巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ningaikyou37

人外境(にんがいきょう)(明文館書店 発行より)(転載禁止)

アドルフ・ペロー 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2020.5.18

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          第三十七回 沙漠を横切る大蛇

 この頃はアフリカの内地では、専ら北風が吹く季節だと言うので、船に帆を掛けてナイルの河を、ハルツームの方に遡ぼるのには丁度良い時なので、漠々村(バーバーソン)から発した一同の乗船は、矢の様に流れを遡り、僅か二時間に七哩《13km》を馳せ、西岸には帯地(ヲレンチ)と云う村を望み、東岸には朝原(アサハラ)と云う川がナイルに注いで合っするのを見る。

 この辺りはナイル河の最も幅広い所で、水の静かなること鏡の面とも云うほどで、船は宛(あたか)も水に映る己れの姿に見惚れながら進んでいるようだ。

 日の暮れになると、東岸は一帯に樹木の茂った森を眺め、西岸は点々と村落があって、その背後は広さが限り無いかと思もわれる馬兵田(バビョウダ)の大砂漠である。砂漠に落ちる夕日の影は、天に映じて火事のようで、又遥かに東岸の樹木に輝いて、木梢(こずえ)は悉(ことごと)く紅をもって染めた様に見える。

 この景色に浮かされてか、小は羊、山羊から、大は野牛駱駝の類が、樹木の陰から水際に出て、首を揃えて水を飲み、又西岸を望む様子は獣ながらも、天然の美を楽しんでいるかのようだ。

 一同はこの所で西岸へ上陸し、水夫には船を行き先の椿台(ちんだい)と云う村に廻して待つようにと命じたが、西岸は即ち瑪瑯(メロー)村と云い、数千年前は一番の霊地に数えられ、僧侶の学校などが有ったとかで、今も様々な古跡が存し、世界に名高い金字塔《ピラミッド》なども有る。

 一同は馬で古跡を見廻った末、原住民の酋長から、天幕(テント)二張を借りて野宿したが、夜の十時頃になって、どこからか異様な香(にお)いが風に送られて来た。暫(しばら)くの間止まなかったので、通訳亜利を外に出して、その元を探らせると、この地の女は夫の愛を得ようとする為め、地に穴を開けて香木を焚き、身を燻(くん)して寝に就く習いで、その余烟の靉(たなび)いて来た物と分かったので、異様なる風俗かなと一同一笑して眠りに就いた。

 翌朝は帆浦女の外は皆馬に乗り、岸に沿って椿台の村まで行くと、ここは昔から奴隷を売り買いする市場として広く知られた所であるが、この頃その事が非常に厳重に禁じられた為め、全市寂(さび)れて特に見る所も無い。

 一同の船は昨夜の命令に従って、この所の岸辺に停泊していたが、一同再び之に乗り、又幾里(数km)をか遡(さかの)ぼって、象牙の市場として知られる又馬《マタンマ》と云う村に着いた。ここでも又見物の為め上陸したが、もとより市場と云うべき程では無い。村と名附けることさえ勿体無い程の有様で、獣の巣にも等しい家二、三十を認めるだけ。

 唯だ驚くべきは背後に横たわる馬兵田(バビョウダ)の大砂漠である。一望際限無く、砂遠く天に接する様は、大洋の広さにも似ているので、せめてはその一端をなりとも踏み試みようとの議が起こり、西の方を指し、沙漠の中へ足を入れると、暑さは一方ならずとは云え、ナイル河から起こる風が徐々(そろそろ)と吹き送られて来て、馬の背が涼しく思われるので、知らず知らずに深入りし、但(と)ある緑島(オアシス)に着いた。

 一同ここに足を留め、少しの間休憩する中に、平洲文学士は双眼鏡を取り出だし、しきりに沙漠の果てを望み、
 「アアこの沙漠には何うしても果てが無い、ここから奥へ深入りしては帰る道が分からなくなる。」
と云い、更に又一方へ向かったが、忽ち打ち驚いた様子で、茂林を振り向き、

 「君、君、不思議な大動物が現われ出たぜ。」
と云う。茂林は双眼鏡を受け取ってその指さす方を見、
 「成る程、不思議だ。この辺を指して徐々(しずしず)と進んで来る様は、アア巨蛇(うわばみ)だ、巨蛇(うわばみ)だ、少なくとも身体の周囲が一丈《3m》以上で、長さが二丁(200m)位は有る。」

 言葉が冗談とも思われ無いので、一同は驚いて、この辺りの事情に詳しい亜利の顔を見詰めると、亜利は同じ通訳の阿馬(オマー)と共に肉眼のまま、遠くその方を眺め、
 「そうですね、長さが確かに二丁《200m》位は有ります。」
 博物の通人を以て自ら許す寺森医師は眉を顰(ひそ)め、
 「今の世界に長さが二丁(200m)も有る巨蝎(うわばみ)などは居ない筈だが。」

 亜「ナニ巨蝎では有りません。人類です。何でも二、三百人行列してこの沙漠を横切るのが丁度巨蝎(うわばみ)の様に見えるのです。」
 たとえ人類だとしても、二、三百人が行列するとは、合点が行かない事なので、
 平「人類とは何者だ。」
 「アレは奴隷商人が、奴隷を引き連れて居るのです。」

 阿馬(オマー)も口を添え、
 「多分コルドハンで奴隷を買い出し、数珠繋(つな)ぎに捕縛して、ヌビヤの方へ行くのですから、今にここを通りますよ。」
云う中に、行列の姿は如何にも巨蝎(うわばみ)が蜿轉(ひゃっく)る様に、一同の肉眼にも見えることと為った。

 茂「奴隷厳禁の今の世に、数百人の奴隷を引き連れて行くとは怪しからん。同じ人類が人類を奴隷として虐待し、売買するとは、文明人の許す事が出来ない所だ。彼奴等がここへ来たらば、吾々の力で解放して遣らうでは無いか。エ平洲君」
 平洲が何とも返事しない間に、亜利は又口を発(ひら)き、

 「イヤそれは甚だ危険です。奴隷商人は孰(いず)れも命知らずの彼奴(やつら)ですから、傍(はた)の人が手を出せば、必死に成って防ぎます。それに又此の辺りで奴隷取り引きの盛んな事は大変な者で、たとえ此の一隊を解放したとしても、何の足しにもなりません。」

 「でもエジプトには英国のペイカー将軍が出張して、奴隷の余風を根絶やしにすると云い、盛んに此の内地へ役員を派し、奴隷商人を捕縛して居るぢゃ無いか。吾々もエジプトでペイカー将軍に逢い、途中で若し奴隷商人に出会ったならば、何の様な酷い目にでも遭わせて遣れと、許しを得て居る。将軍が是ほど厳重なのに、未だそれほど奴隷取引きが行われて居るのか。」

 「そうですとも、それだから彼等は人の目に触れない様、此の沙漠を横切るのです。船でナイル河を下るのが楽ですのに、河を下れば将軍の属僚に捕らわれる恐れが有る為です。」
 問答する間に、奴隷の一行は僅(わず)か十町《1km》ほどの所まで進んで来ていた。



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