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武士道 一名「秘密袋」   (扶桑堂書店刊より)(転載禁止)

ボアゴベイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2014.3.20

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  武士道後編 一名「秘密袋」                   涙香小史 訳

               第九十三回

 浦岸老人が全く冥府(あのよ)の人と為ったので、湖水から大金を取り出す工夫は最早知る方法が無い。中尉は空しく首を垂れて深い息を吐くだけだったが、保田老医は老人の死骸に相当の手当てを施した末、中尉の打ち萎(しお)れた様を見て、

 「アア人の死際に、幾度と無く立ち会った私でも、能(よ)い心持は致しませんから、貴方がたが嘆息なさるのは御最もです。併し葬儀その他の事は、薔薇(しょうび)夫人の恩顧に対し私と老婢お律とで引き受けますから、夫だけは御心配なさらない様に。」
と言って親切に慰めたが、中尉は考え込んで返事が無い。

 老医は更に何やら気遣(きづか)わしそうに中尉と弥生との姿を眺めて居たが、弥生の方に向かい、
 「モシ嬢様、老人の死際の言葉を残らずお聞き取りに成りましたか。」
 弥生は涙を払って顔を上げたが、この様な秘密の事柄を此の人に答えて宜(よ)いものかと、相談する様に中尉と露人の顔を眺めると、中尉は其の意を悟り、老医に向かい、

 「ヤ、イ、貴方は何かその様な私事をお聞きなさる謂(いわ)れでも有るのですか。」
と問う。
 老「ハイ、此の老人が死際に、果たして薔薇夫人の委託を満足に行い得たか否かは最も私の気遣(きづか)う所です。それを聞かなければ成りません。」
と幾分の権利がある様な口調で言い立てるので、中尉はさてはと心附く所有り。心の儘(まま)を打ち明けて、

 「イヤ、実に残念な事を致しました。九分九厘までは聞きましたが、大事の一事を聞き漏らしました。それを言い掛けて老人の息が絶えたのです。」
 老「其の聞き漏らしたのは何(ど)の様な事柄です。」
と老医は問い掛けたが、中尉が猶(な)おも大事を取る様を見て、

 「イヤ、之は私の粗漏でした。唯此の様に問うた所で、お返事を成さら無いのは尤(もっと)もです。先ず私の事から申しましょう。」
と云い、言葉を改めて言い出すには、

 「最早や、お察しでも有りましょうが、薔薇夫人は非常な用心家で、決して一人の人を信任すると言う事は致しません。此の浦岸には何もかも知られて居たので、後事を托しましたけれど、猶(な)お老人だけでは安心せず、或る時夫人は私に向かい、死後の事は総て浦岸に任せてあるが、果たして彼が其の通りに行うか否か、何(ど)うかお前がそれと無く気を附けて見張って居て呉れと私へお頼みに成りました。

 私は即ち老人の為には夫人の目付けとも言う様な位置に在るのです。老人が果たして弥生嬢に対し夫人の言葉通りに行ったか否かを、私は見届けなければ夫人の頼みに背きます。真逆(まさか)に正直無二の老人が夫人の言葉を反故にしようとは思いませんけれどーー。」

 中尉は之を聞き、益々夫人の用心深い性質を知り、
 「成る程それくらいの用心は、夫人の性分として、加へて無くては成りません。シタが貴方は夫人が老人託した丈の事を残らず夫人から聞きましたか。」

 老「イヤ、残らずは聞きません。残らず聞かなければ見張って居る事が困難だと夫人へ申し立てました所、夫人の言うには、若し老人が私よりも先に死ねば其の時には、遺言の執行人をお前へ移すから何もかもお前に話そう。又私が老人より先に死ぬなら、定めた通り老人が遺言の執行人で有るから夫には及ば無い。何れにしても、今は大体の箇条だけ知らせて置けば好いと言われました。それで私は大体の事しか知りませんが、併し数十年夫人に付いて居た事なので、或る事柄は老人より詳しく知って居るのです。」

 成る程其の言葉の通りに違いない。仮例(たとへ)ば彼の松子が懐妊して弥生を産み落とした様な事は此の医師一人で取り扱かった事なので、此の医師ほど詳しく知っている者は無いに違いない。中尉は到底断念する外は無いかと殆ど絶望した秘密も或いは此の医師から聞く事が出来るかも知れないと、一縷(る)の望みを起こし、

 「実は先生、弥生嬢の素性から夫人の遺産の在る所まで残らず聞きましたが、唯一つ其の遺産を取り上げる手段を聞き漏らしました。何(ど)うにか工夫は無い者かと私は夫のみを考へて居たのですが。」
 老医は安心した様に、

 「ウム、それなら私が知っている。若し老人が夫人の遺言を果たさずに死にでもすれば私が其の大金を監督しなければなら無いから、或る場所だけは夫人から聞いて居たが、先日更に老人から引き上げ方を打ち明けられた。

 実は老人も私が内々夫人から見張りを命じられて居る事を感附いて居た様子で、そして自分が遠からず死ぬと云う事にも気が附き、心細く成ったと見え、先日私が、茲(ここ)を通る序(ついで)に立ち寄ったところ、遺言の執行に就(つ)き、種々心配の有る旨(むね)を語り、若しも私が任を果たさずに死に、其の上に大金を受け取るべき人が或いは死刑になり或いは行方知れずに成った場合には、斯々(こうこう)して此の大金を取り出し、配所に御座る国王へ寄付して呉と言って、取り出だし方を詳しく話された。」

 さては老人の言い残した所を、此の老医が聞いて知って居るかと、中尉は弥生の事を想いやり、我知らず老医の手を取り、
 「アアそれで助かりました。」
と云った。



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