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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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 武士道上編 一名「秘密袋」           涙香小史 訳

               第四回

 この問答にて察すれば老婢(ろうひ)お律の連れて来た少女弥生は、今から十八年前薔薇(しょうび)夫人の一人娘松子と言うのが、十九歳の妙齢で死去した頃この世に生まれて来た者である。

 何人の種にして何人の腹に宿ったのかは知る由も無く、唯薔薇夫人の手から老婢お律に養育を托した者にして、お律の手で5歳まで育った時、薔薇夫人の家筋と親しかった小桜伯爵と言う人が預かって行き、この頃迄育て、その小桜伯爵の死んだ後に息子である小桜露人と共に勤王軍に従軍していて、大将軍から間道偵察の命を受けてこの地に入り込み、今は薔薇夫人の肌に着ける何やらん秘密の袋を受け取る為、この様にして連れられて来た者だ。

 しかしながら弥生は死人の肌身に着けていた物を受け取ると聞いては何となく薄気味悪く、又も其(そ)の歩みを留めて、
 「私は戦場に従う身で、死ぬかも知れないから、その様な袋などは要らないよ。」
 お律は呆れた様に、

 「貴女は先ア飛んでもない事を仰(おっしゃ)る。ご自分で要らないからと言って、薔薇夫人の生涯の望みですもの、其れを受け取らないと云う事が出来ます者か。夫人は臨終(いまは)の際までも袋の事が気に掛かり、如何(どう)か貴女へ渡し度いと思ったと見え、口を自由に利く力さへ無く成った後も、私が着物をなど着替えさせて上げる度に、首より胸へ下げた其の守り袋に指を指しました。

 ハイ夫人はその袋を常に守り袋と言ったのです。私はその度に受け合って、宜(よろ)しゅう御座います。確(し)かと私が弥生様へ渡しますとこう言いますと、夫人は大層安心の様に見えました。夫人が是ほど大事にした所を見れば、袋の中には余ほど大切な物が入って居るに違いなく、其れを貴女が受け取らないなぞと間違った事を仰(おっしゃ)っては了(いけ)ませぬ。」

 弥生は漸(ようや)く承知したが猶(なお)気の進まないように、
 「では律や、私は此の廊下に待って居よう。和女(そなた)が一人で取って来てお呉れ。」
と云うのは、戦場でこそ幾多の死骸をも目に触れているとは言え、この様な陰気な大家の奥で、病に倒れた老夫人の死骸に近づく事は、流石に女の身には心地好くは思はれないのだろう。

 律「アレ、又その様な分からない事を仰る。貴女が此の地へ来合はさなければ兎に角、来た上で手ずから受け取らないと言っては、死人が満足致しません。是は死人への最後の努め。本当の功徳と言う者ですから、死骸の肌から直々に受け取ってお上げなさい。」
と云い、二度と弥生に故障を言はさず、引き立て引き立て連れ去るので、弥生も仕方無いと思ったのか、又一語をも発せずして、引き立られる儘(まま)に引かれて行くばかり。

 やがて死人の室に入れば、炉に燃えていた火も大方は灰と為り、四辺(あたり)は物凄いほど静かである。お律は忍びの灯に先ず室(へや)中を見廻し、悪人等がまだ引き返して来ていないのを見届けたが、忽ち彼の、先刻跳ね出した燃え差しで床が焦げ黒ずんだ所に眼を留め、

 「オヤ、炉の火でも跳ねたのか。昨日までは無かったのに、アア粗野な悪人等が炉を掻き擾(まぜ)る時、火を飛ばしでもしたのだろう。」
と云い、更に死骸が臥(ふ)せる寝台に行き、先刻自ら其の周囲(ぐるり)に張り被(かぶ)せた白布の幕を排(ひら)くと、死んだ薔薇夫人は早や石の如く冷たいけれど、先刻お律が手ずから撫で下ろして閉じさせた両の眼は、元に復(か)えって死に際の時の様に、恐ろしそうに開いていた。

 其の様、宛(あたか)も床の焦げ黒ずんだ所に心が残って、何人にも此の床を暴(あば)かせないと、自ら見張っているのにも似ている。此の床に果たして悪人等の推量した様に幾百万の金貨が隠して有るか否かは知らないが、兎に角尋常(ただ)ならぬ仔細の籠もっているのには相違無い。

 少女弥生は死骸のこの様な有様を見、気味悪さに顔を背け、お律の身の陰に隠れようとしたが、又思へばこの死骸は我が身の産みの母を知っている人の死骸である。此の人の外に我が母を知る人が有るのか無いのかさえ分からないので、此の人の死骸を弔うことは、知らぬ我が母の亡き魂を慰める端にもなるかと暫(しばら)くにして心を取り直し、寝台の傍らに膝を折り、余念無く黙祷するに、やがてお律は之を助け起こし、死骸の襟を掻き分けて、

 「サア、此の守り袋をお受け取りなさい。」
と言って、首に掛けていた袋を指さした。見れば緋の綾絹に軽嶺家の定紋を織出だした長(たけ)五寸にも足りない小さい袋で、首に掛けたその紐は黒い組物である。
 弥生は
 「ハイ」
と手を延べたけれど、如何(どう)にも之を受け取るに忍びず、又手を引いて、

 「イエ、イエ、是は此のまま置きましょう。死骸の肌から物を取るとは。」
と逡巡(しりごみ)すると、
 律「その様な事を言っては仕方が無い、自分が厭なら私が取ってあげましょう。」
と云い、枕を擡(もた)げて首に掛る袋ぐるみに紐を外し、

 「サア、嬢様、是を貴女の首へお掛けなさい。中には多分、貴女の身に大切な書類なども有ましょう。事に由ると此の夫人の遺言書も有るかも知れません。身の少し落ち着いた時、披(ひら)いて中をお検めなさい。」
と言うのを、弥生は死人の首に掛けてあった物を、其の儘(まま)我が首に掛けることが出来ず、
 「否よ、否よ」
と又も後退(ぐず)るのに、お律は歯痒げに、

 「従軍もする身が、爾(そ)う赤児(ねんね)では困ります。」
と云い、更に、
 「其れでは」
と言って紐をぐるぐると袋に巻き付け、
 「こうして大事に衣嚢(かくし)へ入れてお持ちなさい。」
と言って、無理に弥生の内懐(うちふところ)へ押し入れた。

 此の袋の中に如何(どの)様な秘密を蔵して居るのかは分からない。
 弥生は唯一刻も早く此の薄気味悪い所を立ち去ろうとする様に、
 「是で最(も)う用は済んだね。私は先へ行きますよ。」
と云い、早や戸の方へ立ち去ろうとすると、此の時お律は外面に何か物音があるのを聞き留めて、忽ち顔の色を変へ、容易ならぬ意を込めた小声で、

 「お待ちなさい。嬢様」
と云い、身を以(も)って弥生を遮り、自ら戸の鍵穴に耳を当て、篤(とく)と聞き澄まそうとするのは、或いは悪人が早や帰って来たのか。




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