巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu7

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2010. 12. 22

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

七、筆と紙、筆と紙 

 段倉は静かに次郎の顔を見たが、次郎の絶望の様子は前に増すとも、少しも減っては居ない。
 それはその筈である。今,、目の前にお露が友太郎に連れられて、婚礼の用意と言って嬉しそうにここを通ったのだもの。これが悔しくなければ世に悔しいことなどないと言っても好い。

 「明日、婚礼」と友太郎も言い、お露も言った。ただこの一語が次郎の耳には死刑の宣告のように響いている。アア、明日、明日、今夜一夜で何事も、取り返しのつかないことになってしまうのだ。いや、今既にそうなってしまっているのだ。
 次郎はただ拳(こぶし)を握りつめて、絶望に呻(うめ)く外は何もすることが出来ない。この様子を見て段倉は喜んだ。次郎が悔しがれば悔しがるほど益々我が道具に使いやすいのだ。もう、いよいよ奥の手を出す時である。

 けれど、このようなことが他人に知られてはならない。奥の手は出すにしても、親密な毛太郎次にさえ悟られないようにしなければならない。先ず、段倉は毛太郎次に酒を勧(すす)めた。本当に用心の綿密なことである。尤(もっと)も、これほど用心が深い人で無ければ、真の悪事は出来ないのだ。

 少しの間に毛太郎次は酒に夢中となった。段倉が次郎に向かって何を話すか、何をするか、その様なことは気にも留めない。己はただ飲む一方である。最早、頃合は好しと、段倉は見て取って、次郎に向かい、

 「本当に友さんもひどいねえ、お前にこのようなことを見せびらかして通ってさ、なるほどお前が、友太郎を殺せば、お露が死ぬからと言い、その気兼ねのためにこらえているのは分かった。分かったけれど、明日直ぐに婚礼と言うことまで聞かされて、黙っていなければ成らないとはあんまり悔しいではないか。私は人ごとだとは思わないよ。エエ、残念だなあ、私がお前なら直ぐにあいつを牢の中に叩(たた)き込んでしまうけど。」

 次郎は聞き耳を立てた。「エ、牢の中へ」
 段倉:「そうさ、その筋へ訴えさえすれば直ぐに、友太郎が牢に入れられることがあるのだが。誰か訴える人は居ないかなア。」
 次郎;「私が訴える、私が」
 段倉;「そうさ、牢へ入れさえすれば、何もお露が直ぐ死ぬと言いはしないだろうし、明日の婚礼も延ばせるのだから、そのうちには、又何とか上手い工夫が有ろうじゃないか。」

 次郎は全くその気にさせられてしまった。
 「どの様なことを訴える。」
 段倉;「お前が本当に訴える気なら、私がその種を明かしてやるけれど、イヤ、待った、待った、牢へ入ったものは出て来る時があるのだから、明らかにお前が訴えたと分かって居ては、出た時にあいつがお前のところに喧嘩に来るぞ。」

 次郎;「喧嘩なら幾らでもしてやる。」
 段倉:「それがそうではないよ。喧嘩をして彼に瑕(きず)でも付ければ、又お露が生涯お前を恨むじゃないか。」
 次郎は端と詰まり、「なるほど、それはいけないなア。」

 段倉:「イヤ、良い考えがある。筆と紙とが欲しいなア」
 次郎;「エ、筆と紙」
 段倉;「そうさ、私は船に居ても、筆を持って帳面を付ける役だから、筆が無ければ何の仕事も出来ない。その代わり、筆ならば剣よりも確かに、人を傷つけることも出来る。」
 次郎は狂人の状態で「筆と紙を、筆と紙を」と酒店の給仕(きゅうじ)《従業員》に向かって言った

 やがて筆と紙とが、テーブルの上に置かれた。段倉の目はこの二品を見て異様に輝いた。これさえあれば友太郎の一人や二人、亡い者にするのは訳もない。泥酔して毛太郎次はただこの一語だけを聞き取って、舌も通らない酔いどれの本性でたちまち大声に、「誰が友太郎を殺すと言うのだ。べらぼうめ、友太郎は俺の友達だエ」と叫んだ。

 段倉:ナニ、誰も友太郎を殺そうと言いはしない。冗談だよ。冗談だよ」
 毛;「冗談なら静かにしろ、うるさくて酒も飲めない。」こう言って又夢中の状態に戻った。

 段倉は再び次郎に向かい、「友太郎は、大変な政治上の運動に加わって国事犯をやっているのだからね。その次第を、これ、こう書いてよ、この土地の検事に送れば直ぐに逮捕されてしまうわ。このような手紙は書いた主が分かってはいけないから、左手で書くのに限る。左の手なら誰の字も同じだ。」

 全く冗談のように言いながら、左手に筆を持って書き出した。その文句は以下の通りである。

 「国王に心を寄せる忠実な私は謹んで検事に密告する。今日地中海の東岸よりイタリアの海を経て当地に入港した帆前船巴丸の船長代理、団友太郎は、兼ねて国王の朝廷を覆(くつがえ)そうとする陰謀に加担し、イタリアにある謀反者から密書を得て、エルバ島に立ち寄り、密かにナポレオンに謁(えっ)し、更にナポレオンの配下の将軍ベルトランからパリの党員宛てた密書を託され、今まさにこれをパリに持って行こうとしている。」

 「早々に捕縛して検査すれば、彼の身体、または父の家、あるいは巴丸の船長室にその密書はまだ存在すると見られる。国家大事の折、一刻も油断あるべからず。至急、至急」と書き終わった。

 真に殺すも傷つけるも自由自在の筆ではある。「この手紙をこう袋に入れてよ、検事へ宛てて、こう上書き書いて、これで印紙を貼って、郵便に投函さえすれば後はひとりでに上手く行くのだ。本当に世の中は妙なものではないか。」と言って早や、宛名まで矢張り左手で書き終わり、全く冗談のようにからからと打ち笑った。

 泥酔ながらも夢か現のようにこの声を耳に入れて毛太郎次はまた杯から顔を上げて「何の手紙だ、検事正に何を密告するのだ。とこっちを睨(にら)んだ。段倉は驚きもしない、また打ち笑って、「酔いどれと言うものは、本当におかしいよ。人の冗談を真に受けてよ、誰が密告などするものか。ただこうすればこうなると話しているだけじゃないか。」と独り言のように言い、

 又更に、「イヤ、冗談でも、もし、どうか言う間違いで、冗談でもなく思われてはならない。どれ、この手紙を破ってしまおう。」と言い、実は破りも何もせず、ただ手の中で揉(も)むようにして、全く紙くずのようにして部屋の隅に捨てた。

 そうして「オオ、しゃべっていてのどが渇いた。毛太郎次さん、私にも一杯おくれ。」こう言って自分も飲み、毛太郎次には更に何杯かを続けて飲ませ、全く前後不覚のようになったのを見て「サもう帰ろう、帰ろう」と自分の肩に毛太郎次を掛けるようにして、引き立て、次郎に向かっては、「マア若いのにあんまり短気はしない方が好いぞ。」

 短い言葉を残したままここを立った。外は早や夜に入って闇である。闇の中からソッと振り返ってみると、店には次郎が血走った目で辺りを見回し、今持った手紙を拾い上げている。段倉は物凄く微笑んだ。ただ毛太郎次だけは段倉の肩にすがって何事も知らない。

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