巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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   活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

   第五十六回 掘り出しに渋る栄三
 
 目指す所は門苫取(モンマルトル)の岡に在り、岡の下にある穴に在り、アア哀れむべし烈女お梅、前には賤(いや)しい国務探偵と間違えられ、聞くも恐ろしい活埋(いきう)めの無惨に逢い、今は又悪人共から、その死骸を掘り出されようとする。お梅に何の罪あるか。

 鳥村槇四郎はその手下原田と共に、夜の九時から掘り始めようと云い、栗山は下僕杢助(もくすけ)及び探偵小根里と共に、十時から取り掛かろうと云い、僅かに一時間の違い、終に鳥村の勝ちとなるだろうか。否夜森々として風蕭々(しょうしょう)《ものさびしく風が吹く》たり、聖ユウスタシユと言う巴里の中央に在る寺の時計、今や夜の十時を報じた。

 鳥村は今正に穴の奥で掘り返えしに忙しくしており、栗山角三は穴の入口で小根里と相談中に違いない。此の二人が事は暫く置き、柳條健児が為を思い、此の二人を敵として、今まで大膽(胆)に戦って居た町川友介は、何の様にしているだろうか。

 彼れ自ら秘密党の一員として、手ずからお梅を埋めながら、今だにお梅の在家を悟ることが出来無いか。彼れ何故に遅疑しているのだろう。彼れ実は遅疑しているのでは無い。彼れは今、上田銀行の事務室に在り、その頭取栄三と共に、頻(しき)りに何事をか相談している。

 見廻せば此の部屋の隅の方に、二個(ふた)つの鍬(くわ)と二個の松明とを置いてある。銀行頭取の事務室に、此の様な品物を見るのは、今が初めてに違いない。頭取は日頃よりも更に打ち鬱(ふさ)いだ顔で、手を組み首を垂れるばかり。町川は毎(いつも)の様に、肥えた顔に溢れるほどの笑みを浮かべ、是から何か大事を始めようとする様に、眼に充分な決心を現わした。

 此の二人何事を相談しているのだろうか。町川は栄三の顔を見詰め、その返事を待つ様子であったが、待ち兼ねてか、手の掌(ひら)でテーブルを軽く叩き、
 「サア何うだ。君考えてばかり居ては果てしが無い。今までは此の上も無い決心の早い男だったが、何うしてこう遅疑(グずぐず)する様になった。」

 栄三は漸(ようや)く顔を上げた。その色の青い事、宛も土の様であるのは、此の頃の心配に衰えた者ででもあるのだろうか。将(まさ)に今一時に心騒がす事があって、面(かお)にまで現れた者であろうか。頓(やが)て徐々(しずしず)と声を発し、
 「では行く方が利益だろうネ。」

 町「利益、其様(そん)な手弛(てぬる)い事を言って居ては仕方がない。柳條の為を思えば、イヤサ君の為を思えば、何うしても行かなければ成らない。利益の不利益のと云う気の永い話しでは無い。」
 栄三は気の無い顔で、
 「イヤ僕の為とならば僕は断ろう。行くには及ばない。」

 町「又其様(そんな)事を言う。君の為でなく、瀬浪嬢の爲じゃないか。嬢の幸福は全く此の一挙に繋がると云う者だ。」
 栄「ナニ必ず嬢の幸福とは云われないテ。成る程此の一挙が旨く行けば、二百万法(フラン)の財産が柳條の物になりは仕ようが、それは唯金持ちになると云う丈のことで、それが幸福か不幸かは未だ分からない。

 町「君は何時になくルソーの様な理屈ばかり唱えて居るから困る。柳條が一文無しで嬢と婚礼すれば、二人は何うなると思うか。」
 栄「二人とも働くのサ、僕はもう瀬浪の決心も聞いて居る。瀬浪の母は僕と共に汗水に成って働き、一人前の財産を作り上げた女だから、その事を話て聞かせたら、瀬浪も母の様に所天(おっと)と共に働きた度いと云う事だ。」

  町「イヤ働くと云う決心はあるだろうよ。けれど金満中佐の遺産二百万法が柳條の手に落ち、働かずして此の世が立派に送られる様になれば、此の上の事はないと云う者だろう。」
 栄「でも成るべくは、自分で苦労して稼ぎ溜めた財産が尚(たっと)いのだ。」

 町「コレサコレ上田君、何故その様な分からない事を言い張るのか。是から二人が働いて財産を作り、その上世帯を持つなどとは、今日云うべき事じゃない。柳條が牢に入ってから、嬢の顔の痩せたのが、君の目には附かないのか。此の上苦労を掛けて見給え、嬢は死んで仕舞うかも知れないぜ。」
と親子の情に訴えれば、流石に繋がる恩愛は、栄三の心を動かしたようで、深い溜息を吐きながら、

 「ウムーーそれは爾(そう)だ。実に爾(そう)だ。」
 町川はここぞと附け入り、
 「それのみか君が今まで汗水を垂らして築き上げた、此の銀行の財産も、既に頽(崩)れる期限が見えて居るではないか。今日はコレ九月の九日だぜ。馬平侯爵に返金する期限が明後日じゃないか。その金を返して仕舞えバ、閉店する外はあるまい。」

 栄「イヤ返済の金だけはもう揃えてあるから、明後日払い返して閉店する丈の事だ。」
 町「明後日に返すと言っても、明日その金に手を附けなければならないぜ。ハブル港の得意先から催促が来て居ると先刻も話したじゃないか。」

 栄「イヤそれは来る二十五日まで待って貰う様に、今し方手紙を出して置いた。得意先とは云う者の、永年取引する銀行だから待たないとは云わないだろう。必ず待って呉れるだろう。」
 町「好しんば待って呉れるにした所が、二十五日に到り何を以てその払いをする。その時に至って、矢張り恥ずかしい思いをするに極まって居る。

 それより今、金満中佐の遺言書を探し出して見給え。柳條健児は君の組合人であり、君の婿夫(むこ)でありその婿夫が二百万法以上の財産を得ると云う事が世間に分れば、幾等でも融通の道はある。今之を探さなければ座して自滅を待つばかりだ。」
 栄「それは爾(そう)だ。成るほど我が婿夫として見ればその婿夫の物となる遺言書を探すは務めかも知れぬが、僕ハ今思っても気持ちが悪い。自分で夫(それ)を掘り出しに行く気はない。之は全体柳條が自身ですべき事柄だろう。」

 町「勿論自身でするべき事柄サ、けれども柳條は牢に入って居るから仕方がない。その友達である僕や養父である君が代わって仕て遣るのが当然だろう。」
 栄「牢に入っては居る者の、篤(とく)と聞き糺(ただ)して見れば、未だ秘密党連類の件は、その筋でも証拠が挙がらず唯独逸(ドイツ)士官との決闘の件だけだから、遠からず無罪になる。愈々(いよいよ)無罪になった上、彼が自身で取り出すだろうと思うから、僕は何もその代わりを務めて遣るには及ばないと云うのサ。」

 此の話しにて見ると、町川は鳥村や栗山と同じく、金満中佐の遺言書を掘り出そうと思って、強いて栄三に勧めているのだが、栄三は心進まず、柳條が牢から出て来るのを待ち、彼れがなすのに任せようと思って居るようだ。栄三がこの様に言うのも、その身に取っては無理も無い。

 しかしながら町川は之に屈せず、
 「成るほど柳條は近々の内に許されるかも知れないが、許された所で仕方がないよ。その前に鳥村の方で手を廻し、遺言書を取って仕舞うから。エ、爾(そう)じゃないか。柳條が牢から出る前に遺言書は既に焼かれて仕舞うぜ。そうしたら何うする。」
と町川は益々熱心に説き立てた。

 若し此の二人に向かい、今夜既に鳥村が九時に、栗山が十時に行った事を知らせたなら、何れほどか驚くに違いない。


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