の仕業であるか、将(は)た又、真実綾部が我を待って居た者なのか、心に判じ兼ねるので、恐々(おそるおそる)ながら、口を開き、

 「若し此の辺りに、誰か立って居る人は有りませんでしたか。」
 (紳士)イヤ曲者が二人で貴方を担いで居た切りで、外には誰も見えません。又先の曲者は逃げましたが、後のは茲(ここ)に仆(たお)れて居ます。
 お仙は是で、彼(あ)の手紙まで曲者の仕業だった事に心附き、恐ろしさに身を震わせて、

 「此の儘(まま)置いて好いのでしょうか。」
 (紳士)大丈夫です、此の儘置けば、逃げた奴が帰って来て、何とか始末を致しましょう。茲(ここ)に永居して、若し巡査にでも見附かれば又面倒です。サ早く参りましょう。
と云って、又も遥か後ろに居る馬丁(べっとう)を呼び、暫く公園地の尽頭(はずれ)で、待つようにと言い聞かせて、左の手を差伸ばしたので、お仙は遠慮さえも忘れて、其の手に縋(すが)ったが、ふと思い出した事があって、

 「オヤ先ア、何うしましょう。私はお名前を伺う事さえ忘れていました。」
と云うと、紳士は打消し、
 「イエ、最(も)う名前には及びません。私は今日田舎の友人に招かれ、其の帰り停車場から馬車でで茲を通り合わせた者で有ります。此の辺りへは余り参りませんから、再びお目に掛る事も有ります舞い。」
 この様な時、敢えて名前を告げ無いのは、紳士の作法だとか。お仙は益々其の心の優しさに感じ、

 「でも此の様な御恩に成って、お名前さえも聞き漏らしては、私の心に済みません。夫(それ)に母にも叱られます。」
 (紳士)イエ、何、私の事は母御には、お話には及びません。私は御門前でお暇(いとま)に致しますから。
 (仙)イエ、夫では済みませんから何うぞ、一寸(ちょい)となりとお立ち寄り成さって下さい。
と言って、更に再三勧めたので、紳士も達ては断り兼ね、終に其の意に従った。

 この様に話ながら歩む中、二人は頓(やが)て瓦斯灯の許まで来たが、初めて其の光に顔と顔とを見合わせて、二人同時に驚いた。紳士はお仙の容貌が世に類ない程美しいのに驚き、お仙は同じく紳士の人柄が非常に立派で、其の莞爾(にこやか)な顔の面に、計り知れない親切を含んで居るのに驚いた。

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