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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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悪党紳士   (明進堂刊より)(転載禁止)

ボアゴベ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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悪党紳士        涙香小史 訳

               第三十回

 紳士は頓(やが)てお仙と共に、鶴女の家の門前近くに来たが、此の時鶴女の家から出で来る人があった。是は別ならぬ大尉有浦が、今しも分かれを告げて、立ち帰ろうとする所であった。紳士はそうとも知らないので、立ち留まってお仙に向い、
 「少しお待ちなさい、彼(あ)の男は誰だか、私が見届けて参ります。」
と云うのは、若しも怪しい曲者では無いかとの用心である。お仙は其の意を察し、

 「イヤ、彼は母の友達です。怪しい人では有りません。」
と聞いて紳士は面目なさそうに、
 「左様ですか。私は又、此の夜更けに人の家から出て来るのは、若しや怪しい者では無いかと思いました。シテ貴嬢(あなた)は、彼(あ)の方に見られても、お差し支えは有りませんか。」
 (仙)ハイ、彼の人は最(も)う何事もご存知で居ますから。
と云う中、有浦もお仙等の姿を見認(みと)めた様に、立ち留まって透かして見る様子なので、お仙は声を掛け、
 「アレ私ですよ。」

 この優しい声に有浦は直ちにお仙と知り、
 「オヤ、お前は先ア何(ど)うして外に居るのだ。先程まで二階に居て、急に見え無く成ったから、最(も)う寝て仕舞ったので有ろうと思って居た。」
ト斯(こ)う言いながら進んで来たので、紳士も有浦を透かし見て、
 「ヤア、大尉じゃ無いか。有浦君じゃ無いか。」
と云うと、有浦も驚いて、

 「オオ、伯爵か、蘭樽君か、何だか姿が似て居る様でも、よもや君では無いだろうと思った。君が先(ま)ア何(ど)うして茲(ここ)へ。」
 (蘭)僕より先ア、君が茲に居るのは不思議じゃ無いか。
 (有)ナニ僕の居るのは不思議でも何でも無い。是が先に話した山田お仙嬢の住居だもの。

 お仙と聞いて、蘭樽伯は非常に驚き、又非常に喜んだ。既に昨日も有浦から、お仙嬢の事を聞き、我妻に貰い受けようと、内々の相談を極(き)め、此の次の日曜日には、有浦の紹介で、お仙親子に交わりを求める約束をして有る程なので、今偶然にも、お仙嬢の命をさえ助けたとは、実に天が授けた幸い以外には考えられ無い。それで伯爵は充分に喜ばしい声音(こはね)で、

 「爾(そう)か、夫(それ)では此の嬢様が。爾とも知らずお救い申し。」
と云おうとして言葉を替え、
 「お逢い申したのは、誠に思いの外の仕合せだ。」
 有浦は様子を知らないので、怪しんで、
 「ナニ、お逢い申したと、何所で何うして。」
と云い掛けて、お仙に向い、

 「お前何うしてこの方にお目に掛った。」
 (仙)ハイ、此の方が私の命を救って下さいました。
 (有)益々分からない事を言う。
と聞いて、お仙は蘭樽に向い、
 「貴方仰って下さいませ。」
と云うので、今は蘭樽も隠す可(べ)き時では無いと、

 「実はネ、今日は彼(あ)の猿島氏、即ち歌牌(かるた)室の所で出て来た、銀行頭取の別荘へ招かれて、田舎へ行き、今此の先の停車場まで帰った所、家から迎いの馬車が待って居たので、夫(それ)に乗り帰る途中、助けを呼ぶ女の声が聞こえたから、尋常(ただごと)では有る舞いと、直ぐ様車を飛び降りて掛け付けて見ると、二人の男が嬢様を担(かつ)いで逃げて行く所なので、其の儘(まま)提杖(ステッキ)で後の一人を倒したのだと、斯(こ)う話す内、

 お仙は来客の有るのを知らせる為、我が家に入り去ったので、有浦はお仙が何の様にして家を出たのかは知らなかったが、唯事の不思議なのに驚き、
 「夫(それ)ヤ実に奇妙だ。夫が此の線を結ぶと言う者だ。サ、入ってお蓮にも顔を合わせて行き給(たま)え。」
 蘭樽は暫(しば)らく考え、

 「イヤ、今夜は御免蒙(こう)むろう。僕はお仙嬢とは知らなかったから、実は其の母御にも一寸逢って行こうと思ったが、お仙嬢なら明日改めて君と一緒に来よう。何だか余り事柄が奇妙だから、恩に着せる様に思われでもしては。何先は爾(そう)も思は無いだろうが、僕が何と無く気が咎める。」
と言って、頻(しきり)に辞退したが、有浦は、今お仙等母子の心に、有り難さが未だ失せ無い先に、紹介すれば、後々まで都合好いだろうと思うので、引きずる様に家の内へ連れて入った。

 応接所には、お仙が既に母と鶴女を呼んで来て、我が身が危うかった事を告げて居たので、伯爵は大尉の後ろに従って進み入り、お蓮と鶴女に向って、言葉短く初対面の挨拶を述べると、傍らからお仙と有浦が、交(かわ)る交(がわ)る伯爵の手柄を説き立てた。鶴女は充分に伯爵の様子を喜び、打ち解けて歓待(もてな)したが、一人お蓮は未だ心に驚きが治まら無い為か、満足には口さえ利(き)かず、非常に外々(よそよそ)しく挨拶をした。

 伯爵はこの様な事には気も附か無い様に、誰の気にも触わらない様、優しい言葉で、機嫌能(よ)く一、二の話をして、夜も更けたので、明日又改めて参りますと言って、其の座を切り上げ、お仙と鶴女が引き留め様とするのを辞退して、別れを告げながら、立ち去ったのは、充分に交際の骨を心得た者と見える。

 其の後で、お蓮と有浦は、お仙に向い、今夜忍び出た経緯を問うと、お仙は曲者が綾部の使いと偽わって来た事を話し、其の手紙をさえ示したので、二人は之を開いて見ると、昨日春田町の宿屋で有った事などを、細々と認(したた)め、一々言ひ訳を附けたのは、全く恋人の手紙で、その場に臨み、始めから彼の時の事柄を恋しく見た者で無ければ、到底(とて)も書くことが出来ない文句である。

 お仙が之を全く綾部の手紙と思ったのも、無理は無い。此の手紙から察すると、曲者が絶えず一同の身に、目を附けて居て、一挙一動残らず伺って居ることは疑い無い。有浦は読み終わって嘆息し、
 「曲者は此れほど能(よ)く手を廻して居るから、何うしても、もう一人男の力を借りて保護を頼まなければ了(いけ)無いと云った。此の時お仙は、宵の草臥(くたび)れが出て来たからと言って、鶴女と共に我が寝間に退いたので、有浦は是幸いとお蓮に向い、

 「何ふだ、私の見立てには一言も有る舞い。蘭樽伯の様な婿夫は百年探しても見付からないよ。」
と云うと、お蓮は今までとは打って変わり、最も気の無い顔で、
 「でも未だ婿夫と定まりは仕ませんよ。」
 (有)ナニ定まら無い事が有るだろう。今の様子で見れば、お仙も充分に有り難がって居るから、綾部の事を忘れさえすれば、直ぐに蘭樽伯に気が移るよ。

と云ったが、お蓮は何の返事をもしないので、
 (有)オヤ、其方は何だか、婿夫を迎えるのを、断念した様子だが、何うしたのだ。夫とも蘭樽伯が気に入ら無いのか。
 お蓮は漸(ようや)く言葉を開き、
 「ハイ、何と無く彼の人は、後々まで私達親子に不幸を掛ける様な気が仕ますよ。」

 有浦はカラカラと笑い出し、
 「其方にも似合わ無い。何と無く此様(こんな)気がするなどと、そりゃ全く一時神経の狂いと言う者だ。明日もう一度連れて来るから、能(よ)く逢って、充分に話を仕て見るが好い。爾(そう)すれば直ぐに伯爵の他人に勝れた所が分かるから。」
と云ったが、お蓮は未だ顔さえ上げる事が出来なかった。そもそもお蓮は何故に彼の申し分の無い蘭樽伯を嫌うのだろう。
 読者よ、試みに推量して見られよ。


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