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nyoyasha18

如夜叉(にょやしゃ)

ボアゴベ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2012. 4.24

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如夜叉    涙香小子訳

                         第十八回

 長々生は全くの赤印度人に扮装したが、彼はまだ指輪を忘れず、彼の指には先刻質屋の店先で拾った青水晶入りの金の指輪が輝いている。若しまあ坊に逢う時はこの指輪でその心を引いて見ようと思っているのだ。このようにして公園の門に着いて見ると、掻き分けられない程の雑踏だが、彼は事ともせず押し分けてやがて舞踏室の入り口に達した。

 総て舞踏室に入る者は4フランの入場料を取られるのが規則なのだが、彼は今それを払っては後でお皺婆に衣類の損料を渡すべき金も無くなるけれど、婆には何とか交渉しようと惜し気もなく入場料を払い室の中にと入って行くと、踊りは既に始まっていて見る人も踊る人も宛(さ)ながら発狂した人に似ていた。

 舞踏室は真ん中を踊りの場所とし、その両脇に長くテーブル連ねてあるのは、踊り疲れた人の休み所に充て、奥の突き当たりには見物若しくは踊り人中の贅沢な者を引き入れる為、立派な食堂が設けてあり、近辺の料理店がこれに出張して来ているのだ。

 入り口の方は観衆の立ち見の所で、幾百千の人が群らがっているその中に、彼の栗川巡査も見えたので、長々生は先ずその前に立ち塞がり、我が異様なる姿を示したが、栗川は唯諸人と同じく笑うだけで、この赤インド人がその実長々生であるとは全く気付かない様子だった。

 栗川さえ見破る事が出来なければ、他人は直更覚る事は出来ないだろうと充分に安心してここを立ち去り、奥の方へと進み入る。この時今までの踊りは終わり、これより四人一組の踊りに入るとの札が掛ったので長々はさあ踊ろうと相手を探すと、前からこの様な場所で幾度も見た事のある一人の女が、これも同じく相手欲しげに四辺(あた)りを見回すようなので、直ぐにその女の手を取ると女は、
 「お前は一人か」
と問う。
 (女)「私の方には一人有るから今一人誰か探せばよい。アアあそこに一人手の空いた人が居る」
と言いつつ次の室の入り口に走って行ったが、見れば其の所に立つ男は別人ならぬ天狗ッ鼻だった。女は彼に向かい一言二言勧めたけれど彼は何故か応じない様子なので女は直ぐに又馳(は)せ帰り、 「いけないよ。アノ人はもう相手が決まっているとよ」
と言う。

 サテハ彼、もしや『まあ坊』を待っているのではないだろうかと長々が怪しむうち、ここへ又一人の踊り人が来てこの群れに加わったので、長々は自分と共に四人の同勢となり拍子を揃えて踊り始めた。いずれも一廉の踊り手だが中にも長々は身なりの異様なる上一生懸命に身を入れているので、早や諸人の心を引き「印度人、印度人」との喝采が諸所に起こった。

 此の時次の広間で忽ち高い叫び声を発する者がいた。長々は踊りながらも耳を立てると確かに「『まあ坊』のお召しだぞ」と口々に言っているようだ。さては我が察しに違わず『まあ坊』がここに来て居てその手下を呼んでいるものと見える。

 どの入り口からこの室に入り来るだろうと、油断なく待ち受けていると、又もや次の室に当たり、今度は音楽の音を圧する程に鯨波(とき)の声が起こった。幾十組の踊り人は、この声を聞き、今や新手が入って来ると知り、引けを取るまいと踊り狂うその中を目掛けて、鯨波(ときのこえ)と共に突き出で来る一群れを、どんな様子だろうと見ると、同勢都合七人で、各々その装束を異にして、憲兵、懲役人、魚売り女、乳母、兵士及び乞食だった。

 兵士は即ち天狗ッ鼻の竹にして、魚売りと乳母のうち一人は必ず『まあ坊』に違いないと気を留めて良く見ると、二人とも実は男で唯女に扮装している者だった。
 「おやおや『まあ坊』は居ないのかな」
と再び見やると、長々生の目に留まったのは、最後に控える乞食の女だった。

 この者こそは真実の女なり。且つ其の身姿(みなり)を如何と見ると、黒い絹天鷲紙(きぬぴらつき)を裾に巻き、腰より上は古代の織物で、足には絹糸の足袋を着け、繻子で作った靴を履き、又頭には高価な鼈甲の弓形の櫛を挿し、耳には真珠の飾りを下げていた。この真珠確かに一万フランの値はありそうだ。身に纏った織物だけでも数百フランの上に出るだろう。

 去れど腰より下なる天鷲織(びろうど)は、鋏で目茶目茶に切り破り、上の古代織も縦横に引き裂いて襤褸(ぼろ)となし、櫛も折り靴も破り、二度と用ふる事の出来ない様にしてあるのは、唯乞食と見せかけるためだけに、新しい品物をこのように毀損した者で、此の上も無い贅沢の沙汰と知れる。
 
 このように贅沢を厭(いと)わないのは、充分の財産のある婦人で、公園の夜会に来て踊る身分ではないのは、誰の目にも明らかである。殊にこの婦人は自分の顔を見られることを厭うと見え、天鷲織(びろうど)の半仮面に鼻より上を隠していた。

 長々は唯此の贅沢な乞食の心を引き付けるには、指輪を示すべき機会を得なければならないと思うので、あるだけの秘術を尽くして、その道の黒人までも羨む程に踊りこなすと、乞食女の連中は負けぬ気で踊り始め、魚売り女はその籠を手玉に取り、乳母は片足を首にかけ一本足にて跳ね回るなど、各々腕を限りに踊りながら、次第次第に入り乱れたが、一人彼の乞食女は最後に大喝采を受けようとの黙算からかなかなか踊りを始めず、唯仲間の憲兵に引き立てられ屯所へ連れ行かれる如き見栄にて、テーブルの際を徘徊するだけだった。

 長々は待ち兼ねて、少しづつその傍に寄って行きながら、是が『まあ坊』か『まあ坊』でないか、松子か松子でないかと、充分その姿を盗み見ると、仮面より外に現れているのは唯口許だけなので、どちらとも言い難けれど、歯並の揃いたるは松子に譲らず。去れど顎の辺りの様子は松子より年若く、十八九としか思われず、更に其の背格好も松子より一層華奢で、障(さわ)れば倒れる風情だ。そうすると松子でも『まあ坊』でもないか。

 その女が踊らないのは、最後の喝采を待つからではなく、踊りを知らない為なのかも知れない。なおも横手に廻ってその髪の毛の色を見ると、松子の毛は黄色に光っていたが、此の女の髪は黒い艶がある。尤も髪の毛は染めること自在なので、是だけでは何とも判じ難いが、松子に似ている所三分で、似ていないところ七分だ。

 この上は唯指輪を示して試験する外はないと思ったが、青水晶はダイヤモンドの如く光を放たないので、是も容易に女の目に留まらない。このようにしているうちに、早や第二曲も済んで第三曲に移ろうとするので、長々は第三曲の始まるまでに再びここに廻って来ようと、其の儘彼方に踊り去り、凡そ十分ばかり経った後、又もや踊りながらここに来て見ると、今度は彼の乞食婦人も、憲兵と共に踊り始めようとする所だったので、今こそチャンスだと思い、長々は自分の相手だった今までの女を憲兵の傍に送り、自分は直ちに乞食婦人の手を取った。

 この様に相手を変わるのは好くあることなので、憲兵も怪しまず、取り分け乞食婦人は、先刻より長々の非凡な腕前を見て感心していた事なので、我が相手とするに足ると思ったか、長々の手にすがるより早く、宛(あたか)も飛燕の密林を穿つが如く、縦横無尽に踊り始めた。其の身の軽くして且つ早きには、流石の長々も殆ど付いて行けない程なので、見物は唯只管(ひたすら)感嘆し、
 「踊りの本場メラガ或いはセビル(共にスペイン)から来た女だろう」
と言う人もあり。

 中には又、先年諸所の公園で踊った『まあ坊』より旨いな。まあ坊とは誰だなど言う声も聞こえるので、長々は次第に力を得、折に触れては件の指輪を乞食婦人の目の前にちらつかせると、夫人も是に気付いたのか、其の度に縋(すが)らせている長々の手先に、少しづつ重さが掛る如き気もさせられた。しかし二人とも踊りに夢中の時なので一語も交わす暇もなかった。

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