巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 3.27

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百二、「サンサバスシャンの山洞」

 サンサバスシャンの山洞は、ローマから、馬車で急げば一時間で行かれるのだ。昔はここに寺があって、その洞穴は、人の死骸を埋めたところだと言うことである。これは歴史にも見えているから疑うところでは無い。この様な歴史のある洞だから、今では誰も行く人がいない。

 物好きな旅人でも、死骸の洞穴と聞いては、見物に行こうと言う気は起き無い。身震いして縮みこんでしまうのだ。それを幸いとしてここに本拠を定めたのが鬼小僧である。彼がどれ程大胆で、世の常の山賊と違うかと言う事もこれで分かる。

 馬車が進むに従い、安雄はかって読んだ事のあるサンサバスシャン寺の歴史などを思い出し、どの様なところへ行くのだろうかと、実は安き心も無かったのである。けれど、そのうちに馬車は山の麓に着き、これからは道が狭く、徒歩でなくては進まれないというところに行き着いた。

 第一に日比野が馬車を降りて案内者となり、伯爵と安雄とがこれに続き、最後には御者となって、馬車に乗って来た舌無しのアリが従った。夜は早や1時を少し過ぎて、下弦の月も赤く東の空に現れたけれど、窪(くぼ)い山道を照らしはし無い。松明無しに進むのは非常に困難であるけれど、幸い日比野が道の様子を細かに暗記していて、木の根、岩角、一々に注意する。
 
 行くこと数百メートルで、寺の古跡の門にも当たるかと思われるところに達した。このところには番兵が立っていて、足音を聞くや否やイタリア語で「誰だ」と聞き糺(ただ)した。勿論日比野の説明で無事通る事は出来たが、これから先は道の一曲がりごとに番兵がいる。なるほどこうも厳重では、不行き届きなローマの警察が如何ともなす事ができないのは怪しむに足り無い。

 行くうちに洞の門となった。この所から深い穴の中に下るのだ。下り尽くせば平地になっていて平地の行き詰まるところに、昔寺の奥の院でもあったかと思われる丸い柱が何本も有って、その柱を力に仮小屋ともいうべき建物が出来ていて、うす暗いランプをつるしていた。

 伯爵は足を止め、安雄を顧みて小声で、「アレが鬼小僧ですよ。」と言ってランプの下で、丸い柱に寄りかかっている人影を指差した。良くは見る事は出来ないが、年の頃は三十余り、骨格も逞しい男が余念も無く物の本を読んでいるいる。そもそも鬼小僧が多少の文字を理解して、常にアレキサンダーやシーザーの伝を愛読した事は、今もって話や文書にも残っているが、多分はこの時も、その類の英雄伝を読んでいたいるところであったのだろう。

 安雄は気味悪るがりながら、なおも瞳を凝らしてみると、彼のそばには何人もの手下が腹這っているのもあれば、胡坐をかくものもいる。様々にして、七、八人は侍(はべ)っている様子だ。

 この時最後の番兵は人の気配を感じたと見え、「誰か居るのか」と一渇した。声に応じて鬼小僧はたちまちその書物を投げ捨て、ピストルを取ってこちらを狙った。それに続いて腹ばいの男、胡坐の男、皆起き直って、大将の命令一つで躍りかかろうとする身構いである。安雄は今この一瞬の間にわが身は微塵にもせられるかと怪しんだが、伯爵は少しも騒がない。「オオ、鬼小僧、俺の入来を迎えるのに、余りに仰々し過ぎるではないか。」と笑いを帯びて言った。

 一語の効き目はほとんど呪文の様である。彼鬼小僧はピストルを投げ捨てて、「オヤ、伯爵閣下ですか。どうしてこの様な所へ。しかも夜の今の時刻に。」と叫び、飛び降りて来て平伏した。伯爵は叱るように「その方は俺への約束を破ったではないか。俺の体はもちろんのこと、俺の友人一切には決して危害を加えないと前に誓った言葉は、まだ忘れた訳でも無いだろうに。」

 鬼小僧は何の事か理解が出来ない。「イヤ、伯爵、決してご恩に背くような事柄は。」
 伯爵;「せぬとは言わさない。今夜、お前は野西子爵をこの山洞に捕らえていると言う事ではないか。」
 鬼小僧は真実驚いて、「エ、あの野西子爵が貴方の友人」
 伯爵;「勿論の事、俺と同じ宿に居られてーーー。」

 鬼小僧;「イヤ、その様な事は少しも知りませんでした。」
 伯爵;「宿は知らなくても、乗っておられたその馬車は、何度もお前が見た俺の馬車だ。それにも気が付かなかったと言うのか。」
 鬼小僧は頭を地に付け、「全く馬車には気が付きませんでした。貴方の御紋が付いているわけでは無し、同じ黒塗りの馬車が何百何千輌も有りました中ですので。」

 伯爵は安雄を顧みて、「どの様にこの者を罰すれば貴方はご満足が出来ますか。」
 安雄は細い声で、「罰するには及びません。武之助を無事に救ってゆく事さえ出来れば。」
 鬼小僧は初めて伯爵のほかに人が来ていることを知ったと見え、不安そうに頭を上げて安雄の方をすかして見た。

 伯爵;「ナニ、この方は、野西子爵の手紙を持ったお前の使いが尋ねて行った毛脛男爵である。心配する事は無い。」と言い、彼の身請け金を記した手紙を小僧の顔の変に投げ与えた。実に伯爵の勢力は驚くべしである。小僧は安雄に向かい、「重々私の間違いです。どうか貴方から伯爵にお取りなしを。」

 伯爵;「ナニ、それには及ばない。毛脛男爵も別にお前を罰するには及ばないと言われるから。直ぐに子爵野西武之助を受け取って帰るとしよう。子爵は確かに無事だろうな。」

 鬼小僧は手下を顧みて、「野西子爵は如何しておられる。」
 手下の一人;「先ほどまで歌などを歌っておられましたが、ここ一時間ほど静まりました。どうして居るか見てきましょうか。」
 伯爵;「それには及ばない。俺が行くから。サア、子爵のいるところに案内しなさい。」
 鬼小僧は自ら立ってランプを取り「サア、こちらへと案内をした、」

 それに従い、安雄と伯爵はまた奥深く進んだが、この先は全く土牢とも言うべきところである。昔団友太郎が捕らわれた泥埠要塞の土牢とは違っているけれど、崖のようなところに横に掘り込んだ深い穴は、熊か虎でも入れて置きそうな備えで、外に鉄柵まで結んであるのは、土牢というより外に名前は無い。

 伯爵は先ず小僧の差し出す灯火の光でその中を覗いて見たが、これだけはさすがフランスの紳士として感心しなければならない、土牢の中のわらの上で、あの武之助は気持ちよさそうに眠っている。

第百二終わり
次(百三へ)

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