巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ikijigoku18

活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2018.5.18

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     活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

     第十八回  息があった柳條 

 角三は小才の利く男ではあるが、大憺(だいたん)な人では無い。何方かと云えば、寧ろ臆病の方なので、二人とも死んで居ると云うのを聞き、身を震わせて二足ばかり引き下がったが、英国士官は之を見て、
 「肝心の介添人が、その様な事では仕方が無いでしょう。」
と云った。僅(わず)かに此の言葉に励まされ、馬車の前にある灯(あ)かりを取り、窓の中を伺い見ると、これは無惨と云おうか,痛わしいと云ったら好いか。柳條も独逸士官も血に塗れて横たわる様は、思ったよりも恐ろしく、英国士官は呟(つぶや)きながら、

「貴方は今まで介添人を勤めた事がないと見えますな。その灯(あかり)をお出しなさい、私が中を検めます。」
と窓を開いて中に入った。独逸士官は仰向けに反り返って、柳條がその上に仆(たお)れ掛かり、柳條の小刀(ナイフ )は今しも十々滅(とどめ)を刺したと覚しく、士官の喉に立った儘(まま)である。

 士官はそれを悔しいと思ってか、一眼を開いて馬車の天井を眺め詰た有様は、実に二目と見られない程である。英国士官は周章(あわて)もせず同僚に向かって、
 「駄目だ、君番兵を呼んで来たまえ。」
 番兵と聞いて栗山角三は打ち驚き、

 「私を番兵にお渡しなされては困ります。」
 英「ナニ決闘の事ですから、大概は此の儘(まま)済ませます。後で若し詮議(せんぎ)《取り調べ》が厳しくなれば貴方も一度か二度呼び出しを受けるかも知れませんが、今夜直ぐに番兵へ引き渡すなどと、その様な事は致しません。」
と言い捨てて立ち去った。

 後に残る一人は更に死骸を検(あらた)めながら、
 「ヤ、未だ片方は息があるワエ。」
 角「エ、息がある。それは何方(どっち)です。」
 英「貴方の方です。」
 扨(さ)ては柳條、命だけ取り留めたか。角三は僅(わず)かに力を得て、篤(とく)と柳條の身体を見ると、宛も死に際の人が動く様に、ピクピクと身を動かす様子である。

 傷の深い浅いは知らないが、命だけ残っているのを見れば、二百万法(フラン)の大金も未だ脈のある者と知られる。大金さえ脈があれば、幾分か安心だと心の中に頷(うなづ)きながら、漸く介抱を初めたが、此の時一人の士官は番兵に釣り台を舁(かつ)がせて帰って来て、独逸士官を是に載(の)せたけれど、角三も柳條が身体を馬車の中にある腰掛へ凭(もたれ)させた。

 この様な所へ酔泥(よいど)れて歩み来た、一人の男は此の馬車の馭者(ぎょしゃ)に違いない。
 「旦那お約束の一時間が経ちましたから、馬車を受け取りに参りました。」
と云う。士官は、
 「最(も)う用事が済んだから持って行け。」
と云ったまま、釣り台を舁(かつが)せて兵営の方へと立ち去った。角三は殆ど思案に余り、茫然とその後を見送るだけだったが、御者はこの様になっているとも知らず、

 「ヤア大分飲んだと見えますが、釣り台で運ばれる程酔っては始末が悪い。」
 扨(さ)ては此の馭者、己が酔った余りに、死人を見ても酔泥(よいどれ)と思ったか。それは返っ幸いであると、角三は直ぐに思案を定め、
 「実はナ、今、アノ士官と俺の友達とがブランデーの飲み合いをして、俺の友達は此の中で倒れて居るが、お前は此の馬車で送って呉れないか。幾等でも遣るから。」

 馭者「旦那其処(そこ)へ行っては酒呑みは情けがあります。私なぞも時々人の厄介になる代わりに、又人の酔い潰れたのを見捨てては置きません。何処までですか。送りましょう。」
 角三は暫し考えたが、今未だ柳條の住家は知らない。何所まで送るべきか。先程の書付に記してある、上田栄三の家へ運ぶのも妙案では無い。

 兎に角も、此の傷が全く癒え、大金一條の済むまでは、柳條をば我より外は誰にも逢わさない事として置かなければならない事。
 「好し好しエンフア街まで送って呉れ。」
と命じ終わって、自分も血だらけの馬車に乗り、怪我人とは思わず、二百万法(フラン)の大金と思って、柳條を己(おの)が膝に抱き上げて、我が半拭(ハンケチ)を取り出して所々血の止まらぬ傷所だけを結んだ。

 馭者「旦那、此の辺りに一寸酒屋は有りませんが、何所で酒を買ったのです。」
 栗「ウム酒か、酒は爾(そ)うよ、相手が士官だから、戦場にでも出る積りで、二瓶だけ肩に掛けて持って居たのサ。先ア無駄口を聞かずに良く気を付けて遣って呉れ。」

 馭者「そうですね、余り酔った人は車が揺れると吐きますから。」
 御者は飽くまでも酔泥(よいどれ)人と思って居る様子で、それに己れも充分に食らい酔って居る様子なので、角三は安心して、此の馭者は必ず明朝になれば、今夜の事を打ち忘れ、馬車に血のあるのを見て驚いても、俺の顔まで覚えて居ることはないだろうと思った。

 是より馬車は進み進んで、エンフア街に着いたが、その中程の片側に非常に古い高塀がある。闇の夜ながら、塀の中から高い木の梢が見えるのは、庭を囲んでいる者に違いない。角三は此の高塀から二十間(36m)ほど手前で馬車を留め、俺も釣り台を持って来るから待って居ろ。」
と云い置いて、殊更に塀の傍の暗い所に身を寄せて、何所かへ行き去ったが、良(やや)あって、一人の丈夫な男に寝台を持たせて帰って来て、馬車から徐々(そろりそろり)と柳條を抱き降ろして寝台に移し、馭者には幾等かの金を与え、馬車の遠く立ち去るまで見届けた後で、

「杢助(もくすけ)此の道へ血が落ちるかも知れないから、後で良く洗い直して置け。」
 杢助と云われた件の下僕(しもべ)は、角三が何故に夜中にこの様な怪我人を連れて来たのか、それ等の事を問おうともせず、
 「ハイハイ」
と心得て、角三と共に寝台を舁(かつ)ぎ、高い塀の下を通って、塀に続く家の中へと柳條を舁(かつ)ぎ入れた。



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