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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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  武士道上編 一名「秘密袋」                   涙香小史 訳

               第三十七回

 将官会議に附せられる縄村中尉の運命よりも更に気遣わしいのは、小僧呂一と一匹の馬にに相乗りしたまま敵の陣に陥った少女弥生の身の上である。弥生は必死の思いで何度か馬を引き留めようと試みたが、馬は耳を射られて驚いて狂乱したものなので、制すれば益々荒れ、手控かえれば愈々走って、終に敵の陣に飛び込んだが、此処には幾匹もの軍馬が繋(つな)がれて有るので、弥生の乗った馬も同類の臭い気を嗅ぎ、我家に帰ったものと安心してか、初めて其の歩を駐(とど)めた。

 これを見るより早く敵兵は弥生の四辺を取り囲んだが、衣服の様子から勤王軍の一人である事は明らかな上に、其の馬は即ち戦死した共和軍の騎兵が乗って居た者なので、彼等の立腹は並大抵で無く、
 甲は、
 「此の馬を見ろ。我が軍の馬ではないか。」
と叫び、乙は
 「馬のみか鞍にも我が軍印が付いている。敵の兵士が我が軍の勇士を射殺し、馬を奪って此の女を乗せたのだ。」
と和し、果は一斉に、
 「引き卸(おろ)して殺して仕舞へ。」
と罵(ののし)り声となり、瞬く暇に呂一と弥生と共に馬の背から突き落とす様に卸された。

 弥生は折角自分の軍に帰ろうとして、再びこの様に敵の手に落ち無念で仕方が無かった。残念だが殆どどうしようもなかったので、是までの運と諦め、唯敵の為すが儘(まま)に任せて居たが、小僧呂一は弥生の様に諦める事は出来ず、それでなくても機転の利く質なので、大声で叫び立て、

 「皆様、此の嬢様や私を酷い目に逢わせては後悔しますよ。貴方がたは縄村中尉を知りませんか。縄村中尉が今勤王軍に捕らわれて居るのです。私と嬢様を捕虜として生かして置き、縄村中尉と引き替えなければ成らないでしょう。茲(ここ)で私共を殺せば縄村中尉も殺されます。」

と、其の身を弥生に結び付けて非常に巧みに説き立てるのは、小僧ながらも戦時のことなので、捕虜引き換えなどと言う事を一通り耳に鋏んで知っている為に違いない。兵士等は縄村中尉の名を聞いて、忽ち其の乱暴を止め、愈々小僧の言う様に、中尉が勤王軍に捕らわれて有るとすれば、この両人を軽々しくは殺すべきでは無い。

 何しろ縄村中尉は総大将クレパー将軍が最も大事にする士官なので、此の二人をも将軍の許に送り其の指図を乞う事にしようと言う事に決したが、此の時、将軍はこの所から二里(8km)余り離れたアントレンと言う所に参謀部を置き、自ら之を総監督していたので、弥生と呂一とは手を縛られて再び馬に乗せられ、その所まで送り届けられた。

 何しろ弥生は引き続く艱難に身の疲れ甚だしく、一目見てさえ痛々しきばかりなので、将軍もそうと見て、憐れみの念を催したが、一先ず休息せよとの命を与えて、二人を空き間の室に入れた。弥生は明日も知らない様なこの様な恐ろしい境涯に在っても、身の疲れには勝てず、前後を忘れて熟睡し、初めて目を覚ましたのは凡そ十二時間を経た後で、翌日の朝、早や将軍が一切の軍議を終わった頃だった。

 それで再び将軍の前に呼び出されたので、今までの事を少しも包み隠さず、縄村中尉と引き換えられるばかりとなったのに、少しの事で再び此の軍に捕らわれた次第をまで物語ると、将軍は聞く事毎に打ち驚き、特に縄村中尉の様な勇士を敵軍の捕虜として捨てて置くべきでは無いので、早速休戦の旗を立て、使いを以って弥生と呂一とを敵軍に送り届けさせ、その代りに中尉と鉄助とを受け取って来させようと言ったが、茲(ここ)に一つの困難は軍略上、その事を直ぐには行い難い一条である。

 昨夜の戦いに、勤王軍全くポントルソンを占領し、更にドール村に進んだとの情報は確実なので、将軍は今から二日間、此方(こちら)の兵の形を潜め、敵の総兵を残らずドール村に集まらせて、其の間に遠方からドール村を二重にも三重にも囲み、三日めの早朝を以って唯一挙に敵を圧殺しようとの計画なので、休戦の使いなど送り、敵に此の軍の挙動を悟とらせることは何よりも不利益なのだ。それだから、此の事は到底二日目の夕方に我が軍の手配りが悉(ことごと)く届く時までは行い難く、仕方無く其の時まで延ばす事にしようと言って、即ち弥生呂一を部下の小隊長何某に托した。

 二日目の朝は小雨降って風も寒く、着替えの無い弥生には殆ど凌(しの)ぎ難い程だったが、艱苦には慣れていたので、唯早く日が暮れて我が運命がどちらとも決する時が来て欲しいと祈るうち、小隊長はドール村の一方を囲むべき命を得て、出張する事となり、弥生呂一を輜重車(しちょうしゃ)の空いたのに載せ、部下の小隊を率いて進み、日暮れの前に其の受け持ち地であるドール村の手前二哩(マイル)《3.7km》ほどの所に達し、小丘に茂っている林を見つけて茲(ここ)に陣したが、弥生は益々寒さを感じ、最早堪(た)えられない程になったので、呂一と共に車を降り、兵士に頼んでその焚いている火に温まっていると、予期より早く戦争が始まったと見え、何れの方からか、頻りに砲声が揚がり出した。

 小桜露人は今どうしているのだろう。手傷が癒えて此の戦争に加わって居るのだろうか。縄村中尉は我が身と同じく再び捕虜となったことは確実であるが、まだ射殺されずに存(ながら)へているだろうか。我が身と再び顔合わす事がのあるだろうか。顔を合わせても亦直ちに引き分けられる事になるので、寧ろ憂いの種を増す者である。どうせ生涯一緒には成り難い敵味方の間と云い、今の中に我が身が死するのが幸いではないだろうかなど、様々の事を考えていると、忽ち傍から呂一の声で、

 「嬢様、今度こそ大変です。ラペが来ました。アレ吠える声が聞こえます。私は噛み殺されて仕舞います。」
と慌て惑って叫ぶのを聞く。弥生はラペの名さえ打ち忘れていたほどだが、この言葉に驚いて振り返ると、早や立ち木の彼方から、前に我が身を緑の湖まで追って来た彼の悪人腕八が猛犬ラペを先に立て、此方(こちら)に進んで来るところだった。



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