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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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野の花(前篇)

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トーマス・ハーデー著  黒岩涙香 訳 トシ口語訳

野の花

           十一  「動物は総て自然」

 スコットランドの湖辺でハネムーンを終え、澄子は冽(たけし)に連れられて、いよいよその本邸に帰って来ることになった。
 この本邸は瀬水城と呼ばれ、昔は敵兵をここでくい止めた事もある立派なお城だ。

 その外側の高大な様子を見ただけで、大抵の者はおびえてしまう。特にその内部の立派さはまた格別で父の家より外を知らない澄子に取っては果たしてどのような気持ちがするだろう。

 今夜はその到着する晩なので、母親と例の品子とは、待ち受けている。母親は気分が乗らない様子で、「まあ、何と言うことだろう。エエ、品子さん、当主の奥方が初めてこの家に入るのに、客一人招かずに、この通り静かにして待っているとは、余りに世間体も悪いじゃないか。けれど仕方がない。非常に内気な女だから、誰をも招かずに、居てくれと冽からの、くれぐれの書面だから。」

 品子は花嫁の傷に成るような事を聞くたびにうれしく思う。
 「本当にねえ、内気な子爵夫人とはこの家に初めてでしょう。もしこの城が敵兵に囲まれた時、大手門の守兵を指揮した武勇夫人もあり、公使がなしえない交渉を、笑顔で成し遂げたと伝えられている外交夫人もあり、そのほか王権党の城主とあがめられた政治夫人や、慈善事業を企てた博愛の夫人などは、幾らもこの家の記録に残っていると聞きますが、客の前に出るのを嫌がる内気夫人とは、オホホホ、毛色が変わって、これもたまには良いでしょう。」

 「冗談ではありませんよ。私は心配で成りません。余りに不釣り合い過ぎはしないかと。ーーー全体、冽(たけし)は一度良いと思い込むと、どのような悪いところをも、見て取ることは出来ない性分で、言わば、酔っているのも同じ事だから。」
 「酔っているから持てた者ですよ。もし、酔いが醒めてはっきり善し悪しが分かる日にはおしまいです。」

 悪口に夢中になっていて、馬車が着いた音も知らなかった。話し途中にたちまち戸が開き、冽(たけし)の笑顔が輝き込んだ。後には勿論澄子が付いている。母親は、「まあ」と一言叫んだままで、澄子の姿に見とれてしまった。品子も続いて冽(たけし)よりもまず、澄子の顔を横目に見たが、その美しさにはただ驚かされるばかりだった。

 これが、田舎娘だろうかと、ほとんど、怪しいほどに思うと同時に、一種のねたましい思いが胸をつんざくように沸き上がった。もし、こうだろう、ああだろうと兼ねて待ち設けていた通りの田舎娘なら、品子はかえって満足し、素直に子爵夫人とあがめたかも知れないが、貴族社会にも珍しいほどの美しさなので、全く心の底へ、我が敵という一念がこびりついてしまった。

 しかし、なかなかその念を顔に表すような浅はかな女ではない。兼ねて、気永に人知れず戦うつもりで、多少はその辺の作戦計画も決めてあるので、胸の中では、なお、「ナニ、顔が幾ら美しくても、田舎者は田舎者だ。心まで貴婦人の真似(まね)が出来るものか。」と見込んでいる。

 冽(たけし)は嬉しそうに、「お母さん、これが私の妻澄子です。」と言った。確かに、「この美しさを見てください。」と言う自慢の心もこもっている。少なくても品子だけはそのように見て取った。
 母親が何とも返事する前に、澄子は真実人懐(なつ)かしく思う田舎育ちの癖ともいうものか、全く親身の母に馳せ寄るように姑のもとに駆け寄り、

 「どうか今から娘と思い、行き届かない所はお叱りねがいます。」と言ってすがり付いた。そのあどけない、罪のない振る舞いは、実に生まれつきの真心をそのまま注(そそ)ぎ出したとでもいうべき様子で、憎みたくても憎めない。

 母親は随分厳しい気質で、前からこの嫁を憎んでいたが、やはり女は女で、どこかもろいところがある。この愛の満ち満ちた深い真心の現れた様子を見ては、春の暖かさの雪のように、心が解けずにはおられない。実に澄子の天性には、鬼も和らげる様な自然な善性が、少しも曇らずに存しているのだ。

 母親は思わず知らず「オオ、娘か、良く帰って来た。今日からはこの家がそなたの家、私がそなたの母だから。」と意外に優しい言葉を吐いて、そして抱き寄せてキスをした。この瞬間には、母親の胸に、確かにこれがもし真実の娘なら、どれほどうれしいだろうと言う心が有った。ただ、この心がいつまで続くものだろう。世間の姑は誰でも、初めて見た嫁を見たときは、我が子の様に可愛いと言うことだ。

 次に冽(たけし)は品子の方を向いて、新しい笑みを浮かべて、「品子さん、これが私の妻です。」と引き合わせた。品子は兼ねて気位の高い、そして神々しいほど身振りのうまい女であるが、この時こそは生涯の気高さを一時に体に集めて、付くだけの勿体を付けて、身を引き延ばし、首を真っ直ぐに上げた。

 女王が初めて大国の使臣を引見するときとても、これ程の威儀は無いであろうとけれど、この威儀はまだ天然のままの澄子の心をくじく事は出来ない。澄子はやはり懐かしそうに走り寄って、「お目にかかって、これ程うれしいことは有りません。冽(たけし)さんから、常々話を伺いました。どうか、お心安くお願いします。」

 これも、自然のままの言葉である。社交界に立つ貴婦人に言わせれば、勿論はしたな過ぎるとか、下品だとか言うだろう。なぜもっと粒選りの礼儀正しい、そして社交的な言葉を使わないと言うだろう。現に、品子の顔はそのような色が見えた。そのためか、自分は全く粒選りな言葉を以て、

 「子爵夫人、お近づきを得て有り難く存じます。」
 言葉よりその言い方が一層優雅だった。
 冽(たけし)は笑って「品子さん、たいそう改まりましたね。そんなにおっしゃると澄子は恐縮しますよ。」
 澄子はさては何か自分の振る舞いに不作法でもあって、そのために夫はこの様に言っているのかと、ぱっと両の頬を赤らめた。冽(たけし)は弁解するように、「澄子は実に天然自然のままですから、自然の情がことごとく自然に言葉や仕草に現れるのです。」

 品子は何となくあざける様子だ。
 「そうですね、自然と言うことは全く良いことです。動物は総て自然ですが、人には人工とやら言う作法とか品位とか、様々な面倒な事があります。」

 冽は今まで天然の真実がそのまま現れるのを、この上もない良いことと思っていたが、「動物は総て自然」と言う、異様な言葉に、初めて人間には自然より外に、なお修得しなければならない、人道の作法や芸能があるのかもしれないと、疑問を持ち始めた。

 どうも、天真爛漫と言うだけでは、まだ、人として、人の世に立つには足りないようだ。


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