巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

musume49

嬢一代   (明文館書店刊より)(転載禁止)

バアサ・エム・クレイ作  黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.8.20

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               四十九

 イリーンは李羅子のいたましさと、我が振る舞いの恐ろしさに、殆ど顔色を平静に保つことが出来なかった。着物を替えると言い訳して、暫(しば)し李羅子を待たせて置き、逃げる様に次の間に走り入った。
 入って暫く考えてみるに、我が身には最早李羅子を慰める言葉は無い。

 夫公爵の許に連れて行き、公爵の手に任すより良い方法は無いと、直ちに衣服を着け替えて、先ず鏡に向うと、夜一夜を恐れ明かした我が顔は、日頃の艶々しさに似ず、色も全く青冷めて、我ながら恐ろしいと思われる程なので、少しばかりの化粧を施し、是ならば人にも怪しまれないだろうと見て、再び李羅子の許に来た。

 この様な時には男の知恵を借りる外ないと、その手を引いて公爵の許に行くと、普段から憐れみ深き公爵は、イリーンの言葉を待つまでも無く、
 「イヤ、李羅子さん、きっと心配では有りましょうが、ナニ昼頃までには必ず春人は帰って来ます・・・・か、それとも必ず便りが有ります。」

 李羅子は涙に曇る声で、
 「もし無ければ。」
 「イヤ、もし無ければ、その時こそ人数を惜しまず、草木を分けてこの近辺十里の間を残る隈なく探させます。昨夜は狩場の辺ばかり探させましたが、今度は方角を限りません。ハイ、私が自分で人足の指図をして、林の中に落ちた木の葉を一枚一枚取り除けて探させます。」

と真実面に現れて説いたので、李羅子は僅(わず)かにその眉を開いたが、これに引き替えイリーンは我が運も茲(ここ)に尽きるかと心配した。一旦斯(こ)うと決した事はその通りに行う事は、公爵の日頃の気質なので、午後には充分な捜索を行うに相違ない。

 春人が既に死に切っているものならば、その死骸が現れるとも、死人に口は無く恐れる所は少しも無いけれど、もし息が未だ通う儘(まま)見出されれば、我が身は忽ち破滅である。如何(どう)したら好いだろうと思ううち、公爵はその顔色を怪しんでか、
 「オヤ、イリーン、和女の顔は如何したのだ。酷く気分でも悪いと見える。」
 イリーンは返す言葉が喉に詰まって、一言も発する事が出来ない。

 李羅子は傍へ寄り、
 「イイエ、夫人はこれ程まで、私のことを心配して下さるのです。」
と言い説いた。
 兎に角も捜索の始まらないうち、再び春人の倒れて居る所に行き、彼の生死を見届ける外は無いので、イリーンは朝餐の済むのを待ち、李羅子を来客中の夫人達に打ち任せ、漸(ようや)く客間を抜け出して我が父團噸(ダントン)氏の部屋に行き、昔預けた彼の偽婚礼の指環を乞うと、父は不審に耐えない顔で、

 「和女はアノ指環を如何する気か。公爵夫人とまで崇められ、何一つ不足の無い有り難い今の身で、その様な事はもう忘れるが好い。」
 イリーンは強いて、何気ない声を装い、
 「ナニ、あの指環が要る事があるのです。」
 要る事が有るの一語に、父は忽ち気付いた様に立ち上がって、目を丸くし、

 「和女(そなた)は昔、この指環を渡してくれと言う時は、復讐の仕果せた時と思えと、私にそう言ったのう。」
と問つつ、イリーンが心の底の底を読み破らんとする様に、イリーンの顔を穴の開くほど眺め詰めたが、幾年の辛さ、悲しさに鍛え上げたるイリーンの顔の筋は、この場合に臨んで少しも動かず、又何の返事も無い。父は再び、

 「和女は公爵夫人という身分に背き、父の名にまで障るような事はしないだろうのう。」
 「ハイ、決して致しません。」
 父はこの言葉に安心し、且つは幾分か合点する所が有るのか、唯独り頷いて部屋の隅にある箪笥(たんす)から、昔封じて納めたその指環を持って来た。渡そうとして、又考え、

 「ハテな」
と言って、少しの間無言だったが、
 「ハテナ、日頃から和女(そなた)が何と無く、余所余所しくしていた西富子爵が、昨日から行方が知れないと言うことだが・・・・」
 是だけ聞いて、イリーンはビクリとした。

 「アレは帰って来るだろうか。」
 イリーンは唯一語、
 「アノ様な人は、帰らない方が好いでしょう。」
 父は全く合点した。非常に満足そうにその眼を光らせて、
 「好し、サア、是を持って行け。」
と初めて指環を渡した。

 イリーンは手に取るのだけでも我が手が焼かれる程痛いけれど、殆ど父の膝に泣き伏そうとする我が涙を隠すことが出来ず、その儘(まま)に顔を背けてこの所を立ち去って、見る人が無いのを幸ひに裏手の山へと分け入った。
 アア、春人は如何しただろう。まだ事切れと為らずに、昨夜から苦しみ続け、今もその苦痛に叫んでいるのだろうか。それとも彼が罵(ののしっ)た様に、一時に一寸一寸、人里を指して這い寄りつつあるのだろうか。

 もし彼の秘密の場所に倒れた儘(まま)ならば、たとえ夫公爵の捜索でも探し出す事は無いだろうとは思はれるが、何さま気掛かりの限りなので、イリーンは踏む足も地に着かず、顔を遮る木の枝を跳ね除け、藻裾に絡む蔦茨を踏み躙(にじ)り、喘(あえ)ぎ喘ぎして彼の所の近くに行くと、木の間より散散(ちらちら)と見える一物は、見紛(まご)う方無き彼の身体で、昨日倒れた儘(まま)だったが、何の声も発しないので、苦しみ尽して死に切ったものと見える。

 更に進んでその頭の傍に行くと、そうだ、彼は全く事切れたようだ。
 眼は安らかに閉じられていたが、その顔の一面に一方ならない苦痛の跡を留め、且つは辺りの草などを掻き毟(むし)って有るのは、一寸でも動こうと藻掻いたものと思われる。指の先まで泥に塗(まみ)れ血に塗れ、傷付いた関節は腫れ上がり、傷口の血は早や出尽して半ば乾いた様子だ。アア是れは何という無惨な死に様だろう。

 イリーンは流石に女の憐れむ心が内に動き、この様を見るのに耐えられなかった。他の人の死骸ならば、たとえ見ず知らずの仲にもせよ、抱き上げてまだ一脈の命は無いかと、充分の手を尽すべきとこだが、この人の身体には再び触れるのさえ汚らわしい。

 この人、是れこそ我が終生の讐(かたき)である。女の身としてこの上の辱めは無いまでに、我が身を辱めた恥知らずな男だと満腔の憐れみを掻き消しながら、彼の指環を手に持って死骸の傍に俯(うつむ)くと、人の気を感じてか、死骸の顔は忽(たちま)ちに眼を開けた。

 アア春人は死骸では無い、まだ一脈の命があり、死のうとして死に切られず、身体の力が尽き果てた後までも、独り苦痛を感じつつある者だ。
 開いたその眼はイリーンの顔を眺め、その誰なのかを知った様に、非常に異様に輝くと共に、乾いた彼の唇は、虫の音よりももっと微(かす)かな声を洩らして、

 「アア、鬼女、アア人殺しめ」



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